第15話 己の記憶
あれから数日経ったが、父とはあまり話せていない。
書類の山に埋もれ、何人もの兵士や剣士が謁見を求め、まさしく英雄と呼ばれるに足る功績を残した父には、家族と共にいる時間が限られている。
自分と母は、あまり表立って行動してはいけないという制約のもとで屋敷で穏やかに暮らしている。
母もほとんど外出を許されず、ただ穏やかに過ごす。
たまに父の部下たちと談笑して、飯を食べて、一日を過ごす。
そんな日々。
自分はというと、仕事でもあった孤児院の仕事を辞めることになった。
父が帰ってきたことによりますます自分の身が危うくなったらしい。敵対勢力も勢いづいてきていて、いつ狙われるかもわからないまま孤児院に顔を出すのが困難になったためだ。
マルトにはすでに話をつけているし、子供達も理解してくれていた、らしい。
理解はできるが、したくないと考えてしまうのも子供だ。
それは、自分も同じだった。
グレイやリッツ、レイシャ、他の子供達、皆の顔を思い出して物思いに耽る一日は、長く感じる。軟禁されているような気分になる。
しかし、悪いことばかりではない。
父が帰ってきて金銭的に余裕ができ、さまざまな魔法書や伝記が買えるようになった。ただ何もせずぼーっとしているわけにもいかない。自分は暇さえあればそれらを読むようになった。
そんなある時のことだ。
今日、自分は書斎で医導について書かれていた本を読んでいた。マルトから教わった方が早いかもしれないことばかり書かれていて、退屈しながら読んでいた。
「シン。少しいいか」
父が書斎に入ってきた。
「ええ、大丈夫です」
今日も書類に埋もれているものと思っていて少し驚いたが、彼は疲れた素振りも見せないで目の前の椅子に腰掛ける。
「……すまんな。苦労ばかりかけてしまって」
「そんな、父上のものと比べればこれぐらい些細なものです」
「……そうか」
父は少し暗い顔をしながら話を続けた。
最初は、今までどうしていたのかとか、孤児院でどう過ごしていたか、とか。
友達ができたのか、とも聞かれた。
父の問いに、自分は平然と答え続けた。
自分の中の父の記憶はとても曖昧なものだった。
昔の自分が覚えていたことをそのまま目にしているような感覚だ。
今目の前にいる男が本当に父親なのかすら、うろ覚えである。
帰ってきてからの父の顔は、常にどこか暗かった。
マルトの孤児院にいたという三人組を失わせてしまったのにもかかわらず自分は出世し、英雄だなんだとチヤホヤされているのだ、後ろ暗い表情をしてしまうのも当然である。
少し元気づけてやろうかと、話題を切り替えた。
「そういえば、最近魔法糸を出せるようになったんですよ。マルトさんに教えてもらっていた奴です。ちょっとした傷くらいなら治せるようになるかもしれません」
ここ最近の暇な時間で自分の魔法の腕はかなり上達した。
魔法糸はかなり便利だ。
少しの切り傷なら魔法糸で縫えば塞げる。後遺症もゼロだ。
熟練の医導官なら腕や足もくっつけることができるらしい。
「そうか。それはすごいな」
父の表情というものは変わらない。
むしろより一層暗くなったようにも見える。
「いつか父上のようにすごい人になりたいです」
「……ああ。期待している」
父は、くしゃっとした表情になって書斎を出て行ってしまった。
励ますつもりで言った言葉だったが、間違いだったか。
しかし、彼は将軍という地位についた傑物だ。これぐらいでへこたれるような人間ではないと思いたい。
〜〜
「マルト。すまなかったな」
「いいっていいって。それより、早く座れよ」
マルトは目の前にいる男に目一杯に酒が入ったジョッキを渡すと、自分のところにあった酒を一気に喉に押し込んだ。
男は、リンベル・サルバリット。巷では将軍と呼ばれて、尊敬されている軍人だ。
一介の医導官じゃ話すらできないような地位の男だが、こうして酒を飲み交わすことができるのはマルトが昔からの知り合いということに他ならない。
「謝るのはこっちの方だ。シン坊のお守りをするって約束だったのに、こっちが助けられちまった」
「そうか、シンが……。手紙で何度か話は聞いていたが、どんな感じだったんだ?」
マルトは語り始めた。シンが孤児院にきてから起こった色々なことを。
足が不自由になってからも彼は懸命に子供達に勉強を教えていた。
グレイとは特に魔法の練習に付き合ってくれていてこと。
「でも、もううちには来れないんだろ?」
「あぁ。そうだな」
マルトはそれ以上何も聞くことはなかった。
聞かなくてもわかっている。サルバリットの状況はかなり絶望的なものだ。
帝国の現王は巷では暗愚と呼ばれている。数々の政策を打ち立て民衆から嫌われ、貴族はそんな民衆を抑えるのに手一杯となっていた。
そんな最中に行われた魔工太国との戦争。約六年にも渡る大戦となったのは、現王の一声によるものだった。
「帝都じゃあ反王政派閥の連中が密会して、騎士団がとっ捕まえてってのが日常茶飯事だ。その裏じゃ王政支持派の貴族が暗殺されるなんて話も聞く」
「そうだな」
「お前も狙われてるんだろ。だからシン坊を守らなきゃならない。あぁわかるさ」
サルバリットは、帝国軍の重役となった。元々影響力が大きかった彼に、王はさらなる信頼を寄せた、と言うことになっている。
しかし実際のところはていのいい肉盾のようなものだ。
もし万が一サルバリットが暗殺されるようなことがあれば、民衆は反王政派閥に懐疑的になる。暗殺されなければ、都合のいい駒を温存できる。
王政派閥の最後の砦として、サルバリットは生かされているような状態だった。
「シン坊は、大丈夫なんだろうな」
「……」
自分はある種、王に守れた存在であった。
しかしシンはどうだ。
彼にとっても後ろ盾となれる存在は、もはや自分しかいない。
戦争で多くの部下を見殺しにした自分しか残っていないのだ。
サルバリットは酒を呷る。
ジョッキに満杯に入っていた液体が空になっても、次の酒を頼んでまた飲み干す。
そんなことを一通りやっていると、顔が真っ赤になって目の焦点が合わなくなってきた。
「いくら麦酒っつっても、そんなに飲むと体に毒だぞ」
マルトのそんな声を聞いたが、彼の耳には入ってきていない。
自分がいない間に、シンは大きく育っていた。
六歳という年齢であるにもかかわらず、他人に勉学を教え、あまつさえ怪我をさせられても相手を許した。
家から出られないという現状に退屈しつつも、己が原因であるにもかかわらず、シンは、健気に学ぶことをやめない。
ましてや、自分に気を遣う余裕さえあった。
自分が、情けない。
「マルト。すまない……」
サルバリットのその姿は、とても帝国軍の将軍とは思えないほど惨めなものだった。
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