第二章 灯
第14話 父の帰還
父の凱旋は、華々しいパレードから始まった。
大兵団を率いて戦況を次々に好転させ、終戦にまで導いた英雄として。
数多の民衆が彼の帰還を祝福していた。
そんな彼の凱旋を、自分と母は小さな小屋から眺めている。
いつ反王制派閥の襲撃があるかわからない、念には念を入れてのことだった。
「父上は、足のことを知っておいでですか」
「とっくに知らせてますよ。安心しなさい」
正直、自分は父の顔をあまり覚えていない。
父がいなくなったのは自分が3歳ぐらいの頃だ。その頃はまだ意識がうろ覚えで、はっきりし出したのはそれから数ヶ月経った頃。
それまでの記憶は、別の人間が体を乗っ取っていたようで実感というものがない。
それゆえに少し恐ろしいのだ。
「私は、英雄の息子として務めを果たせるのでしょうか」
そうポツリと呟いたが、街の歓声でその声はかき消されてしまった。
〜〜
父の迎えが来たのはパレードから5日ほど経ってのことだった。
本人が来たのではなく、彼の部下を名乗る兵士が家にやってきて馬車に乗せられた。
数十人の徽章をつけた兵士に取り囲まれながら街の中を進んでいくと、連れて行かれたのは豪華な屋敷だった。
だだっ広い庭、煉瓦で建てられた壁、綺麗に手入れが施された生垣。
とてつもない豪邸であるのは一目瞭然だが、華美な装飾が施されているわけでもない。ある意味質素とも言える造りだ。
「ここは?」
「リンベルの本家の屋敷です。お祖父様が晩年過ごされた場所ですよ」
「そう、ですか」
「あなたが生まれて生まれてすぐにここから出ていきましたから、記憶にないのも無理はないですね」
生まれた瞬間のことはよく覚えています、とは言えまい。
屋敷の中に入るとまずに目についたのは、数人の兵士が忙しなく動いている姿だった。彼らは皆立派な甲冑を身にまとい、手には大小様々な家具を持っている。
自分と母の姿に気がついた彼らは即座に膝を地べたにつけ、頭を下げてきた。
「リンベル・シラ様、並びにリンベル・シン様!長い間の隠遁生活、疲れ様でした!」
隠遁生活というには自分は色々なことをしていたが、彼らとしてはそう見えていたのだろう。屈強な男たちが自分の前でひれ伏しているのを見て優越感に浸りたくもなるが、そのような態度をとっては父の名誉に傷がつく。
「いいんですよ。皆さんも長い間夫のそばに仕えてくださってありがとうございます」
そんなくだらないことを考えていると母が彼らの前で膝を折って座っていた。
いつもと変わらない母の姿だ。なのになぜか貫禄がある。
この場の空気がそうさせているのだろうか。
「私はもともと農民の出です。あまりそう畏まらずに、穏やかに接してください」
母の言葉に感銘を受けたのか、兵士たちは感嘆の声を漏らしている。
何人かは頬を赤らめていた。
男だからしょうがない。
しょうがないのであろうが、少し気分が悪くなった。
その後もすれ違った兵士たちに簡単な挨拶を済ませて、母と自分は父がいるという一室に向かう。
執務室と、この国の文字で書かれた部屋の前にまできた。
「シラです。失礼します」
母がその扉をコンコンとノックして入っていく。
そんな彼女の背中を見て、いざ自分もと足を上げようとしたが、途中段差に足をつまづいてしまう。
膝から転んでしまった。
しまった、と思った。
自分は、将軍となった父の息子だ。
数々の武勇を立て、部下に慕われ、民衆からの支持もあつい、英雄の子だ。
そんな偉大な人の子供として、自分はどうだろうか。
足を悪くし、戦場で走ることは叶わない。
そんな人間を果たして父は許してくれるのか。
目尻から水がこぼれていた。
「「シン!?」」
声が重なっている。
二人の声だ。一人は毎日聞く、母の声。
もう一つは、何年も前に聞いたことのある、男の声だ。
「大丈夫か?立てるか?」
父が、慌ててこちらに駆け寄ってくる。
昔の父の顔は、あまり覚えていない。黒色の髪に、少し髭を蓄えた青年だったことしか、記憶にはない。
つまづいて垂れ下がったままの頭を上に挙げると、そこには心配そうにこちらを覗き込む、懐かしい顔があった。
「父上。ただいま、帰りました」
杖を使って立ち上がる。
ふらふらと力の入れずらい足に、目一杯の気合いを込めて彼の前に自分はたった。
安堵したような父の顔を見て、今までの自分の不安が杞憂だったと悟った。
〜〜
「先生、今頃どうしてるんだろう」
グレイがふと、そんなことを聞いてきた。
私は書いている最中だった帳簿を閉じて彼の目を見つめる。
「な、なんだよ」「別に」
「最近なんか元気ないだろ、レイシャ。先生がいないのがそんなに不満か」
シンの父君であるサルバリット様が帰ってきてから、彼は孤児院に顔を出さなくなった。
彼の授業の甲斐もあってリッツ、グレイは文字の読み書きは完璧にこなせるようになっていた。特に詩に関して言えば下手な貴族よりよっぽど詳しくなっている。
そして、私はというとシンに変わって小さい子供たちに読み書きを教えられるほどになっていた。
わかることと教えることはまるで勝手が違う。
それができるというのはとてもすごいことなのだとリッツもグレイも理解していた。
ただ、私はまだ彼のようにはなれない。
「あの人はこれで正式に軍族の仲間入りです。いずれ軍に入隊して、父君と同じくらい偉くなれるでしょうし、ここにくる暇なんてないと思いますよ」
「そんなこといって。寂しいくせに」
「……それは、そうですけど」
「俺だってわかるけどさ、レイシャのは違うだろ?懸想してるみたいに見えたけど」
私はグレイの頭に帳簿を叩きつける。
「そんな話をする暇があるなら少しはこういった仕事もしてください」
「わかったよ」
グレイはどこか変わったように見える。
どこそこが変わったのか、言葉にはしづらいけれど変わった。
成長したから、物事がわかるようになったから、という説明がつかない変貌だ。
シンと共に過ごしたから、といったら彼はどういう顔をするのだろうか。
私もそう変われているのか。
わからない
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