第12話 道場

数日後、自分はグレイと共に道場に来ていた。孤児院からそこそこ離れた場所にある道場だ。

ちなみに、レイシャは留守番だ。グレイと二人でここに来ている。

「先生。なんでまた道場なんかに来ることになったんですか」

グレイが不満げに聞いてくる。

リッツのことが心配だから、とは言いづらい。

「自分も父の息子ですから。剣ぐらい扱えるようになっておきたいんです」

「……本当に?」

「本当です」


道場に入るとまず目に入ったのは、女子供が懸命に木刀を振る姿だった。

剣術なんてものを学ぶのは大抵が軍人だとか若い男ばかりなのだが、ここにはほとんどいない。少しばかりは男もいたが、見窄らしい格好をした武人とはかけ離れた者たちだった。


そして、ここにリッツの姿はなかった。

「リッツはどこにいるんでしょうね」

グレイも同じことを考えていたようで、少し小走りで道場の中を進んでいく。

彼から取り残され入口で辺りを見回していると、女性が声をかけてきた。


「うちの道場に興味があるのかい?坊や」

青と黒の道着を羽織った女性だ。髪を肩ほどまで伸ばしている、女剣士と言ったところか。にこやかな笑顔が特徴的な、女性だった。

「自分の友人がここに通っていると聞きまして」

少しギョッとした顔で見つめられる。しかし彼女はすぐに元の笑顔に戻った。

「あ、ああ。なんて名前の奴だい?」

「リッツと言います。ここにはいないようですが」

「ああ、リッツかい。あいつなら別室で師範と打ち合いしてるはずだよ」

なるほど、ここにはいないわけだ。

「そうだったんですね。案内してもらっても?」

「ああ」

女性はニカっと笑って手を引いてくる。

彼女は右手を出されたが、自分はそれに左手で答えた。

右手には杖がある。


〜〜


女性は聞けばここの師範の娘らしい。この道場で2番目に強いと言っていた。

一番は誰だと聞くと今から会いにいく男が、そうらしい。

「リッツが一番強いって本当ですかね」

道すがらグレイがそうぼやいていた。

リッツが剣の素振りを始め、道場に通い始めてからそこまで日は経っていない。

なのにここまで体格差のある彼女に勝ったというのは、にわかには信じられない話だった。

「あの子はすごいよ。ガイラー流の王宮剣士にだって負けないだろうね」

「そんなに、ですか」

「以外かい?」

グレイは苦々しい顔をしている。

「あいつがそんなに強いなんて、正直、わからないです」

彼はリッツの素振りには無関心だった。

なんであんなに頑張っているのか、不思議そうにしていた。

だからこそ受け入れられないのだろう。

グレイは孤児院の中で誰よりもプライドの高い人間だから。


「師範。失礼します」

彼女がそういって重い扉を開ける。

そこには片足が義足の老人と、リッツがいた。

二人の手のひらには真剣が握られている。

「……きたか」

老人が厳かに口を開いた。

彼の瞳は抜身の刃のような鋭いものだった。

何物も寄せ付けないオーラのようなものが辺りを漂っている。

「私は、リ–––」

「リンベル・シン・サルバリヤータだな。話は聞いている」

リール、と名乗ろうとするのを遮られる。

偽名を名乗る暇もなかった。

というより、なぜこの男が自分の本名を知っているのか。

そう思ってリッツの方を睨んでみると、彼は体を震わせていた。

「サルバリット卿とは長い付き合いだからな。赤ん坊の頃から変わっていないようで安心した」

老人はふぅと一息つくと、自分の杖に目を向けてきた。

その杖を見て、一つため息をついていた。

「……それで、そっちのは」

老人の気配に負けてグレイがしどろもどろに名乗りあげた。

「ぐ、グレイ、と申します」

「そうか。リッツから話は聞いている。そう身構えるな」

「は、はい」


この老人の名前は、ロード・ギレイというらしい。昔は軍人として兵団を率いていたそうだ。マルト曰く、とんでもない傑物だそうだ。

父と交流のある人物とは一つも聞かされていない。

マルトめ。


「せ、先生。ようこそ」

リッツが息を切らしてこちらに駆け寄ってきた。途中で椅子も持ってきて、近くに置いてくれている。

「どうぞ」

「いや、そこまでしなくても」

「いいんですよ。ぜひ稽古の様子も見てほしいですし」


ギレイはその様子を一瞥して、すかさずリッツ目がけて剣を振り上げる。

彼はその刃を受け止めた。

「休んでいいとは一言も言っていないぞ!」

ギレイの喝に、リッツは怯えることなく反撃に出ていた。

横なぎの一閃。当然その刃はギレイを捉えることなく受け止められていたが、リッツはすかさず二撃目を狙おうと足に力を入れていた。


身を守るという領分を逸脱したその太刀筋に、彼の姉弟子であろうその女性は眉を顰めている。

「あいつめ」

そうぼそっと聞こえないように小声で呟いていた。


グレイは腰を抜かしてぶっ倒れていた。



一通り稽古が終わると、リッツは頭を下げてきた。

「すみません。お見苦しいところを」

「いやいや、すごいものを見させてもらいました。さすがリッツですね」

彼らの剣戟は見事なものだった。

互いに少しの隙も見逃さない一撃を与え続け、それを徹底して防ぎ、反撃をする。

到底自分には真似できない接戦だった。


そんな凄まじい試合の傍、早々にプレッシャーに押し負けて部屋から逃げた男もいたが。

「リッツ。少しいいか」

「はっ」

ギレイがリッツを部屋から出してしまう。

この部屋には、自分と彼しか残っていない。

「……サルバリットがいなくなって何年だ」

「6年目になります」

「そうか」

ギレイは剣を鞘にしまうと、それを傍に抱えながらどかっと地べたに座り込んだ。

「その足は、どうした」

「魔法の練習中に、少し」

「走れるのか」

「どうでしょう。マルトさんは難しいと言っていました」

「そうか」

ギレイはまた、ため息をついていた。

「サルバリットから頼まれていたんだ。あんまり帰ってくるのが遅くなったら、代わりに剣術を教えてやってほしいと」

「そう、だったんですね」

「……でもその足じゃ、剣は無理だな」

「ですね。父の期待を無碍にしてしまいました」

「……そうだな」

ギレイはため息をついた。

憂いているというより、諦観のような、そんなため息。

「足が治ったら、うちに来い。鍛えてやる」

「……わかりました」


ギレイはそういうと、あの女性を呼んだ。

彼女は道着から着替えていたようで、格好が変わっていた。

分厚い道着から、薄めの生地でできた服だ。胸の辺りと腰から下が少しだぼついているが、胴回り……特にくびれのあたりがやけに薄い。

へそのラインが少し浮き出るぐらいには薄い。大丈夫なのだろうか。

少し汗ばんでいるからか、布地が張り付いているのではないか。本来なら余裕のあろう背中側もピッタリと素肌に吸い付いている。



上に甲冑を纏うときに下に履くためのものだったはずだが、彼女の様子を見るに普段着にしているのだろう。

ふと彼女から視線を逸らすと後ろに二つ人影が見えた。

後ろにいるのはグレイと、リッツだ。

「うちの娘のマースだ」

女性……マースが手を振ってくる。

「やぁ。さっきぶりだね」

「……何か困ったら頼ってくれ。護衛でもなんでもしてやる」

「ありがとうございます」

自分は杖を手に取って立ち上がり、彼女に頭を下げた。

「いいっていいって。サルバリット様の嫡男て聞いた時は驚いたよ。通りであんなに礼儀正しいわけだ」

「母からの教えです」

「そうかい。それは殊勝なことだね」

彼女はそう言って自分の頭を撫でてきた。

社交辞令的な挨拶を経て、彼女は部屋の箱から甲冑を手に取ると、それを身に纏い始める。

いつの間にか彼女は全身をその鎧で隠してしまっていた。

「よし、それじゃ父上。お願いしますよ」

甲冑越しの曇った声がする。

「ああ」

彼女は甲冑を身に纏って、ギレイと稽古を始めた。

……ふとした瞬間に、見えた彼女のくびれになぜだか視線が釘付けになってしまう。



マースとギレイの稽古を邪魔してはいけないと、リッツが言ってきたのでお暇することになった。

なぜだかぼんやりとした意識のまま、自分はグレイを引き連れてその部屋を後にする。終始グレイはこちらを訝しむようにのぞいてきていた。

「先生?先生!鼻血!」

「へ?」

気づくと、鼻からぼたぼたと血が垂れていた。

「今、布を持ってきます!」

リッツが慌てて駆け出して行った。


「……先生。あの女の人の腰のあたり、ジロジロ見てましたよね」

なるほど、グレイのあの視線はなんだと思っていたが、こういうことか。

「先生も男なんだなぁ」

グレイが知ったようにぼやいていた。

杖で叩きたい衝動に駆られたが、なぜかそんな気分になりきれなかった。


そのまま、自分は道場の廊下に仰向けになって倒れた。





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