第10話 嘘
「先生!走れなくなるかも、ってどういうことだよ!」
朝起きて開口一番リッツがそう叫んでくる。
隣のベッドで寝ていたレイシャが彼のその言葉を聞いて飛び起きた。
「え?ちょっと、リッツ。どうしたんですか」
「父の部屋にちょっと用事があって、そこでみたんだよ!走れなくなるかもしれないって!父さんの字で!」
自分が、走れなくなる。
「い、いや、待ってください。走れなくなる、かも、なんですよね?」
「そうだけど!でも!」
レイシャは、リッツのその言葉を黙って聞いていた。
涙も何もなく、ただ黙って、聞いていた。
「レイシャ!お前もなんか言えよ!元はと言えばお前が–––!」
リッツはしまったという顔をしていた。
彼女はこの四日間、懸命に世話をしようとしてくれていた。時折空回りしていたが、それでも彼女が本心から世話をしてくれているのはみて取れていた。
あれだけ許すと言っていたのに、彼女は一向に泣き止まなかった。
ずっと尾を引かれているようだった。
「もしかしてレイシャは、気づいていたんですか?後遺症が残るってこと」
「……はい」
「だから、あれほど謝っていたんですか」
合点がいった。彼女はあまり感情的になるようなタイプではないはずだった。
しかし、たかだか子供の喧嘩で怪我をさせてしまったなんていうのは良くある話である。
「少し残念ですね。父様と肩を並べて、戦場に出れないというのは」
涙を流すな。
「でも、人生色々ありますから。こんな程度、些細なことです」
流すな
決めたじゃないか。自分だけは彼女に寛容であれと。
「些細なこと、です」
〜〜
レイシャは、自分のそばで座っている。
リッツは小さい子供たちの面倒を。グレイは自分に変わって簡単な読み書きを他の子供達に教えていた。
自分が見ていない間によくそこまで勉強していたものだ。
「その。ッ……なんでも、ないです。お水、いりますか」
「大丈夫ですよ」
「でも」
「そこにいてくれるだけで、私は大丈夫ですから」
不意に口をついてでた言葉だった。
まるで恋人に語りかけるような言葉である。最も、自分にはそんな気はなかったが。
彼女がそこにいてじっとしているだけで、なぜか自分の肺の辺りにあったムカムカしているものが、なくなっていくのだ。
この感情は、正しいのだろうか。
「あの、私、その……」
「はい、なんですか」
「ここをでていきます。シンさんは、サルバリット様のご子息ですから、そんな方の足を潰してしまった私は、も、もうここにいる資格なんて」
確かに、自分に父のような軍人となる未来はもうないだろう。
父からの期待とかも全て裏切ることになってしまう。
レイシャのその顔は、限界だった。
この子は、まだ子供なのだ。
たった6歳の子供なのだ。
少し間違ったことをしてしまっただけの、子供だ。
「……どうして、私に魔法を使えるなんて嘘をついたんですか?」
前から気になっていたことだ。
母がマルトから聞いた話だと、彼女は自分にいいところを見せたかったから、嘘をついて魔法を使おうとしたらしい。
しかし、どこか腑に落ちないでいた。
彼女は十分にできる少女だった。
いいところを見せたい、なんてしなくても十分すごい娘だった。
「シンさんに、勝ちたかったから、です」
「なるほど、腑に落ちました」
彼女は相当な負けず嫌いらしい。
「これからはシンと呼んでください。好敵手ってやつになりましょう」
「え?」
「魔法勝負ではレイシャの勝ちです。次は詩の暗唱にしますか、計算にしますか?それとも買い物?家事でもいいですね」
「シンさん?何をいって」
「さん付けはやめてください。好敵手同士ですよ?いや、私が敬語を使うからいけないのか……」
この胸のムカムカの正体がわかった。
これは、負けた時の悔しさだ。
今までの人生、誰かに負けたことなんてなかった。
母にさえ勝ってきた。マルトからはお前には敵わないと言われていた。
そんな自分が、初めてこいつには勝てないと思った。
思い知らされたのだ。
つくづく、自分の器の小ささを実感する。
「これでここからいなくなる理由は無くなった。それでいいですね?」
レイシャは、唖然としていた。
「シンさん。こんな私でも、まだ許してくれるんですか?」
「ライバル同士になるなら許します」
彼女は少し、言葉に詰まると小さく頭を下げた。
耳の先まで真っ赤に染まっていた。
〜〜
あれから三日がたった。
レイシャは今までと同じように世話を焼いてくれていた。
空回りしてしまうのは相変わらずだが、それでも一生懸命そばで支えてくれている。
走れなくなるかもしれないということをグレイに伝えると、「レイシャを引っ叩いて追い出してやる!」と飛び出していった。すぐにリッツに止められていたが、それでも彼は怒ったままだった。
レイシャ自身の口からそれまでのことを謝罪して、彼らの溜飲も少し下がったようだった。
マルトからは、重ねて謝罪された。
「鍛錬すれば、本当に良くなるんですか?」
「ああ。走れないっていっても全力疾走ができないだけだからな。小走り程度なら問題ないと思うぜ」
それを聞いて少し安心するとともに、全力でこの男を引っ叩いてやりたいとも思った。
–––母の故郷に帰省する話は流れてしまった。
このことが今後一生後悔することになるとは、この時はまだ知らない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます