第9話 息子
私には、よくできた息子がいる。名前はシン。
この子は本当によくできた子だった。
小さい頃に自分から文字を読む勉強を始めて、5歳になった頃には読むことも書くこともできた。
計算だって得意だった。旦那の書斎から色々な本を読み漁って、いつの間にか私以上に教養のある人間になっていた。
本当に私の息子かと疑ったほどだった。
よっぽど旦那の血を濃く受け継いだんだと思った。
旦那は今、家を出て戦場で戦っている。
半年に一回だけ手紙を送ってやり取りをして、その時に少しだけ仕送りをしてもらって生活をしている。
リンベル・サルバリットの名前を知らない人間は帝都にはいない。
ただその妻である私の名前と、息子のシンを知っているのは限られた人間だけだ。
私はもともと農村出身の田舎娘で公の場に出せるような人間ではないし、息子は旦那たっての願いで外にほとんど出さずに育てた。
子供なのだから多少危なくても、私がおぶって散歩くらいは、と小さい頃に相談したことがあったがダメの一点張りだった。
その理由はすぐにわかった。376年に王が各地の貴族を処刑するという御触れを出した。各地の反王制派閥の貴族が処刑され、国中が一気に不穏になり始めたのだ。
旦那はその渦中にはいなかったが、処刑された貴族の家臣たちから逆恨みされて一度襲撃されたと聞いた。旦那は軍の人間だったから、王族の犬め、と言われて。
シンの存在が知られてはいけない。そう、悟った。
ただこの子は外に出たがった。
信頼できる人間は私にはマルトさんくらいしかいなかった。彼に相談すると、ちょうど文字の読み書きを教える教師を探しているところだったという。もし教養のある人が見つかったら、その人にシンの家庭教師も兼任してもらうのがいいと勧められた。
数日後、マルトさんが追い詰められたような表情をしてうちにやってきた。
教師が見つからなかったのかと聞いたら、そうではない様子だった。
数年前に孤児院を出て軍に入隊した子供が亡くなったという知らせを聞いたらしい。
仕事も見つからず途方に暮れていた彼らをみかねて、うちの旦那が軍に入れた。
そんな彼らだ。私も顔を見たことがあった。
マルトさんは旦那からの手紙を握りしめていた。
見させてもらうと、旦那の文字が水滴で少し滲んでいた。
申し訳ない、申し訳ないと延々と綴られたその手紙を見てマルトさんは怒りの矛先を見失っていた。
マルトさんは急いで教師を探した。
行く当てがなくなってしまわないように。
子供たちの未来のためにと。
そして、シンに縋ってきた。
シンは二つ返事で承諾してしまった。
この子にしては、賢くない判断だったと思う。
「シン坊は本当にすごいな。うちのラ……レイシャみたいだ」
「ラレイシャちゃん、ですか?」
「レイシャだ。その子の親がライシャって呼んでたせいでいまだに間違えちまう」
マルトさんはその子のことを話してくれた。
物事を少し教えただけですぐ理解してくれる。物心ついた頃には流暢に喋って、一度言ったことは忘れない。
勝手に書斎に忍び込んで何をしてるのかと思ったら南方大陸の医学書を読んでいた。話している言葉も違う国の本はさすがに読めなかったようだが、自力で読もうとしていた痕跡があった。
正直、ゾッとした……らしい。
私はシンを見続けていたからそれぐらいなら、と流して聞いていた。
ただあの子が孤児院で授業をしてきて、帰ってきたからの話を聞いた時、背筋が凍った。
息子は、レイシャは読み込みが早くて素晴らしい、早いうちに読み書き程度ならできるようになる、と言っていた。
気味が悪いと思った。
なぜ読み書きができるのにシンにはそれを教えないのか。あまつさえ、全くできないわけではないとシンに思わせるような態度をとっているのか。
こんな子が、この世界にはいるのか。シンはそう言っていたが、私も同感だった。
そんな子が先日、私の息子に怪我をさせたと聞いた。
怒りが湧き上がった。
どうしてくれようか。私の息子に何をしているのか。
ほら見たことか、いつかは何かすると思っていたんだ。
所詮は子供だ。
息子の容体を見に行くため、走りながらそんなことを考えていた。
しかしその孤児院に行ってみるとそこにいたのはシンに怪我をさせて泣きじゃくっている一人の女の子がいた。
ただの、子供だった。
私は、この怒りの矛先をどこにぶつければいいのかわからなくなった。
〜〜
「シラさん。この度は本当に申し訳ない」
「いや、いいんですよ。子供同士のことですから。それに、その言葉は何度も聞いてますから。もういいんです」
マルトさんが何か重々しく口を開く。
「シンの症状は、あまり芳しくない。命に別状はないだろうが……何かしらで後遺症が残ってもおかしくないんだ」
マルトさんの言葉に少し顔をしかめてしまう。
あの子の言っていることとまるで違ったからだ。
「シンは少しずつ良くなってるって、言ってましたけど」
「……トイレ行くにも周りに介抱してもらいながらやってるぐらいだ。確かにいつかは歩けるようにはなるだろうが、それもいつになるのかわからない」
薄々気づいてはいた。
あの子は私と話している時、ずっとレイシャの方を見て話していた。
私と、あの子の顔色を伺うように。
「そう、ですか」
「あいつもあいつで俺の前じゃいつも痩せ我慢してて、わかったのがつい昨日のことだった。すまない」
ああそうですか。
あの子はおそらくもう走ったりすることができないらしい。
歩いたりすることは鍛錬次第で可能になるらしいけれど、旦那のように戦場をかけることはできない。
あの人が家を出る前に話していたことを思い出す。
「帰ってきたら、シンに剣術の鍛錬をつけよう」
きっと、いい武人になれる。
そう、言っていた。
私は一人、涙を流した。
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