第8話 療養

「シンさん。ほら、お口を開けてください」

「いや、自分で食べられますから」

「いーや。私がお世話します!ほら、口を開けて!」

シンが嫌々口を開けると、レイシャが待ってましたと言わんばかりに湯気のたった粥を突っ込む。

「アッツ!」

「はい、お水です!」



「……何やってんだ。あの二人」

リッツはその二人の様子を遠目から見てそうぼやいていた。


〜〜


体の不調が治るまでひとまず自分は家に帰らず、マルトの元で世話になることになった。

彼の医院で面倒を見てもらった方が良いのではないか、とも思ったがどうも満室らしく引き続き孤児院の医務室で安静にすることになった。

初めは世話役をしているミシアという中年の女性が面倒を見てくれると言ってくれていたものの、他の子供たちの世話もしなければならない彼女にそこまで任せるわけにはいかないと、レイシャが代わりを申し出てきた。

彼女なりの罪滅ぼしのつもりなのだろう。拒否する理由もないし、自分もそれでいいと言ってしまった。


それから三日目、自分の過ちに気づいた。

「トイレに行きたいのですが、少し手を貸してくれませんか」

「わかりました!桶を持ってきます!」

「いや、手を貸してくれれば大丈夫ですから」

「父さんが安静にしていろ、って言ってましたから。大丈夫です!私は気にしません!」

「私が、気にするんです」

そのあと、様子を見かねたリッツとグレイが自分をトイレまで運んでくれた。

リッツに至ってはトイレの補助までしてくれた。さすがの最年長と言ったところか。

正直補助無しだと厳しいところがあったので本当に助かった。


部屋に戻ってみると、レイシャとグレイの話し声が聞こえてくる。

「どうしてリッツとグレイは良くて、私はダメなんですか」

「レイシャは女の子だろ。そりゃ嫌だろ、先生だって」

「むぅ」

「ほら、避けた避けた。先生、足元大丈夫か?」

リッツが彼らを避けてベッドまで運んでくれる。

自分をおんぶしてトイレからここまで運んできてくれたリッツには本当に頭が上がらなかった。


「本当にありがとうございます。リッツ……」

「いいんだって、ほら先生。なんか食いたいもんあるんだったら言ってくれよ?」

「それじゃあ、このことはマルトさんには秘密で、お願いします。心配かけたくないので」

「俺にも俺にも!なんかあったら言ってくださいよ?魔法の練習はほら、ずっとあとでいいので!」

「グレイ、ありがとうございます」


レイシャは頬を膨らませながらこちらを見てきていた。

何か言いたげな様子であることは一目瞭然である。

「えと、レイシャはどうしたんですか」

「どうせあれだろ?私が先生のお世話をするって意気込んでいたのに、その役目取られて拗ねてるんだ」

グレイはデリカシーのないことを平然と言える人間だった。

「そんなこと、ないです」

さらに頬を膨らませてそっぽを向いてしまうレイシャ。

正直、可愛いと思ってしまう自分がいた。



少しして、母が見舞いに来た。

レイシャはうちの母が来るたび恐縮してしまってビクビクしている。

母も母でそんな様子の彼女を見て少し苛立つ。そんな連鎖が続いていた。

「母様、今日も来てくださったんですね」

「当たり前じゃないですか。それで、具合はどうです?」

「マルトさんに見てもらって、少しずつ良くなってます」

「そう、それはよかった」

正直、症状はあまり良くなっていない。しかし今それを言ってしまうと母とレイシャの関係がより険しくなるのは目に見えていた。

レイシャにも、あれ以上責任感を負わせたくなくて本当のことはいえていない。


「今日はこれ、果物買ってきたんですよ。北方から渡ってきたものみたいです。食べてください」

そう言って母は瓶に入ったドライフルーツを渡してくれた。

蓋を開けてみると柑橘系のいい香りがする。

「ありがとうございます。あとでみんなを呼んで食べますね」

「……そう」


母は静かにそっと優しく自分の体を抱きしめてきた。

顔は見えない。見せようとしない。

何か思うところがあるのだろう。

「私には祈ることしかできませんから。早く元気になって帰ってきてくださいね」

「はい」

「帰ってきたら、少し休暇をもらってください。カイン村に一度帰りたいのです」

カイン村というのは母の故郷である。帝都から結構離れば場所にある小さい農村だ。

思えばこの時期は曽祖父の墓参りの時期であった。命日は明後日だが、それまでに回復することはおそらく難しいだろう。


「マルトさんに相談してみます。他の子供達にも……レイシャ?」

レイシャの顔色が少し悪いように見える。

何か悪いことを考えてしまっている、そんなふうに見えた。

「カイン村に曽祖父様のお墓参りして帰ってくるだけですよね?」

「ええ、そうですよ。ちゃんと帰ってきますから。安心してください」

母も何かを悟ったのか、医務室の隅で縮こまっているレイシャを見ながらそういった。

レイシャは母の顔を見て、俯いてしまう。

母といると、彼女はいつもバツの悪そうな顔をしている。そんな彼女の様子を見て、さらに苛立つ母の姿を見ていると、胸の辺りがムカムカしてくる。


「グレイと魔法の勉強をする約束がまた遅れてしまいそうですね。口聞きしてもらえますか?」

「はい」

レイシャを部屋から出す。

「あの子とは、うまくやってるんですか」

「はい。悪い子じゃないんですよ」

「そうですか……」

母は大人だ。たとえ思うところがあっても、自分とレイシャの交流を頭ごなしに否定するようなことはない。

自分がしている心配というものも、おそらく杞憂なのだと理解している。

「レイシャは私なんかよりずっと頭のいい子なんです。この前なんてミスローデの詩集を一言一句違えずに暗唱したんですよ。たった一日か二日読んだだけで。すごい子なんですよ」

母は、そうですか、と興味なさげに返事をしてくる。


他の子供、特にグレイとリッツのことを話すと母は興味深そうに話を聞いてくれる。

リッツにこんなことをしてもらった、あんなことをしてあげたと話すとにこやかに聞いてくれる。

しかしレイシャに対してだけは彼女は不寛容だった。

あの一件のことがあるからなのか、それとも彼女の母に対する態度がそうさせているのか。

心当たりはいくつかあるが、どうしようもないことのような気がしてしまう。

少なくとも自分は彼女に対して寛容でなくてはならない。そう感じた



〜〜



「それで、先生のお母さんの実家に帰省するって……何日かかるんですか」

母が家に帰ってから少ししてグレイが様子を見にきた。

貰い物のドライフルーツをポリポリと齧りながらベッドの隅に座り込んでいる。

先ほどレイシャに伝えている件については了承してくれているようで「そんなこと気にしない」と言ってくれた。

「二週間ぐらいですかね。そこまで離れてもいないですし」

「十分な長旅じゃないですか」

「カイン村までは平地が多いですから、馬車での移動がほとんどなんですよ」

「お金は、大丈夫なんですか?」

「母の実家が出してくれるそうです」

グレイは二つ目のドライフルーツに手を伸ばそうとした。数に限りがあるものだからそれを取り上げる。

「……思ったよりケチですね」

「お金にはうるさくなったほうがいいという母の教えがあります」


グレイはへぇと興味なさげに返事をする。

「金にうるさく、ですか。それは、僕らからしたら金が余ってる人間の理屈です」

「確かにそうかもしれません」

「なんか興味なさげですね」

どの口が、とも思ってしまうがここは黙っておく。


「先生は将来何になりたいんですか」

「将来、ですか」

「僕は将来父さんみたいな医導官になりたいんです」

素晴らしい夢だなと思った。

少なくとも、今何になりたいかをすぐ答えられない自分より彼は素晴らしい。

「先生は?」

グレイのキラキラとした目が眩しく見えた。

彼らからすれば自分は大層な人間に見えているのかもしれない。

しかし、ここ一ヶ月で色々と思い知らされてきたものがある。

そんな立派な理想は、とても口にできるものでなかった。

「私は、父のような軍人になれればそれでいいです」

よくある、回答だ。

「サルバリット様のような軍人、ですか……さすがですね」


「でも先生って、体動かすのはてんでダメですよね?ほら、この前リッツとチャンバラごっこした時なんかコテンパンに––」


それ以上はいけない。

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