第7話 寝台
レイシャは、まだ泣いていた。
マルトとリッツがいなくなって緊張の糸が切れたのか嗚咽まじりの涙を流している。
「ごめん、なさい。ごめん、なさい」
「もういいんですよ、レイシャ。怒ってなんかないですって」
「でもぉ」
「……強いて言えば、私が庇おうとしたのにそれを邪魔されたのだけは、少し怒ってます。あと、様づけなんてやめてください。次そんな呼び方したら怒りますよ」
「わかった」
彼女もやはり子供なのか、目を真っ赤にして泣きついてくる。
ぎゅっと体に抱きついてきて、涙でぐちゃぐちゃに濡れた顔をくっつけてくる。
「ちょ、ちょっと」
「ごめんなさい。魔法が使える、なんて嘘ついて」
そう言えばそうだ。なぜ彼女は嘘をついて自分に魔法を撃ってきたのか。
「私、褒めて欲しくて。シンさんが使えないって言ってた魔法が使える、って褒めて欲しくて、それで」
「そうだったんですか。いや、あれで魔力の使い方はわかりましたから。これ以上泣かないでくださいよ」
「ごめんなさい……」
どれだけ言っても、彼女は涙を流し続けた。ずっと涙を垂らしていて、身体中の水分を全部流してしまいそうで心配になる。
「これからは一緒に魔法の練習しませんか。グレイも一緒に。そうだ、グレイはどうしたんですか?やっぱり怒ってました?」
これまで大事になったのなら、おそらく彼にも自分が勝手に魔法の練習を始めてしまったと言うことは伝わっていることだろう。
それを知った彼の反応の方が、よっぽど恐ろしい。
「グレイは、シンさんのことが心配だ、って……ごめんなさい」
「だから謝らないで–––」
こうなってしまった人へなんと声を掛ければいいのかわからない。
何か自分が慰めるたび、彼女は泣いてしまうだろう。
自分の胴に頭を埋めて泣いている彼女の頭を、そっと撫でてやる。
彼女はぴくんと体を揺らすと、より一層大きな声で涙を流していた。
構わず撫でてやると、次第にその声は小さくなっていく。
「明日からもよろしくお願いしますね?」
「……う、うん」
さて、その前に自分はクビになってしまうのだろうか。
マルトの逆鱗に触れてなければいいのだが。
まぁもしクビになってしまったとしても、孤児院でのレイシャの立場が悪くなるぐらいなら些細なことだ。
そんなことを考えていたら、自分も疲れてしまって再び眠ってしまっていた。
〜〜
「父さん、先生をどうするんですか」
部屋を出た父に、問いかける。父はなぜか笑っていた。
「父さん?」
「シン坊、すごいよな」
「……まぁ、すごい人ですけど」
「クビにしたりはしねぇよ。つか今の状態で変に家に返せねぇし」
「そんなにひどい状態なんですか」
「レイシャの魔力が体に入っちまってるからな。拒否反応が起きちまってる。ほったらかすと命に関わるな」
「拒否反応?」
「他の人の魔力が体の中に入ると、それを追い出そうとするんだよ。足が動きづらいって言ってたけど、よくそれだけで済んだもんだ。レイシャの魔法は、付け焼き刃もいいとこだしな」
「そんなに……」
レイシャは、頭のいい子だ。
誰よりも聞き分けが良くて、わがままもほとんどない子だ。
だからこそこんなことをしでかしたと聞いた時は耳を疑った。
しかも相手は先生だった。てっきり彼女は先生を慕っているものだと思っていたが、経緯を聞いて納得もした。
余計に、なぜ彼女がそんな危ういことをしたのか、わからなくなった。
「魔法の使い方が分かってたら他人の魔力が体に入る前に身を守れるもんだが、シン坊はそれを練習したがってたってんだから、意味ねぇな……。あいつの持ってた本は早いうちに捨てないと」
グレイが持っていたという魔法書のことだろう。あいつは父さんからもらったと先生に言っていたらしいが、道端かどこかから拾ってきたものだと思う。
父さんがそんな怪しい本をグレイに渡すとは思えない。
ふと、医務室の方から大きな泣き声が聞こえてきた。
レイシャの声だ。
「行くなよ。シン坊ならうまく収めるだろ」
「……」
父には、俺が何をしようとしているのかお見通しだった。
「シン坊がレイシャを庇ってやってるなんて、ハナからわかってたよ。ったく、あいつはつくづくサルバと似てやがるな……」
「サルバ、ってサルバリット様ですか?」
「ああ。あいつは子供ん時のあの野郎にそっくりだ。シン坊ほど頭はよくなかったがな」
父とサルバリット様は古くからの友人とは聞いていた。しかし、そこまで幼い頃から交流があるとは思ってもいなかった。少しだけ、自分の鼻が高い。
「リッツ。お前が頼りになって俺は助かるよ。俺があんまりみんなに時間割けない分、面倒見てくれて」
「俺は一番年上だから、当然です」
「ああ、そうだったな」
父は偉大な人だ。
医導官というとても忙しい仕事をしているのに、何か辛い様子もなく、みんなのことを気にかけてくれている。
世話をしてくれるミシアおばさんだったりにお金をあげたりもしているらしいし、どうしてここまでしてくれるのか、俺にはわからなかった。
「レイシャには変わらず接してやれ。なんかバツが悪そうにしてたら声かけてやってくれな」
「はい。わかりました」
「頼んだぞ?」
そう言って父は外へと出て行ってしまった。
シラさん……先生のお母さんに事情を詳しく説明してくると言って、おそらく先生の家に行ったのだろう。
少しだけ気になって、医務室のドアの前で聞き耳を立ててみることにした。
父さんは行くなと言っていたが、レイシャの様子がどうしても気になってしまう。
医務室の前に立ってみると、そこにはグレイがいた。
「グレイ?何してるんだ、そんなところで」
「げ、リッツ」「盗み聞きか?」
「いや、ちょっと気になって……リッツは」
「実は俺も」
レイシャの声は聞こえなかった。
代わりに聞こえてくるのはおそらく、二人の寝息だった。
すぅすぅと言う眠っている空気の漏れるような音。
「先生、大丈夫なのか?」
「……父さんは、何も問題ないって言ってたぜ?」
グレイはてっきり怒っているものだと思っていた。
先生を傷つけたレイシャにも、自分に無断で魔法を勉強し始めた先生にも。
しかし、彼はただ心配でここにきていたという。
少し無愛想なやつだが、こう言うところがあるから憎めない。
ただ、少し気になるところがあった。
元はと言えばグレイが持っていた魔法書に書かれていた間違った内容のせいで、こんなことになってしまったのだ。事の発端はグレイにあると言っても過言ではない。
ただそれを今いうのはなんだか違う気がして、そっとしておくことにした。
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