第4話 孤児
孤児たちに文字の読み書きを教え始めてから三日がたった。
子供だからか物覚えもよく、マルトが裏で手を回していたのか教えられることに不満などは特にないようで懸命に励んでいる。
特に素晴らしいのはレイシャという、最初に挨拶した時から何かとこちら側についてくれていた少女だ。彼女は孤児たちの中でも特に頭がいい。十を聞いて百を理解する、そんな女の子だ。
年齢は6歳で自分と同じ歳だというのに、とてもそうとは思えない。それは自分自身にも言えることだが。
「シンさん、この文字はどういう意味があるのですか?」
彼女は二日目の時点で文字の読み方をある程度理解していた。帝国で使われている文字は決して難しいものではないとしても一から覚えたにしては違和感がある。おそらくマルトから簡単に習っていたのではないだろうか。
そんな彼女は他の子供たちとは違ってすでに一人で本を読み始めるところまで到達していた。帝国の歴史について書かれた小難しい本を一人で読み進めている。
「シンさん?」
「あ、ああ。その文字は……」
言葉が詰まる。
帝国の歴史というのはかなり古く、さまざまな変遷をたどってきて今がある。
その中にはとても子供には言えないような酷い話も多々あった。
「『奴隷』ですね」
「どれい、ですか。どういう意味があるんですか?」
「自分で調べたほうがいいかと。ほら、ここに辞書もありますから」
自分はそういって分厚い辞書を彼女に渡す。
マルトが子供たちのためにと、これ以外にもかなり高額なものをよこしてきた。
「おーい先生。こっちにも教えてくれよ」
「はいはい」
そう呼びかけてくるのはリッツ。初日に噛みついてきたこの孤児院の最年長、兼リーダーらしい。
初日には色々あったが、今は彼も懸命に文字を覚えようとしている。
「その、先生って呼ぶのやめてくれませんか。そんなに立派なことはしていませんし」
彼と自分とではかなり歳が離れていた。
彼は今10歳、大して自分は6歳。並んで立ったときには思いっきり背伸びしても追いつかない体格の違いがあった。
「でも先生だろ。文字以外にも色々教えてくれてるんだし」
「それはそうですが……」
ここで自分が教えているのは文字の読み書き以外にも算術、あとは雑談のついでに帝国の歴史なんかも軽く教えている。
父が家に残していった本で得た知識の偉大さがつくづく身に染みる。
「父さんも言ってたぜ、先生はすげぇって。俺よりこんなにちいせぇのに、なんでも知ってるんだもん」
「自分も勉強中ですから。すごいのは自分ではなく、学べる環境を残してくれた私の父です」
「サルバリット様かぁ」
リッツ、いやこの孤児院の子供達の態度がここまで豹変したのには理由があった。
なんでも我が父リンベル・サルバリットはこの国の英雄らしい。成人してからあらゆる戦場で武功をたて、ついには一兵卒から大兵団長まで上り詰めた英雄として。
ただの軍属貴族の倅ならここまで慕われることはなかったろうが、かのリンベル・サルバリットの嫡男!というだけ子供達の態度がここまで豹変した。そしてその英雄と交流があったマルトの株も同じく上がったことだろう。
「……その、あの時は悪かったな。貴族の息子だ、って言っちまって」
リッツが申し訳なさそうに頭を下げてくる。
「いえ、そんな。そう思われても仕方のないことですから」
リッツはここの子供達を引っ張ってきた男というだけあって義理堅く、誠実な男なのが見てとれた。最初、自分に突っかかってきたのも、おそらくここにいる子供達のためを思ってのことだったのだろう。
だからこそこうやって素直に謝罪をしてくる。おそらく将来は騎士にでも何にでもなれる男だ。
「ありがとうな」
そう言ってリッツは再び頭を下げてくる。
彼と話しているとこちらの気も少し晴れた。
〜〜
授業が終わると、孤児院にいる子供たちの世話役が家まで送ってくれている。彼らもまた文字の読み書きができない、貧しい家庭の出身だったところをマルトが養っているらしい。
そんな女中たちだが、今日は何やら用事があったようで少し出払っていた。
「一人で帰るのは危ないし、もう少しゆっくりしていけば?」と言うレイシャの誘いもあって、自分はまだここに残っている。
「先生はどうしてそんなに物知りなのー?」
「サルバリット様ってどんな人なの?」
「シン先生!剣術も教えてよ!」
「すいません、ちょっと順番に。ちょっと」
2、3歳になったばかりの子供たちも孤児院には多くいた。
無邪気でとても可愛らしいが、こう立て続けに世話をするのは疲れてくる。レイシャは女中の手伝いに出てしまっていて、リッツは他の部屋で他の子供達の相手をしていた。
自分より小さい子の相手というのはどうも馴れない。特にこの年齢の子供たちは読み書きを教わる年齢でもないため授業にも出ていない。
ほとんど話したこともない子供達に手間取っていると、グレイという自分より一つ上の男の子が隣に座ってきた。
「ちょっと、いいですか」
「え、ああちょっと」
子供たちの方に視線をやると、彼は何かを悟ったのか子供達に言い聞かせるように
「ほらガストラ、ガイゼン。少し先生が困ってるから後にしないか。ほら、リルも」
「えー」
質問攻めをしていた子供達が少しぶう垂れながらリッツのいる部屋へと走っていった。
「すいません。みんな貴族の子供なんて見るの初めてだから」
「いいんですよ。あの子達……」
「ガストラ、ガイゼン、あとリルです」
そういう名前だったのか。
「みんないい子達ですから。二、三年後にはお世話になると思いますよ?」
「覚えておきます」
グレイはくすくすと笑いながら一冊の本を取り出す。
「先生は魔法に興味はないんですか?」
「魔法、ですか」
興味はある。
存在を聞かされて母に何度も魔法書を買ってもらうように頼み込んだが、ダメの一点張りで辛かった記憶がある。
「これ、簡単な魔法の使い方の本です。父さんが僕にくれたんですよ」
「それは、すごいですね」
「先生、どうして魔法を教えてくれないんですか?歴史とか算術とかは色々教えてくれるのに」
痛いところをついてくる。
父の残した本は結構色々なジャンルのものが揃っていたが、なぜか魔法について書かれたものだけは一冊もなかった。
なんでか気になって母に尋ねたところ、そこにある本は軍の入隊試験に必要だったものらしく、その中に魔法はなかったそうだ。
確かに、魔法でわざわざ火をつけるよりマッチを使った方が早い世界では、戦争に魔法が必要とされることはないだろう。
魔法を勉強するというものは、基本的に医導官になりたい人間だけだ。マルトが魔法書を持っているのも、そのためである。
「父は軍人ですから。魔法について書かれた本は持ってないんですよ。勉強もできませんでした」
「へぇ、先生も知らないことがあるんですね」
なんて無神経な。
いや待て相手はまだ7歳の子供だ。
「……僕は父さんみたいな医導官になりたいんです。だから魔法は絶対に覚えなきゃいけないんですけど、どうしてもうまく使えなくて、それで」
グレイの身の上は、少しマルトから聞いていた。
彼の両親は少し前に流行病にかかって死んでしまったという。その時に看病をしていたのがマルトだ。身寄りのなくなってしまった彼を両親に変わって面倒を見ているのもマルト。
そういう境遇の子供が、ここには多くいた。
「私にもその本、読ませてもらえませんか」
「いいんですか?」
「興味はありますから。一緒に勉強しましょう」
グレイはパッと目を見開いて手を掴んでくる。
「はい!」
その後、女中が戻ってくるまでグレイと共に色々と本の中身を読みながら時間を潰した。
おそらく、これが友達というものなのだろうか。
こうして一日が過ぎていく。
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