第3話 母



シンが初めて孤児院に出向いた日、彼の母シラは自宅に戻るなり落ち着かない様子のまま編み物をしていた。

6歳になったばかりの子供が、自分より年上の子供達に何かを教えるということがどれだけ危ういことか。そればかり案じていた。

「大丈夫かしら」

こうなれば様子を見に孤児院まで戻ってしまおうか、いやそんなことできるのだろうか。

そもそもなぜマルトはそんな面倒な仕事をシンにお願いしに来たのか。シンがやってみたいと言い出したから認めたものの、元々は断るつもりでいた。

いや、自分はあの時断れただろうか。


マルトは気さくな男だった。誰とでも仲良くなれるし、子供思いのいいやつだという、夫の前評判通りの男だった。酒を飲むことが嫌いで、女遊びなんかも一才しない、格好や口調からは想像つかない一面がある男。


そんな彼がやつれて酒を飲みながらシンに頼み込んでくる。

その姿を見て、シンも驚いていた。


この国で孤児たちがどう生きていくのか、自分は全く知らない。自分には心優しい父親と母親がいたし、幼かった兄弟たちも誰一人死なずに成人できた珍しい家だった。

金には困っていなかったのだろう、そういう家しか自分は知らない。

リンベルの家も食うに困るほど切迫はしていない。たとえこの一、二年苦しかったとしてもきっと夫が大金を持って帰ってくる。

そんな家しか知らないからこそ、孤児たちがどうやって過ごしているのかがわからない。

親もいない中で彼らはどうやって食事をして、眠りにつくのだろう。子供なんて子守唄がないと眠れない、そんな生き物ではないのか。

そんな彼らが将来働いて家庭を作るなんてことができるのだろうか。身売りされて奴隷同然の扱いを受けるような子供もいるだろう。

マルトは、そんな子供をどれだけ見てきたのだろうか。


わからない。


「ヨォ、先生が帰ってきたぞ」

「ちょっとやめてください」

そう思い詰めていると、息子とマルトが帰ってきた。マルトは息子の帰り道を見守ってくれていたらしい。

「シン」

「はい。ただいま帰りました」

息子は、普段と何も変わらない様子だった。

少し疲れたような顔をしているが、それ以外におかしなところはない。


「どうだった?」

私が尋ねると、息子は少し笑いながら

「二人友達ができました。他の9人とも仲良くなれそうです」

「そう」


いつの間にか私は息子を抱きしめていた。




母は庶民としては結構裕福な家庭で育っていたらしい。そう本人から聞いていた。

それゆえ少し過保護なところがあった。元々この帝都出身ではない、穏やかな農村で育ってきていた彼女は、この街の治安の悪さを少し過剰に見ている節がある。

ただ孤児院に大人の保護がありながら出向いただけだというのに、ここまで仰々しく出迎えてくるとは思っていなかった。

そんな母を責めるなんてことはできないが。


少しして、孤児院に帰ろうとするマルトを母が引き留めていた。

「息子はどうでした?」

「シンは大したやつだったよ。自分より年上の子供にもビビらないで立派に色々教えていたぞ。あいつの言ってた通りライ……一番頭のいい男の子と、おとなしい女の子の二人と仲良くなってたみたいだ」

「何か、言われたりしてませんでした?」

「あー……俺は昼間は仕事があって出かけてたからな。うちの女中から聞いただけなんだ。実際どんな感じだったかまでは」

「そうなんですか」

ああ、と少し困りながら返事をするマルト。

実際彼は自分を紹介した朝方からこの時間まで戻ってこなかった。

医導官という仕事はかなり過酷と聞いていたが、それにも関わらずこうして時間を作れているのはさすがと言ったところか。


それからは少し社交辞令的な会話をしてマルトは孤児院へと戻っていった。

太陽がもうすでに沈みかけていて、このまま彼は歩いて帰れるのだろうか。

「今日はよくがんばりましたね。ほら、ご飯は作ってありますから早く食べて寝なさい」

その日でた料理は母の作った芋の入った野菜のスープだった。大好物だ。

少しだけ、それは普段より美味しく感じた。


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