第2話 教育
6歳になってすぐ、自分はマルトの運営する孤児院に訪れていた。
孤児院とは思えないほど綺麗な場所だった。出迎えてくれたマルトに酒の匂いはついていなかった。
「今日からここで皆さんに文字を教えるリンベル・シン・サルバリヤータです。よろしくお願いします」
マルトが早々に広間に孤児を集めて挨拶をするようにいってきた。
孤児の人数は11人。身なりはある程度揃えていて、孤児にはとても見えない。
聞くとマルトは本業の給料のほとんどをこの孤児院の運営に充てているという。なんとも美しい話だが、あまりいいことばかりでないのは察しがついていた。
この孤児院に来る途中にも、道端で同じくらいの年齢の子供が倒れていた。ここにつれてきてくれていた母がとても憐れんでいた。
孤児院の門の前にも、小さな赤ん坊が布一枚で置かれていた、三人ほど。
マルトはその赤ん坊を孤児院に連れると何か手紙を書いていた。
その手紙の中身をのぞいてみると、それは別の孤児院に預けてもらうように嘆願するものだった。
三人のうち一人は泣く体力も無くなっているようで、送り出す前に死んでしまった。
その赤ん坊を見るマルトの顔が、目について離れなくなっていた。
「よし、みんなもシンに挨拶しろよ。こいつはな、前から話してた俺のダチの息子なんだ。すげー頭いいんだぞ?仲良くしろよ」
「ははは」
乾いた笑いが出る。
孤児たちの視線が突き刺さる。多くは妬みと、卑屈に歪んだものだった。
親の七光りとはよくいったもので。優秀な軍人貴族の息子というだけで彼らからすれば自分は妬ましいものなのだろう。
マルトが耳打ちしてくる。
「すまない。今から仕事に出なくちゃいけなくてな、あとは任せれるか?」
「はい。大丈夫です」
「そうか……頼む」
この男は子供たちのためとなるとやはり真剣なものだった。
マルトの本業は医導官である。魔法を使って病気を治す、そんな仕事だ。
そんなことができる人間はこの国ではごく少数であり、彼はそれほどでかい仕事をしている、すげー人なのである。
孤児たちの方に向き直って、さて授業開始だと意気込んで
「それじゃあ、早速文字の読み方から、いいかな?」
……考えるとこれほど大人数の前で何かを話したことなどなかった。
意識し始めると、途端にそのことで頭がいっぱいになってしまった。
何を言おうとしていたのか、頭にはあるはずなのに口から出てこない。
なぜか孤児たちも自分お話を聞こうとしているように見えない。全然違う方を向いている。
「あー、えっと?」
「将軍の息子さん、なんですよね」
悩んでいると不意に孤児たちの中からそう尋ねられる。声の主は自分と同い年ぐらいの少女だった。
「将軍?いや、父は大兵団長で将軍では……」
「それでもすごいです!ね、みんな」
少女が他の子供達にそう問いかけるが、彼らはむすっとした顔で答えようとしない。
「貴族様がこんなところになんのようだよ」
一番背丈の高い少年が口を開いた。おそらく年齢は自分より三つか四つ上だろうか。
「俺らみたいなのみて馬鹿にしにきたのか。父さんがあんなにペコペコ頭を下げて、お前みたいなのに。なんだよ……」
父さんというのはマルトのことだろうか。
ふと思い浮かんだのはマルトがうちに来た日のこと。自分に文字の読み書きの先生になって欲しいと頼み込んできた時の彼の姿。
ただ今日は別に頭を下げたりなんかしていないはずだ。変な話である。
「いつマルトさんが僕に頭を?」
「さっき!部屋を出て行く前に頭を下げてたろ!」
気がつかなかった。自分が目を離した時、マルトは自分に頭を下げていたらしい。
孤児たちが自分のことを見ていなかったもそういうわけか。
「そう、だったんですか」
「父さんのこと騙して、こんなとこまできて俺らのこと馬鹿にするがそんなに楽しいか!」
少年の声は、まるで他の子供たちの気持ちを代弁しているようだった。
彼はおそらくこの孤児院の中でリーダーのような立ち位置なのだろう。ただ背丈が高いだけではなく、子供たちを引っ張って行くような存在なのだろうか。
「や、やめなよ。先生なんだよ?」
さっき自分に話しかけてきた少女が、彼を止めようとする。
しかし体格が違いすぎて、激昂する彼を見上げるような構図になってしまっていた。
気圧されてしまって彼女は何も言えなくなってしまう。
「こんなガキが先生なんて、おかしいだろ!元々父さんがいってた先生はどこに行ったんだよ!俺らよりずっと上の人連れてくるっていってたぞ!」
「それは、そう、だけど」
裏でそういう話が流れていたのか。なるほど彼らの態度もわかる。
「僕はマルトさんに頼まれてきたんです。騙したりなんかしていません。マルトさんはいろんな人に断られてしまった、といっていました。理由は分かりませんが、元々は僕に頼む予定はなかったそうです」
「そう、なのか?」
「そうです。気になるんだったらマルトさんが帰ってきた時に聞いてみてください」
「でもお前みたいなガキが先生だなんて」
現状を説明した。嘘は、言っていないわけではない。なぜ断られたか、なんてわざわざいうことでもないだろう。
「僕は文字が読めますし、書けます。算学だってある程度はできます。帝国の歴史も父さんから習いました。みんなにそれを教えることだって、できると思います」
先ほどから味方をしてくれている少女がわぁ、という声を出す。
「もし仮に僕の話を聞いても読み書きができないのであれば、僕はお給料をもらわない約束になっています。……信じてくれますか?」
そんな約束は一つもしていないのだが、まぁこれぐらいのハッタリは許されるだろう。というよりそうなったら僕の教え方が悪いのだから給料も受け取りづらい。
「……わかったよ。聞けばいいんだろ、聞けば」
「はい。そうしてくれると助かります」
彼の怒りも少しおさまったようで、多少しこりが残りながら授業が始まった。
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