第1話 無邪気な子供

5歳のころ


物心ついた頃には自分が何者であるのかがわかってきていた。

いや、何者になってしまっていたのかが、わかってきていた。


「シン。あまり外に出てはいけませんよ」


母の嗜めるような声が奥から聞こえてくる。

自分の名前はリンベル・シン・サルバリヤータとなっていた。

リンベル・サルバリットの息子として、この世に生を受けていた。

子供ながらに自分の身の上をこんなふうに説明するなど、気味が悪いが実際そう評せざるを得ない。


自分はおそらく元は違う人間だったのだろう。

元々違う人間として生きていたが、なぜかリンベル・シンとして生まれていた。

こう仮定するのも自分にはこの五年間のことしか記憶になかったからだ。


赤ん坊の頃からの記憶が残っていて、その上歳不相応な教養まで身につけている自分。どれだけ頭の良い子供であっても、自分はもしかすると別人なのかもしれないなんて考えることはないだろう。

故に自分は誰かの生まれ変わりである、そう考えたほうが筋が通っていた。


「母様、家の外に出て遊んでみたいのですが」

「何をいうんですか。人攫いに遭いますよ」


母の表情を見るに、おそらく本当にあり得ることなのだろう。

家からほとんど出たことはないがこの街の治安はあまり良くない。


「わかりました」

ここは一つ、物分かりのいい子供を演じてみることにする。

「シンも父様みたく強くなったら、いくらでも外に出れますからね」

「はい」

母との会話もすませて家の中を探検する。

といっても特に何もない場所だ。

生活するには困らないが、如何せんやることがなさすぎる。


「……父様はいつ帰ってくるのやら」


父は家を空けることが多かった。軍の高官だそうだ。

なんでもこのリンベルという家は結構いいところの貴族らしい。軍の中で功績を上げて貴族位まで獲得したのが、リンベル・ガイゼンという自分の祖父だそうだ。

その嫡男であるサルバリットも、祖父に倣って軍に士官して同じポストについたのだとか。

この国は今戦争をしていると聞く。

父もそれにともなってかなりの期間家を空けていた。

武勇に秀で、部下からの信頼も厚い優秀な軍人らしい我が父は、かれこれ一年近く帰ってきていない。


「ヨーぉ、邪魔するぜ」


酒の匂いを漂わせて家にずかずかと乗り込んでくる男がいた。

名をマルトという。

「あら、マルトさん。何かありましたか?」

母が家の奥から彼を出迎えに表に出た。

「いやな、ちと色々あって長くなる。上がってもいいか?」

すでに玄関を過ぎた場所にいる男がそう尋ねると母はどうぞどうぞと彼を奥に連れて行った。


旦那が戦争のために家を空けているというのに嫁が男を連れ込んでいる、なんてけしからん。

と思われるし、実際近所では噂になっているらしいが、この男がそういう人間でないことを母も父もわかっていた。


マルトがずかっとテーブルについた。それをみて母が

「それで、お話って?」

「そうだな、おーい。シン坊、ちょっと」

マルトが泥のついた髪をボリボリと掻きむしりながら呼びかけてくる。

「はい」

自分も席につく。子供の背丈しかないから椅子に座るのに手こずっていると母が抱き抱えて助けてくれた。

「お前、もうそろ6歳になるだろ?」

「あと三ヶ月で6歳です」

「そうかぁ、早いもんだなぁ」

マルトはひたすら子供に甘い男だった。自分にだけではない。彼は見ず知らずの孤児たちの世話をする孤児院を本業の傍で運営するほどの男だ。

「それで、うちのシンが何かありました?」

「ああ。ちょっと頼みたいことがあってな」

「頼み?」

「うちの孤児院、読み書きできる子供がいないんだよ」


この国の識字率というのはあまり高くない。教養のある人間、国に使える人間は文字がわかるが、それ以外の庶民はからっきしらしい。

父は軍の高官の息子であったため無論、文字が読める。しかし母は嫁いで来た当初、そういった教養はなかったそうだ。

それぐらい身近に文字が読めない人間がいる世界らしい。


「孤児院だから当たり前なんだがな。だけどよ、将来のことを考えたら必要だろ?」

文字の読み書きができるというだけでステータスになるこの国で、それができる。

たったそれだけである程度の職につけるのだ。身寄りのない子供達でも安心した仕事に就かせてやりたい、マルトは常に願っていた。


「それで、自分は何をすればいいんですか?」

「……うちの子供らに読み書きを教えてやってくれ。頼む」

「自分が、ですか」

「そうだ」

「でも誰かに教えたことなんて」

「そうです。なんでわざわざシンにそんなこと」

「誰に頼んでも無理だって断られたんだよ。そこまで金も出せねぇし」

「それでうちの子供に」

「そうだ。頼む」

子供が子供に勉強を教える。

しかしなぜ母にそれを頼まない?自分よりよっぽど適任である気がするが。

「確かに私は読めても書けないですから……でも、孤児院には年上の子もいるんですよね?」

「そこは、ほら。シンなら上手くやれるだろ?な?」

途端に不安になってきた。

いや、多分自分ならできるだろう。何せ中身はおそらく大人なのだから。

文字の読み書きも去年独学でマスターした。やろうと思えば外国語だって学べる勢いだ。

でもまだ6歳の子供だ。

年下のガキに偉そうに教わるなんて、7、8歳の子供がそう受け入れるだろうか。


「給料もすくないがちゃんと渡すからさ、頼むよ」

言い方はともかく、マルトの目は真剣なものだった。

おそらく何人もの教員に尋ねて断られた末にうちに来たのだろう。確かにマルトには父のいないリンベルの家を気にかけてくれていたという恩がある。

「……わかりました。やってみたいです」

「シン」

母が不安そうに見つめてくる。

彼女もおそらく自分のことを心配してくれているのだ。読み書きを教えることができるかどうか、というより年上相手にうまく接することができるかというところに。


「友達を増やしにいくと思って、やってみたいんです。だめですか?」

母は色々考えているようだった。

リンベルの家は父がいない今、金が足りなくなってきている。大黒柱の父がいない家に軍が補助金を出してきてくれているが、家賃と食費で赤字になってしまうほどの金額だ。

母は色々やりくりしてくれているようであったが、いかんせん幼い自分一人を置いてどこかに働きに出るわけにもいかずに悶々としていた。

今日も家の奥で編み物をしていたが、それは売りに出すためのものだったことを知っている。


「……わかりました。お願いします。でも」

でも、なんだろう。給料をもっとよこせとでもいうのだろうか。

「お給料は、私ではなくシンにあげてください。今までずっと家の中で暇させてきましたから、少しでも欲しいものを買えるようにしてあげたいのです」

「そんだけで、いいのか?」

「はい」

「……悪い」

マルトが深々と頭を下げてくる。

酒の匂いがまだ残っている。飲んだくれのダメな男、たった5歳の子供に頭を下げなければならないというこの男を自分はなぜか責めることができなかった。


ともあれ、自分の仕事が決まった。

たった5歳の子供が、勉強を教えるという異常な事態になったそういうこともあろう。

何より、自由に使える金が手に入るというのがなんとも嬉しい。

魔法の勉強ができるというのが、何よりも心躍っていた。


この時までは




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