番外編2 蘇 夏琳の誤算 後編



 青鏡せいきょう殿。第一皇子青藍せいらん様の宮殿。従者に案内された先。部屋の扉の前で、わたくしは高鳴る胸の鼓動を静めるために深呼吸をし、手持ち重箱を握り締め、開かれた扉の向こうで待つハク様の麗しい姿を思い浮かべていました。


夏琳かりんさんね、はじめまして!」


 明るくてハキハキした声が耳に届く。

 ん? どちら様でしょう?


 桃色の質素な漢服を纏っているのに、どこか品のあるその方の姿を見た時、わたくしはふとあの時の光景が頭に浮かびました。花嫁探しの儀式での出来事。そこで、彼女が誰かを思い出したのです。


「あなたは····確か、 雲英うんえいさん、でしたかしら? どうしてあなたがこちらにいらっしゃるのです?」


 見た目はまあ、中の上くらいかしら?

 瞳の色はこの国では珍しい緑色。

 彼女はいったいどういう立場でここに?


「私はハクちゃんの侍女兼主治医というか、友だち以上親友未満って感じかしら。完治するまでは、ここで一緒に生活するっていう約束なの」


 一緒に生活?

 とういうか、この方。先程からなんだか馴れ馴れしい気が····。


「あ、夏琳かりんさん、こんにちは」


「ハク様。 本日はお招きいただき、ありがとうございます」


「い、いえ! こちらこそ呼び出してしまってすみませんでしたっ」


 ハク様は深く頭を下げてなぜか謝るので、わたくしはどんでもないですと首を振った。それよりも、気がかりなことがあったのでそちらを訊ねてみる。


「怪我の具合はどうですの? 顔色は悪くないようですが、」


「はい。雲英うんえいさんのおかげでなんとか包帯も取れました」


  雲英うんえい。彼女に対して抱いた感情。それがなにかはわからないけれども、これだけはわかりますわ。


(ハク様をひとり占めするなんて、許せませんっ)


 そもそも、もっとちゃんとした医官に診てもらった方がいいのでは?


 彼女はただの見習いと聞きました。そんなひとに大事なハク様を任せるなんて、青藍せいらん様はいったいなにを考えていらっしゃるのかしら?


(とにかく、ハク様の親友にふさわしいのはどちらか、見極めさせてもらいますわ!)


 まず手始めに、当初の目的である『ハク様と刺繍を楽しむ会』で、この方を試してみましょう。ハク様の傍にいるのなら、これくらいは完璧にできて当然ですもの!


「あの、実はあんまりこういうのやったことなくて。良かったら教えてもらってもいいですか?」


「もちろんですわ。わたくし、花嫁修業のために様々な習い事をしてきましたから、なんでも聞いてくださいませ」


「ハクちゃん、刺繍なら私も得意だよ? 傷口を縫合する時に役に立つから、自己流だけど小さい頃から趣味でやってたの」


 丸い机を中心にして、わたくし、ハク様、 雲英うんえいという並びで囲むように座り、予め用意してくださっていた裁縫道具と刺繍用の布を各々広げる。この時点でわたし 雲英うんえいはお互いに不敵な笑みを浮かべ合って、その意味を理解する。


(お互いに、勝負ということですわね····望むところです)


 ハク様には基本的なやり方を教えて、その後は笑顔で会話を交わしながらも手は黙々と動かして縫い上げていく。


「完成ですわ」


「私もできた~。ハクちゃんはどう?」


「····初心者なりに頑張りました」


 自信なさげに布を隠すハク様····可愛らしい!


「ふふ。じゃあせーので見せ合いっこしましょう。誰の作品が一番か勝負ね!」


  雲英うんえいは自信満々のようで、余裕の笑みを浮かべている。もちろん、わたくしも負けませんわ!


「じゃあいくよ~。せーのっ」


 同時にお互いの作品を机の上に並べる。わたくしはこの国の守護聖獣である青龍を。 雲英うんえいは白に黒い模様が入った白虎を。そして、ハク様は····。


「ハクちゃん、可愛い~。兎さんね!」


「素晴らしいですわ! 周りのお花もよくできてますし、なによりまるで生きているようです!」


「そんな大袈裟な····、」


 はじめてとは思えない、見事な仕上がり!


 白い布ではなく青い布を選んだのはそういうことだったのですね。なにより、中心の赤い瞳の兎が可愛らしい。お世辞ではなく、本当に素晴らしい作品でしたわ。


「私なんかのより、雲英うんえいさんと夏琳かりんさんの作品の方が断然すごいです。こんなの、手縫いでできるなんて信じられません」


「やった~。ハクちゃんに褒められた~」


「これは····引き分けということでいいですわね」


 く······これは文句が付けられない。

 やりますわね、 雲英うんえい


「ふふ。夏琳かりんちゃん・・・もお疲れ様~。これで私たちも、友だちだよねっ」


 は? 今、なんて言いました?


「だって。一緒に遊んで、笑って、気が合うってわかったら、友だち以上。もう親友といっても過言ではないわ!」


雲英うんえいさんの言う通りです。まだ時間はありますから、たくさんおしゃべりしましょう」


「····いいんですの?」


 もちろんです、とハク様は微笑んで頷いてくれた。ハク様とはすでにあのお茶会の時点で親友でしたから今更ですけど、まさか 雲英うんえいとまで親友になるなんて。誤算ですわ····。


(彼女とはどちらかと言えば、ハク様を奪い合う好敵手という感じでしたのに····どこで間違えたのでしょう?)


 その後三人で楽しくお茶会をしていると、扉を叩く音と共に聞いたことのある声が聞こえてきた。


青藍せいらん様だ····どうしたんだろう、」


 ハク様は首を傾げて扉の方を見つめてゆっくりと立ち上がり、声のした方へと歩いて行った。もしかして煩くしすぎたのかしら?


 わたくしとしたことが、楽しすぎて周囲への配慮を怠ってしまうなんて。


「ホント、青藍せいらん様って嫉妬深いっていうか····ハクちゃん至上主義っていうか。愛されてますな~」


「どういう意味ですの?」


 横でぽつりと呟いた 雲英うんえいに対して、眉根を寄せる。なにを言っているのでしょう。


 青藍せいらん様が嫉妬深い?

 至上主義とは?

 それはいったいどういう意味なのかしら?


 机に頬杖を付いて、にっこりと笑う彼女。その笑みはなにか含みがあって読めない。別に青藍せいらん様に対して 雲英うんえいが想いを寄せている、という雰囲気とも違っていて、素直に疑問だけが残った。


「私たちがハクちゃんを独占してるのが嫌なのよ。あの調子だと、扉の向こうで聞き耳でも立ててたんじゃないかしら?」


青藍せいらん様がそんなことする必要がありまして?」


「まあ、本来の青藍せいらん様ならそんなことしないんでしょうけどね、」


 ますます意味がわかりませんわ。

 本来もなにも、青藍せいらん様は青藍せいらん様でしょうに。


「でも、あんなお顔もされるんですのね」


 何を話しているのかははっきりとは聞こえないが、ハク様の耳元でなにか囁いている青藍せいらん様の表情は、どこか幼く、いたずらっ子のようにも思えた。きっとあれは、ハク様の前でだけ見せる特別なものなのでしょう。


「ねえねえ。夏琳かりんちゃんは、青藍せいらん様のことはもう諦めちゃったの?」


「諦めるもなにもわたくし青藍せいらん様に好意はもっていませんもの。よう妃様に花嫁候補として推薦はしてもらいましたが、わたくしの意思ではありませんし。親のためにと受けたことでしたから、」


 もちろん、万が一の可能性を夢見ていたのは事実。だって、皇子様の花嫁だなんて、誰もが憧れる夢でしょう?


「それよりも、ハク様の可愛らしいお顔を眺めている方が、ずっと幸せですわ」


「そうなの? うーん。夏琳かりんちゃんも本当の意味で幸せにならないとね、」


「もう十分なくらいですわ」


 親友と呼べる者なんて今までいなかった。周りはみんな敵だらけ。笑っていても心の中では罵っているような関係。けれども、このおふたりは違う。本当に楽しい時間だった。こんなに心から楽しめたのははじめてかもしれない。


「また、遊びに来ても····いいのでしょうか」


「もちろんだよ!って、私が言うことじゃないけど。ハクちゃんもきっとおんなじ気持ちだと思うよ?」


  雲英うんえいわたくしの手を取って無防備な笑みを浮かべた。歳の変わらない彼女とは、これかも上手くやれそうな気がする。


「····ありがとうございます」


 本当はハク様とたくさん仲良しになろうと思ってやって来たのに、彼女との関係の方が深まった気がします····。


 帰り際に教えてもらったこと。どうやら近い内に青藍せいらん様がハク様を正式に妃として迎える意思を、皇帝陛下に伝えるとのこと。


 きっと、あのおふたりなら認められることでしょう。だって、あんなに想い合っているのですから。


(あら。そういえば、ハク様の記憶は戻ったのでしょうか?)


 一番大切なことを聞きそびれてしまったけれど、また今度お逢いした時にでも訊いてみることにしましょう。


 さて。

 次はなにをして遊びましょうか。




番外編2 蘇 夏琳の誤算 後編 ~完~


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