第二章 ヒロイン(俺)に対する距離感が、全員バグっている件。

2-1 取引をしましょう



 あれからすぐに別の部屋、というかほぼ家と言ってもいい快適な場所を提供され、 雲英うんえいとの共同生活が始まった。いや、俺、一応男なんだよね····嫁入り前の女の子と一緒に暮らしてもいいのかな? いや、普通に考えて駄目だよね? 男だって知られたら、即終了。身バレからの、死罪確定。


(逆になんでバレないんだ? 見た目? 見た目があれ・・だから?)


 追加された『美しい白髪の暗殺者』もとい、『記憶喪失の白髪の少女』の立ち絵を確認した俺は、正直「え?」となった。あの短いやり取りの間に、俺の肩書きはいつの間にか書き換えられ、少女という認識にされていたのだ。もちろん、物理的には少年で間違いない。それよりも驚いたのは、どこか現実世界の俺に似ていたこと。


(俺のコンプレックスをこれでもか、というくらい丁寧に描かれたキャラ····BLだと完全に"受"ってやつだよね?)


 ぞぞっと背中に氷でも入ったかのように寒気を感じた俺は、自分の身を守るようにぎゅっと抱きしめる。それってつまり、あのキャラやあのキャラやあのキャラから迫られるってこと? 俺自身が攻略対象ってそういうことだよね?


 唯一の安全地帯なのが親友枠である 雲英うんえい。つまり、ほぼ同棲状態なこの状況であっても、恋愛イベントはひとつも起きないということだ。


(それはそれで、なんだか悲しいような····)


 この見た目は明らかに異端で、奇形。長い白髪に赤い瞳って、擬人化した兎みたい。過去に何かあってこうなったのか、それとも生まれつきなのか、はたまた妖怪の類か····追加された詳細を読んでも、それについての記載はなかった。


 ただ、幼い頃の記憶が曖昧という記述は、少し気になる。本編もそうだったが、この元乙女ゲームのBADエンドはかなり悲しくて鬱展開が待っている。曖昧な記憶がBADエンドのフラグでないことを祈りたい。


「あ、ハクちゃん、目が覚めた? 新しい服できたって! さっき女官のひとが持って来てくれたの」


 早い。早すぎる。

 あの日からまだ三日も経っていない。もしかして皇子が急がせたのかな? 職人さんたち、俺なんかのために徹夜なんてしてないよね?


  雲英うんえいは満面の笑みで、受け取った漢服を俺に見せてくれた。彼女の瞳は明るい緑色で、長い黒髪は可愛らしく結い上げている。メインヒロインに相応しい、誰にでも愛されるような可愛らしい顔立ち、少し思っていたのと違うが明るくハキハキとしたこの話し方は、この数日でだいぶ慣れた。


「あ、ありがとうございます····えっと、あの、ひとりで大丈夫なので、出て行っていただければ、」


 あの皇子が注文した通りの上質な白を基調とした上衣。それに合わせた赤色の生地で作られた上衣の中に纏う衣を受け取る。しかしなぜか 雲英うんえいは俺をじっと見下ろしたまま動こうとしない。寝台の上に座ったままの俺との距離はほぼないに等しい。


「ひとりで着替えられないでしょう? バンザイしてみて?」


 ぎく、と俺はあからさまに肩を揺らした。彼女の言う通り、俺の右肩はまだまだ完治には遠く、腕を上げることもままならない状態だった。


 でも着物に似たこの漢服なら、多少腕が上がらなくても着られる気がする。着付け方はさっぱりわからないが、彼自身は知っているだろうから、おそらくひとりでも着られるはず。


「ほらほら、できないでしょう? 私に任せて!」


「い、いいですっ! 間に合ってます!」


「もしかして、男の子ってバレると困るから? それなら安心して! 初日ですでにバレてるから。心配しなくても大丈夫よ? 私、口は堅い方なの。みんなには内緒にしててあげる。なにか事情があるんでしょう? 皇子様、素敵だものね~。 わかるわ、その気持ち!」


「····え? いや、バレてるって······ええっ⁉」


 いや、よく考えてみればバレないわけがなかった。だって、彼女は傷口を手当てする時に、俺の上半身を見たはずだ。いくら胸が小さいと誤魔化そうが、男と女でははっきりと見た目が違うわけで。仮にも医者を志している彼女が気付かないわけがないのだ。


「ね、だから大丈夫なの。私に全部任せて?」


 このゲームの年齢設定上、 雲英うんえいは十六歳。俺のキャラは十五歳。ひとつしか違わないというのに、なんだかもっと年上に思えてくる。


 本編をプレイしていた時は、真っすぐな性格で行動力もあり、時々見せる年相応の幼さが魅力的だったのだが、目の前にいる 雲英うんえいは、"頼れる年上のお姉さん"という、印象が強い。


 隠しルートでは、少し性格が違うのかもしれない。本編でも、別ルートの話の時にキャラの性格や行動が正規ルートと違うことが多少あった。これもそういう仕様なのだろうか。とにかく、もう俺が男だってバレているなら話は変わってくる。


「ますます大丈夫じゃないです····俺、男なんですよ? 少しの間であっても、見知らぬ男女がひとつ屋根の下で一緒に生活するなんて、よくないです」


「見知らぬ、なんて寂しいこと言わないで? 私、あなたと友だちになりたいの!」


 俺の手を取り、彼女はぐいっと遠慮なしに顔を近づけてきた。ふたりの間に挟まれた漢服がくしゃりと圧迫され、可哀想なことになっている。それくらい彼女は強引で、驚くほど力が強かった。って、なんか興奮してる? 顔が怖いんですけど!


「私の目的はただひとつ! あなたと皇子様のいちゃ····じゃなかった、あなたが花嫁に選ばれるように協力すること!」


「は?」


「だって、あなたは性別を偽ってでも皇子様の花嫁に選ばれたかったんでしょう? 私は王宮にさえ入れれば自分の本当の目的は果たせるから、あなたの侍女になればいいって思ったの。それに、あの皇子様、あなたのことすごく気に入っているみたいだし、こんなおいしい····じゃなくて、いい機会、二度とないって思ったの」


 所々言い直したり、他にも情報が多すぎて俺は目が回りそうだった。


 俺を皇子の花嫁にする?

  雲英うんえいが俺の侍女って?

 いや、それより····いちゃ、ってなに?

 おいしい? って、なにが?


 なにがなんだかわからない。

 とにかく 雲英うんえいは、どうにかして俺とあの皇子をくっつけたいようだ。


「あ····う······俺は、ここを出たいんです。花嫁候補には勝手にされただけで····皇子様とどうにかなろうなんて、思ってません」


「うーん。それは、おかしいわね······ハクちゃん、記憶が戻ったの?」


「え⁉ 記憶が戻ったって····どうして、」


「だって、花嫁になったの、自分の意思じゃないって、今」


 まずい。すごくまずい。


 だらだらと嫌な汗が湧いて来るような感覚に、俺は苦笑を浮かべるしかない。ぐいぐいくる彼女をどうにかしたいあまり、余計なことを口にしてしまったようだ。どうしたらいいんだ⁉ こういう時に限って無言で頼りにならないナビゲーターに、俺は心の中で訴える。


「言ったでしょう? 私はあなたの味方になるって! 記憶が戻ったならそれはそれでよし。こっちにはこっちの事情もあるしね。じゃあ答えは簡単。ハクちゃん、私と取引をしましょう」


 そう言って、 雲英うんえいは自分の唇に人差し指を当てて、悪戯っぽく片目を閉じるのだった。



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