1-10 モブ暗殺者、記憶喪失を偽る



 目覚める前、ものすごく嫌な夢を見ていた気がしたけれど、口の中に広がったひどい苦みとマズさ、薬の臭いによって意識が戻される。どくどくと波打つような右肩の痛み。それから、自分を見下ろす人影がぼんやりとした視界の中に映った。


「····あ、れ······生きて、る? ゔぅ····口の中、へん····にっが····うぅ····やだ、これ」


 おえぇと舌を出して口の中の違和感に驚きつつ、涙で滲んだ視界を拭って、視線だけ動かす。


 どうやら俺は寝台の上に寝かされていたようだ。ここから見える範囲でわかることは、ゲーム内で何度か主人公が訪れる皇子の部屋に似ていることくらいだろうか。


(····って、え? どういうこと? 俺、皇子を庇って死亡確定コースだったはず、だよね? なんで生きてるの?)


 そういえば、隠しルートがなんとか。分岐がなんとか。ゼロが言っていたような。


 毒に倒れた後、暗闇の中でゼロが見せてくれた画面の内容をだんだんと思い出してきた俺は、乙女ゲームに転生したはずが隠しルート突入でBLゲームに変わってしまった現実を、思い知ることになる。


「君は、私を庇って毒に侵されたんだ。良かった····意識が戻ったんだな」


 その声は、どこまでも優しく、どこかほっとしたような声音だった。

 絶対にありえないことが、今まさに目の前に起こっている。


(なんで正規ルートの攻略対象が、心配そうに俺に話しかけてくるの?)


 そういえば、ゼロが言っていた····。


『隠しルートをプレイするにあたり、再度注意事項を申し上げます。ひとつ、選択肢のやり直しはききません。ふたつ、攻略対象であるあなた自身は、他のキャラの攻略はできません。みっつ、あなたを攻略する他キャラがすべて男性キャラのため、この物語はこれ以降、乙女ゲームの概念はなくなり、BLゲームに変更されます。なお、前作の主人公である 雲英うんえいは親友枠になります。物語の進行上、友好な関係を築くことをおすすめします』


(うぅ····やっぱり夢じゃなかった)


 気を遣ったのか、それともただの仕事としてなのか。表示された画面と共に、ゼロの機械的な音声案内が頭の中に響いた。


(渚さんは、乙女ゲーム以上にBLゲームが好きだったのかも。俺に合わせて乙女ゲームの話に付き合ってくれてたのかな····、)


 第一皇子、青藍せいらんが反応のない俺をじっと見つめてくる。俺は動揺して、


「あ····えっと······お、····私、は、」


 と、言葉に詰まってしまった。どうしたらいいんだろう。自分が本当は暗殺者で、皇子を殺すために花嫁に変装して潜入してました、なんて言えるわけがない。


 しゅん、と気持ちが沈む中、再び目の前に選択肢が現れる。


 【一、本当のことを話す】

 【二、自身の素性を偽る】


 いや、本当のことを話したら即死罪だよね?

 でも偽るって····それはそれで後々詰んじゃうんじゃない? どうしてこのルートの選択肢は、こうも極端なんだろうか。


(と、とにかく····ここは一日でも生き延びるのが正解かな?)


 俺は【二、自身の素性を偽る】を選択した。


「もしかして、君、記憶が····、」


 選択肢を選んだ途端、青藍せいらんが呟いた。どうやら記憶喪失と思われてしまったようだ。偽る、という意味では一番効果的な要素かもしれない。

 なにか疑われたら、記憶喪失を理由に色々と誤魔化せる気がする。


「······私は、誰ですか?」


 我ながら微妙な台詞しか思い浮かばず、思わず落ち込んでしまう。


(もっとこう、他になにか良い台詞があったと思うんだけど! 私は誰? ってなに!? このひとたちが知るわけないじゃん!)


 しかし、そんな俺に誰かが突っ込むこともなく、その場に集まっていた青藍せいらん海鳴かいめい 雲英うんえいはますます曇った表情になり、重い空気が漂っていた。


「困りましたね。これはおそらく一時的な記憶喪失でしょう」


(あ、あれ? 明らかに怪しいのに、疑わないって····なんで?)


  雲英うんえいが真面目な顔でこの『記憶喪失』設定にのってくる。


「名前も思い出せないのか? なら、そうだな····君は白くて美しいから、ハクと呼ぼう。怪我が完全に治るまで、客人としてこの宮で休むといい」


(って、あなたは疑った方がいいってば! 命を狙われてるんだから!)


 青藍せいらんはこんな自分に名前まで与え、客人として扱ってくれるようだ。両者、まったく疑う様子もない。これがご都合主義というやつだろうか。


「······いいん、ですか? 誰とも知れない····私、なんかを傍において」


 もうこうなったらこのまま記憶喪失を通すしかない。俺は、気が引けながらも途切れ途切れになんとか言葉を紡いだ。


「君は私の命の恩人だ。君がいなければ、私も命があったかどうかわからない。遠慮せずに、なんなら自分の家だと思ってくれてかまわない」


(みんなして、俺のこと騙してない? なんでここに留めようとするんだろう)


 俺はだんだん怖くなってきた。もしかして全部バレてて、暗殺者という絶対的な証拠を突き付け、逃げられないようにするつもりなのかも。ほら、護衛官の海鳴かいめいがめちゃくちゃこっち見てるもん!


(けど、怪我が治らないと上手く立ち回れなさそうだし····BLゲームだし、青藍せいらんとどうにかなっちゃうルートもあるのかも)


 確か、俺自身が攻略対象って書いてあった気も····いやいや、ないないないない! あり得ない!


海鳴かいめい彼女・・の新しい服を仕立てさせるよう手配してくれ。あまり肌は出さないようなものがいい。負った傷が目立つと可哀想だからね。そうだな····白を基調にして、赤い生地を合わせたものが似合う気がする」


「はい、そのように伝えます」


 ええっ!? 海鳴かいめいのあの視線は、皇子に変な虫が付かないように睨みをきかせていたんじゃないの⁉


「遠慮はいらないよ。女性がそのような姿のままでは忍びない。私のせいで駄目にしてしまったようなものだから、お詫びに贈らせて欲しい」


 混乱している俺をよそに、話がどんどん進んで行く。これは良くない気がする!


「あ、あの! 本当に、大丈夫ですから····それに、痛みはありますがもう平気です。ご迷惑をかける前に、今すぐにでも、ここから出てい」


青藍せいらん様、もし可能であれば、私にこのままこの方の面倒を看させてもらえませんか? 負った傷は深く、毒もまだ完全には解毒されておりませんし。自分が処置した手前、最後まで責任をもってお世話したいのです」


  雲英うんえいが俺の台詞を遮って、青藍せいらんに訴える。もはやここに留まるしか選択肢はないのかもしれない。そもそも選択肢も出て来ないことを考えると、この流れが正規なのだろう。そう思わざるを得ないような強制的な流れが、今まさに繰り広げられている。


「そうだな、それがいいだろう。では、この部屋ではなく、別の部屋を用意させよう。海鳴かいめい、そちらの方を先に頼んでもいいかい?」


「はい、仰せのままに」


 拱手礼をし、海鳴かいめいは部屋を出て行った。皇子の権限ってなんでもありなんだな····。俺はどっと疲れて「はあ」と人知れず溜息を吐き出す。そういえば、皇子の花嫁探しの儀式はどうなったんだろう。あんな事件の後だから、再開するのはずっと先だろうか。俺は、これからどうなってしまうんだろう。


 考えれば考えるほど憂鬱になり、右肩の痛みに顔を歪める。


「大丈夫? 痛みは数日続くと思うわ。ごめんなさいね? 高価な薬をたくさん使わせてもらったんだけど、思いの外深い傷口だったから····痕も残ってしまうかも」


 そ、と寝台の横にやって来た 雲英うんえいが、申し訳なさそうに頭を下げた。この主人公、本当に良い子なんだよなぁ。彼女が悪いわけじゃないし、そもそも暗殺計画を企てたこと自体が間違いなのだ。


「どうか謝らないでください····命を救ってくださり、ありがとうございました」


 俺は彼女よりもずっと深く頭を下げ、気持ちを込めて御礼を言った。


(どうにかして、正規ルートに戻せないかな? 主人公と青藍せいらんをくっつけて、本来のカップリングに修正してあげたら、物語は通常迎えるはずのハッピーエンドで終わらせられるんじゃない?)


 俺は決めた。

 この物語の本来の主人公、そしてヒロインである 雲英うんえいのために、なんとかして青藍せいらんとくっつけてみせる!


 そして俺は隠しルートから解放され、モブ暗殺者としてではなく、ただのモブとして平穏に生きよう。手に職を付けて、都で働くのも悪くない。でも物語が終わった後、その先も永遠に続く保証なんて、どこにもないんだよな····。


『残念ながら、隠しルートからの正規ルートへの分岐は存在しません』


 ですよね〜。

 ちょっとでも夢を見た俺が馬鹿でした!


 俺が自信満々に掲げた決意表明は、開始数秒ゼロのひと言によって、見事にぽきりとへし折られてしまうのだった····。




◆ 第一章 了 ◆


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