1-10.5 あの日の過ち ※



 柔らかい感触が唇に伝わり、そのまま隙間を埋めるように深く口付けた。


 吐息まじりの声が漏れる。俺は息を分け与えるようにゆっくり、少しずつ流し込んでいく。口に含んでいた分をすべて与え、一度唇を離す。


 失っていた空気を吸い込むように胸を上下させ、白煉はくれんが眉を寄せてものすごく苦そうな顔をした。それがなんだかやけに艶っぽくて、先程までの緊張感が薄れていくのを感じた。


 口から零れた一筋の液体をそっと袖で拭い、頬に触れる。抱き上げた時に感じた冷たさは今はなく、ほんのりと色付いている肌に安堵した。なにもかもが白い白煉はくれん。肌も髪も滑らかで美しい。


(ぜんぶ、飲ませないと、)


 その後は慣れたもので、躊躇うことなく何度も唇を重ねる。隙間から漏れるか細い声が、余計に俺を夢中にさせた。幸福感、とでもいうのだろうか。


 俺は善意でやっていたはずなのに、最後には高揚感を覚えていた。もっとしたい。あんなにあった薬は、いつの間にか空になっている。俺は自分の感情を疑った。もしかして、ゲームの中のキャラに欲情したのか? いや、違う。


(······最悪だな、俺)


 白煉はくれん白兎はくとじゃない。それなのに俺は、白兎はくとを想像して欲情したのだ。こんなの、最低以外の言葉が見つからない!


 身体をそっと寝台に沈ませ、解放する。この先、これ以上のイベントが発生する。その時、どんな気持ちで俺は物語を進めればいいんだ?


(やっぱりこれは、白兎はくとを守れなかった俺への罰なんだろうな)


 そもそもこの隠しルートは、俺の願望を形にしたもの。幼馴染との再会、失った時間のやり直し、想いを伝えることがどれだけ重要か。お互いを想いすぎたせいですれ違い、それでも惹かれ合いながら、最後は両想いになって幸せになる。そんな純愛BLゲームなのだ。


 俺の今の気持ちは、純愛なんかじゃない。


 これは、疑似恋愛ってやつだ。自分の好きなひとを想像して、甘い台詞ややり取りに満足して、キャラクターを好きになるあれだ。


「····う······ん····、」


 そんな中、白煉はくれんの瞼がふるふると震え、色っぽい声が漏れる。俺は思わず目を瞠った。そうだった。物語はこうしている間も勝手に進んで行く。濡れたままの唇にドキッとしつつ、その瞳がゆっくりと開かれるのを見守った。


「····あ、れ······生きて、る? ゔぅ····口の中、へん····にっが····うぅ····やだ、これ」


 うわぁ····可哀想に。俺でもマジで無理な苦さだったからな。でもヒロインが死んだら物語が終わっちゃうから、これは仕方ない。


 ヒロインとは思えないものすごく歪んだ表情を浮かべ、涙目になっている白煉はくれんは、辺りを視線だけ動かして観察しているようだった。


「君は、俺を庇って毒に侵されたんだ。良かった····意識が戻ったんだな」


 先程までの鬱々とした気持ちを引きずったまま、俺は決められた台詞を言った。今俺はどんな顔をしているのだろうか。わからない。でも、上手くやってる方だろう?


「あ····えっと······お、····私、は、」


 戸惑った表情で、白煉はくれんは俺から視線を逸らす。俺は知ってる。この後、彼がなんと言うのか。暗殺者である彼が、今のこの状況下で生き延びる術はただひとつ。自分の素性を知られない、こと。


「もしかして、君、記憶が····、」


 俺のその言葉に、白煉はくれんは思い出したかのように大きな瞳を開き、それからしゅんとした表情で小さく頷いた。


「······私は、誰ですか?」


「困りましたね。これはおそらく一時的な記憶喪失でしょう」


  雲英うんえいがこの『記憶喪失』にのってくる。当然だ。暗殺者であり男でもある彼が花嫁として潜入していたばかりか、皇子を殺そうとしていた事実が他の者に知れれば、重罪人となり、最悪死罪になってもおかしくないだろう。


 まあ、そんなことにはならないのだが、ここはこの設定が正解なのだ。


「名前も思い出せないのか? なら、そうだな····君は白くて美しいから、ハクと呼ぼう。怪我が完全に治るまで、客人としてここで休むといい」


「······いいん、ですか? 誰とも知れない····私、なんかを傍において」


「君は私の命の恩人だ。君がいなければ、私も命があったかどうかわからない。遠慮せずに、なんなら自分の家だと思ってくれてかまわない」


 白煉はくれんは俺の提案に対して、少し疑いの眼差しを向けつつも頷いた。


 触れた時。絹のように滑らかだと思った、長い白髪。可愛らしさと美しさを併せ持つ、ひとを惹きつける不思議な魅力がある容貌。細身だが柔らかい色白の肌。



 その赤く大きな瞳は、奇形で異端なものだというのに、どんな宝石よりも美しいと思った。



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