1-8 絶対に駄目!



  雲英うんえいは確かに元宮廷医官の娘であり、その知識も技術も受け継いでいる。父親が普通の医者として都の郊外に構えた屋敷は、お世辞にも立派な建物とは言えず、ほぼタダ同然で患者を診ていた。


 御礼として野菜や穀物を貰い、生活自体は成り立っていたが、雲英うんえいにしてみれば"お嬢様"から"娘さん"という扱いに変化し、薬となる材料も自分たちで調達しなければならない始末。


 かつては父の玉佩を出せば簡単に手に入れられたものも、今では貴重すぎて手が出せないという貧乏生活。身に纏う衣も汚れてもいいような質素なものばかり着るようになった。財産を没収されたわけではないが、こんな状態ではいずれ無くなってしまうのは目に見えている。


 けれども父は、お金のないひとたちを救うのに躊躇いはなく、貰えるところからはしっかり貰っていたようだ。父が元宮廷医官であることを知るひとは知っており、いくらでもお金を積んでくれるのだ。


 しかし二年前のある日のこと。夜も深まり、雪がしんしんと降り続ける中、事件は起こった。静寂の中、屋敷を囲むように雪を踏む足音がきゅっきゅっと鳴る。


 雲英うんえいは眠っているところを無理矢理起こされ、どこか嶮しい表情を浮かべている父の焦った様子を目の当たりにし、なにか良くないことが起こっている事だけはなんとなく察した。


雲英うんえい、お前だけでも生き延びろ」


 その時、初めてこの屋敷の床下に秘密の部屋があることを知る。起こされてすぐ、ここに連れて来られそのまま押し込まれた。扉は床とほぼ同化しており、暗い中では余計にその繋ぎ目がわかりづらい。


「いいか、私が死んでも、なにも知ろうとするな。あの方は臆病で慎重な上に、どこまでも自身の欲望に正直で恐ろしいひとだ。少しでも探ろうとすれば、お前も殺されてしまうだろう」


 雲英うんえいの意思など関係なく扉が閉められ、上へと続く数段しかない短い梯子の下で父の声に耳を傾ける。騒げばふたりとも見つかってしまうだろう。それをわかっているからこそ、不用意に言葉を発することができなかった。それでも。


「父上、私も一緒に、」


「駄目だ。お前は普通の幸せを手に入れ、静かに生きるんだ。困っているひとがいたら、助けてあげなさい。いつものように、お前ができることをお前なりに全力でしてあげればいい。こんな別れ方ですまない。私になにがあっても、奴らが去るまで絶対にここから出るんじゃないぞ」


 別れ、はすでに父の中で決まっていた。それは、永遠の別れ。もう二度と逢えないという意味の、別れだと知る。戸惑う雲英うんえいをよそに、いくつもの足音が床の下に響いた。いったい何人いるのだろう。床の隙間から黒装束を纏った賊の姿が途切れ途切れに見え、恐ろしさから思わず口を覆う。


 息づかいさえ聞こえないように、身動きひとつしないように、雲英うんえいはただ上を見上げていた。武器を持たない父に対して、五人の賊が囲んで武器を構えていた。どうして父が狙われたのか、殺されなければならないのか。こんな理不尽な目に遭うような行いを、父がしたとは思えない。


(父上····いやです······こんなの、間違ってる!)


 次の瞬間、鈍い音が耳に届いたのも束の間、とろりと床の隙間から生ぬるい液体が流れ落ちてきた。


 ぽたぽたと頬を濡らしたそれがなにか、すぐに理解する。鉄の臭い。どさり、と重い音が頭上で響く。横たわった父から流れ出るそれは、雲英うんえいを染めていった。


 いくつかの足音がどんどん遠のいて行く。賊たちはひと言も発することなく、仕事でもこなすかのように淡々と父を殺し、去って行ったのだ。雲英うんえいは糸が切れたかのように声を殺して泣き続け、気付けば朝になっていた。


 父が扉の上で息絶えたことで、その真下にいた雲英うんえいは気付かれることもなく、そこから救い出されたのは患者さんが訪れて悲鳴を上げた後だった。父が残した言葉を守れるわけもなく、雲英うんえいは医者としての仕事をこなしながら機を待っていた。


 二年後。皇子の花嫁を選ぶ儀式が執り行われることを知る。運が良ければ王宮に入り込める機会もあるだろう。申し込んでみたら、最終候補までなんとか残ることができた。確信はないが、父の死は父が宮廷医官を辞めた理由が関係している気がした。


 つまり何者かが、父の口から真実を語られるのを恐れて、その前に口封じをしたということ。手を下したのはあの賊たちだが、それを命じた者はもちろん王宮の中の誰かだろう。


 花嫁候補たちが並べられ、妃嬪ひひんであるよう妃の言葉を聞いていた。


 そんな中、あの事件が起こる。突然、皇子の目の前に飛び出した白髪の少女。その少女の肩に突き刺さった小刀のような刃物。それを投げたのだろう、間者が逃亡し、護衛たちが追っていく。


 花嫁候補たちは動揺し、勝手に立ち上がって騒ぎ始める。雲英うんえいは倒れた少女が気になり、頭に被せていた面紗を乱暴に投げて前に出た。


 そこには皇子が少女を抱き上げ、指示をする姿があった。どうやら医官たちはすぐには来られないらしい。あの顔色や症状は遠目で見ても、明らかにただの怪我ではないだろう。


 迷うことなく、雲英うんえいは自分の身分を明かす。その場にいた者たちに知られることになったが、毒の治療は時間との勝負。無礼を承知で皇子に訴える。


「私は元宮廷医官の娘です。せめて医官様たちがここに来るまで、その方の治療をさせてくださいませんか? その症状、おそらく毒です。毒の治療は時間との勝負。お願いです、私に診させてください!」


 皇子は意外にもその訴えを取り下げることはなく、そのまま自室に導かれた。苦しそうに顔を歪めている少女を寝台に寝かせ、「必要なものがあればなんでも言ってくれてかまわない」とまで言う。


(おかしいわね····そんな台詞、あったかしら?)


 そこで、この物語の本編の主人公であった 雲英うんえい····に転生したらしい私は、首を傾げる。暗殺者が皇子を庇った時に突如表示された画面。男性の声を模した機械音声、ナビゲーター01が告げた言葉。


『これより、この物語は隠しルートへ分岐します。あなたはヒロインの親友枠に変更されました。スキルは本編より引き継がれており、いつでも使用可能です。ヒロインを助け、エンディングへと導いてください。エンディングは三つ用意されており、あなたや主人公である青藍せいらんの行動次第で、良くも悪くもなるでしょう』


 良くも悪くもって····責任重大なのでは?


 自分は物語を把握しているけど、主人公やヒロインはもちろんわかっていない。それをこちらが導いてあげることで、ハッピーエンドにもBADエンドにもなるということ?


(もちろん、ハッピーエンド以外ないでしょ!)


 隠しルートのBADエンドは悲惨すぎる。真実トゥルーエンドも捨てがたいけど、ふたりのBL要素を楽しみたいならハッピーエンド一択である。どうせもう死んじゃっているなら、この 雲英うんえいとして、ふたりのいちゃいちゃを目の前で楽しんでもいいじゃない!


 彼女の記憶は今も鮮明に残っている。本来の目的は本編で語られるものであって、この『隠しルート』ではあまり触れられないのだ。


「君からみて、彼女・・は、助かりそうか?」


 青藍せいらんと戻って来た護衛官の海鳴かいめいが、少し離れた所で見守っている。仮にも花嫁候補のひとり。その肌を間近で見るのは躊躇いがあったようだ。そのおかげで、この元モブ暗殺者が少女ではなく、少年であることが物語の中盤までバレないのだ。


 傷の手当てをし、用意してもらった薬を塗って、衣を整えた。先程まで小刀が深く刺さっていた右肩部分は血で染まっており、目を背けたくなる状態だったが、この後の展開を思えば我慢できる。


「あとはこの煎じ薬を与えれば落ち着くと思います。しかし意識がなく、飲ませるなら口移しでないと難しいかもしれません。私が、」


「駄目だ」


 食い気味で青藍せいらんが私の台詞を遮った。


「では、私が」


「「それは絶対に駄目!」」


 え? と私と青藍せいらんはお互いに顔を見合わせる。ふたりの息ぴったりの「駄目!」には、あの冷静な海鳴かいめいでさえ目を丸くしていた。

 

 

 そこで私は気付いた。

 彼、青藍せいらんは、私と同じ。


 この『白戀華はくれんか~運命の恋~』に転生してしまった、同志なのだと。



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