エリザの力
「えーっと・・・」
エリザの魔力が必要だという話からすでに5分は経過しているだろうか。ようやく口を開いたエリザだが、思考は未だ混乱していた。
ロヒト王の背後に立つノジーノに視線を向けてみるが、目が合ったところで、にっこりと微笑まれただけだった。いつもならその笑顔に苛立って殴りかかるところだが、今はそれどころではなかった。
「あの、ノジーノさん?」
「なんですか?」
「私の魔力は確かに特殊だけど、ねぇ。知ってるでしょ?」
「えぇ、存じ上げていますよ」
「だったら、なんで?」
意地の悪い応答を続けるノジーノに、ロヒト王が苦笑する。エリザは笑われたことにちょっとした不満を感じなくもなかったが、ようやく表情が緩んだロヒト王に安堵した。
「ノジーノ、イジワルしてないで説明してあげなさい」
ノジーノもエリザと同様に感じていたのだろうか。ロヒト王の口調や表情をみて、彼自身の表情もまた、意地の悪い笑顔ではなく、緩んだように見えた。ロヒト王と目を合わせて、承知しました、と返答するその声色も、いつもエリザに話しかける時の温和な音に戻っていた。
「貴女の魔力が特殊であることは何度もお伝えしていますので、もちろんですが、ご理解はなさっていますよね?」
一息ついてから、少し大きめの声で話し出したノジーノは、そこまで言うとエリザからその後ろに視線を移した。
エリザは、音に敏感な何人かの視線が背中に刺さるのを感じたが、居心地の悪さを感じて、振り返って確認することは阻まれた。
ノジーノは視線をエリザに戻すと、話を続ける。
「ご理解、なさっていますよね?」
「わ、わかってるわよ。中級の風属性はともかく、誰も使えない植物と会話する魔法・・・誰も使えないから、私が植物達と話してても、誰も本当かどうかなんて分らないから、ホント何のためにある力なんだか」
エリザは、この力を恥じたことはあっても、良い印象を持ったことはなかったし、誇りに思ったことなど一度もなかった。ノジーノが妙な圧力をかけなければ、この場でだって言いたくはなかった。
一方で、この力は帝国中で知らないものがいないほど、知られていることでもあった。
「エリザ、そんな顔をしないで」
少し俯いたエリザの顔を覗き込みながらロヒト王がエリザの頭を撫でた。
「その力がエリザにあったからこそ、こうして共に過ごすことができているんだ。私はいらない力だなんて思わないし、素敵な力だと思っているよ」
「そうですね、エリザ。これも何度もお伝えしていますが、貴女のその力は隣国マオシオ公国の伝承にもある、とても稀有な魔力なんです」
ノジーノもロヒト王に続けるが、やはりエリザは不服そうだ。しかしそれも、仕方のないことなのかもしれない。
何も知らない幼い頃、この魔法に気付いたエリザは、様々な植物と会話できることが嬉しくて、楽しくて仕方がなかった。しかし、城の庭で植物達と会話をしていると、何人ものメイドに好奇の眼を向けられ、人間ではないと囁かれていることに、徐々に気づき始める。話しかけたメイド達の様子がよそよそしい。疎まれているとさえ感じて、塞ぎ込んでいた時期もあったほどだ。
(チコネのことはあんまり好きじゃないけど、あの時、味方をしてくれたのはチコネだけだったな・・・)
強がりな性格は、そんな幼い時に、ロヒト王やノジーノに心配をかけまいと、自分の心にかけた魔法のようなものだった。
「伝承って言っても、ただのおとぎ話でしょ?所詮は子供が読む絵本のお話。珍しいかもしれないど、ただそれだけでしょ?」
この場には多くの人がいる。弱味を見せてはいけない。エリザは平静を装って、声色を落ち着かせた。
「そうですね。これまではそうだったかもしれません」
ノジーノの発言に、その場にいた全員がエリザに注目した。そう、先のノジーノの発言の真意を誰もが知りたがっている。
ノジーノは予定通りと言わんばかりに、全員が聞いていることを確認してから、話を続けた。
「帝国図書館に収蔵されている『創国譚』に、魔王に関するものがいくつかあるのですが、その一つに魔王と神の使者に関する話があります」
エリザは、何人かが頷いているのが、背中越しにもわかった。エリザももちろんその話を聞いたことはあったが、神話の類で現実味のあるものではないと理解していた。
「ノジーノさん、それは知っていますが・・・先ほどのエリザ様のお話ではないですが、それこそ神話、おとぎ話ですよね?」
コサウの発言に、周りも同調する。ベクビアがすかさず反論を始めようとしたところで、ロヒト王が手だけで制する。ベクビアが乗り出した身を渋々椅子に収めたところで、ノジーノが話を再開した。
「そうですね。しかし、この神の使者。神とは一体何の神なのか。この国の文献である限り、この国に関連する神である可能性が高いことは確かです。つまり、神とはエルフを指している可能性が高いということです」
周囲はまだ、核心に迫らない話に、半信半疑のようで、顰めっ面をしている者が多い。
長命で人と長く共存したフェアリーだけがエルフに転ずることができることから、その存在自体が珍しく、この帝国では神として扱われている。そもそもフェアリーは短命なものが多く、長命であることだけでも珍しい。その上、人と長く共存するという、イタズラ好きで気まぐれな性格のフェアリーにとっては、まさに神のような性格の持ち主だけが、エルフに姿を変えることができる。
だからと言って、なんなんだ、と言わんばかりの人々の表情を、予想通りと言わんばかりに、微かに笑みを浮かべたノジーノは、一呼吸おいて話を続ける。
「もちろんですが、エルフはフェアリーが神格化したもので、フェアリーの元は植物です。そこで、これまでに解析されていなかった文献の解析結果の登場です。
今回新たに解析されたのは、創国譚の中でも、神の使者に関する記述がある第三章の後半部分です。
ここからは、細かい部分で私の思い込みなどが入らないように、古典歴史局局長のウィニーから話をしてもらいます」
中肉中背の青年が王から最も遠い席から立ち上がり、ノジーノの隣へと歩み寄った。一見冴えないこの青年は、若くして古典歴史局の局長に抜擢された秀才で、基本4属性の魔法はからっきしだったが、無属性魔法ではノジーノの次に秀でていた。特に暗号解析が得意で、今回も創国譚の中で難読化されている箇所のうちの一つの解析に成功したのも、このウィニーの功績によるものが大きい。
「で、では、私から話を・・・」
どうやら緊張しているようで、声と手が少し震えている。落としたインフィニティペーパーをノジーノから手渡されると、一度目を瞑り、大きく深呼吸をした。
「す、すみません、では、続きをお話しします」
ウィニーによると、難読化されていた箇所に記されていたのは、使者の持つ力に関することで、その力は神が与えた唯一無二の力だとも記されていたという。
「ここまでお伝えすれば、先ほどのノジーノさんの話からも、その力がどんなものなのかお分かりになった方も多いでしょう」
話しながら落ち着きを取り戻したのか、ウィニーの声はもう震えてはいなかった。
一方のエリザは、ウィニーとは逆に、今の話で落ち着きを失ってしまい、眉間に皺を寄せ、口を窄ませて、困惑している様子だった。
今にも泣き出しそうなその表情に、見かねたロヒト王が、エリザの手を握る。
「私の植物と会話する力を使って、魔王を退治できるとでもいうの?」
ロヒト王を見つめて、エリザが訴える。口には出したくないのか、それ以上は言葉にしなかったが、表情が、態度が、そんなの無理だと言っている。
そんなことに気付いているのか、いないのか。ウィニーは短く、いいえ、とエリザの発言を否定すると、話を続けた。
「創国譚に書かれていたのは、神の使者が、神から与えられた、植物と会話する力を使い、魔王と対話し、凶暴化した魔王を鎮めることができる、ということだけです」
ベクビアが、わざとらしく鼻で笑う音が響いた。いくつかの視線が、ベクビアに集まる。
「いや、なに、エリザ様を悪くいうわけではないですが、そもそも、エリザ様が本当に植物と会話できているのか否かも疑わしい上に、魔王を鎮めるだなんて。もしそれが本当なら、魔王は植物だとでも言うんですか?バカバカしい」
話を否定されたウィニーは、反論する術もなく、焦りながら、あの、えっと、と意味のない言葉を繰り返し、ベクビアに怯えてしまっている。
「エリザの力を信じていないものが多いことは知っているが、まさか帝国大臣たる貴方までもがそのような発言をするとは。
エリザの力は帝国王であるロヒト様が認めた、神から与えられた特別な力だ。その力を否定することの意味がわからないわけでもないだろう」
いつもにも増して低い声を発したチコネが、険しい目つきでベクビアを責める。
「そんなことは分かっている。王や帝国史を蔑ろにするわけではないが、創国譚に書かれていたからと言って、話が飛躍しすぎているとは思わんのか?」
チコネの表情やその態度に、ベクビアが怯えている様子が見て取れる。必死に取り繕っているだけと言えばそれまでなのだが、室内にいる数名が、一理ある、という面持ちになっているのも確かだった。
「流石にエリザ様を疑ったり、王を否定するような気持ちはありませんが、創国譚とは言え我々にとって完全な予言書でない限り、疑うのは仕方のないことかと思いますし、ベクビア殿がおっしゃる通り、植物と話す力で魔王を鎮めることができるというのは、少し飛躍していると、私も思います」
コサウが冷静に意見を述べると、冷や汗を掻きながら怯えていたベクビアが、それ見ろと言わんばかりに得意気な表情を浮かべる。
「ですが、飛躍しているとは言え、それ以外に目ぼしい手段がないのも事実。武力で沈静化させる手段を用意しつつ、エリザ様のお力を試すというのはいかがでしょうか?」
ロヒト王はコサウの視線を受け取りつつ、静かに頷いた。
「理性的な意見、感謝する、コサウ。例えエリザの力でなんとかなったとしても、エリザ頼みになるのは問題だ。いずれにせよ、武力での対抗措置は早急に検討しよう。ゴフマ、よろしく頼む」
武術省大臣のゴフマが待ってましたと言わんばかりに、意気込んで立ち上がり、大きく頷いた。
「椅子、壊さないでくださいね」
チコネに釘を刺され、大袈裟にゆっくりと着席したゴフマは、山のような、という表現がぴったりの大男で、以前に議会場で勢い余って着座した際、椅子を破壊してしまった経緯がある。チコネのブラックジョークとゴフマのオーバーリアクションで、少しばかり場が和んだように感じたエリザは、胸に手を当ててそっと深呼吸をした。
「ロヒト王、その命、謹んで拝命いたします。命に変えても・・・」
「おいおい、そんな物騒なこと言わないでくれ。あくまでも目的は、魔王に街を破壊させずに、国民に安心と安全をもたらすことだ。魔王を倒すことは目的じゃない。もちろん、誰かが命を落とすということも、絶対にあってはならない」
優しく微笑むロヒト王に、意気込んだ気を削がれ惚けてしまったエリザは、下瞼から湧き上がってくる涙を止めることができなかった。
「大丈夫、みんな君の味方だ」
エリザの頭を撫でるロヒト王に、チコネが細く溜め息を吐いた。
「ロヒト王はエリザ様に優しすぎるんですよ。彼女も一国の大臣なんですから、もう少し自覚を持っていただきたいものですね」
チコネの言葉に膨れっ面で、わかってるわよ、と大声で返したエリザに、その場にいた者は笑わずにはいられなかった。
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