悪の魔王ミームは今日も健やかに破壊する

@nilcof

帝国ワサジーフ

その日エリザは、いつもとは違う城内の騒がしさで目を覚ました。カーテンを少し避けて窓の外を覗き込むと、何台もの馬車が次々と門前に横付けされ、何人かの見知った顔が城内に入っていくのが見えた。廊下からも絶えず足音や囁き声が聞こえてくる。

時計に目をやると、いつもならまだ寝ている時間だった。

布団に潜り直してみたが、騒がしさのせいか、目を閉じても外の様子が気になって二度寝は難しそうだった。エリザはベッドに腰掛け、手のひらを上に向けてから、指同士を合わせて、軽く擦り合わせた。


『コネクト、ノジーノ』


小さな声で詠唱し、ノジーノを呼びつけた。


「どうしました、エリザ。何時もならまだ寝ている時間でしょう」


待っていたと言わんばかりに、珍しくノジーノがすぐに応答した。エリザの目の前に淡く映し出されたノジーノの後ろでは、やはり忙しなく人々が行き交っている。


「こんなに煩くて寝てられるほど私も無神経じゃないわ。何かあったの?」


目を丸くして驚いた表情をしたノジーノは、少し笑ってからエリザに返す。


「さすがのあなたでも起きちゃいましたか。すぐにメイドを遣しますので、支度なさってくだい」


それだけ告げると、ノジーノは誰かに話しかけられながら通信を切った。

質問の答えを聞いてない。

エリザは笑われたことと、一方的に通信を切られてことに腹を立てながらベッドに倒れ込むと、すぐにドアをノックする音が聞こえた。


「どうぞ」


軽く目を閉じて、小さく溜息。

ノジーノが手を回したんだろう、憎らしいったらこの上ない。

メイドが一礼をして入ってくる気配があったが、起き上がろうとはしなかった。


「おはようございます、プリンセス」


寝転んだまま、答える。


「おはよう」


「驚かれないんですね?」


「何が」


「私の到着の速さですよ」


「いまさらでしょ。どうせノジーノに送ってもらったんでしょ?」


正解です、と微笑みながらカーテンを開けると、メイドはパーティションの奥に消え、着替えの準備を始めた。支度をする衣擦れの音に加えて、エリザが幼い時に転移魔法で瞬間的にやってきたメイドに大喜びしていた時の話が聞こえる。


「あの時のプリンセスったら、本当にお可愛らしくて・・・」


いったい私のことをいくつだと思っているんだ。

エリザは憤慨しながらも起き上がり、パーティションに向かった。


「ノジーノ様の魔法は本当に凄いですね。詠唱もなしに片手間で私を正確な位置に転送してしまうなんて。さすが帝国随一の魔法使いですね」


喋りながらも的確に仕事をこなすあなたも凄いわよ。

褒め言葉が喉でつっかえる。眠さや、気怠さや、ノジーノが褒められていることが、癪に触ったようだ。

エリザが溜息を吐く頃には、すっかり髪以外の身支度が完了していた。シンプルだが上質な生地で作られた、紺と白のドレス。議会に出席する時によく身に着けているものだが、今日はそんな予定ではなかったはずだ。


「今日、なにかあったかしら?」


鏡台へと促されながらメイドに目をやるが、メイドの方が目を丸くして驚いているようだった。


「さぁ、私はノジーノ様に言いつけられただけですので・・・」


「この騒ぎと何か関係してるのかしら?」


「そうですね・・・私たちメイドは、大勢のお客様がいらっしゃるということしか知らされておりませんので、なんとも」


メイドの歯切れは悪かったが嘘を吐くような性格でないことは知っている。むしろメイド仲間から、何があったのかをエリザから聞き出してほしいとでも言われていたんだろう。

残念でした。

心の中だけで呟き、鏡を見ながら、鏡台の前に腰掛けた。

軽く目を閉じて髪を梳かれていると、外の音がよく聞こえる。議会場、コミッティルーム、10名分の食事。


(あーあ、今日は面倒な1日になりそうだ)


天を仰ごうとしたエリザをメイドが嗜めるが、考え事をし出したエリザを制することは難しい。諦めたメイドは、溶かした髪にシンプルなカチューシャを付けて、エリザの身支度を終わらせた。銀に近いブロンドに、紺のカチューシャがよく映える。


「プリンセス、終わりましたよ」


メイドの言葉で意識が現実に戻ったエリザは、鏡を一目見て満足気に立ち上がった。紺のカチューシャはエリザのお気に入りだった。


「ノジーノ様からのご伝言です。身支度が終わり次第、議会場にお越しくださいとのことです」


短く返事をして、エリザは部屋を出る。忙しなく働くメイド達に軽く挨拶を返していたのもほんの少しの間で、エリザはすぐに思考の世界に戻った。 


(こんな早朝から、こんなに大勢が集まって・・・一体何が起きている?)


エリザの、記憶の隅にある恐怖。身震いがする。少し目を閉じて大きく息を吸う。一気に吐き出して、余計な考えを外に追いやった。

議会場が近づくにつれ、人の数が増え、エリザが統括する外務省の関係者の姿も見える。

外務長官の1人であるセレが、エリザの姿を見かけて声をかける。


「おはようございます、プリンセス。貴殿におかれましては本日も・・・」


「堅苦しい挨拶はいいわ、セレ。何が起きているの?」


議会場に向かう足取りを早めながら、話を続ける。


「それが、長官クラスにも何の伝達もない状態でして・・・そのご様子ですと、プリンセスにも?」


「えぇ、そうね」


周囲も似たような状況のようだ。召集を受けただけで、その理由を知るものはいないようだった。

エリザが議会場に到着すると、すでに数名の大臣が最前列の席に座していた。しばらくすると、ほぼ全ての席が埋まり、場内はいつも通りに騒がしかったが、いつもとは違う緊張感で満たされていた。

エリザが考え事に耽っていると、突然、場内から騒がしさが消えた。視線を上げる。ロヒト王だ。


(やっぱりノジーノが一緒にいる・・・おかしいわ)


普段は議会場でも後ろの方の席に陣取るノジーノが王と一緒に入場したことで、場内はさらに異様な雰囲気に包まれる。

ロヒト王が壇場に上がると、場内の全員が立ち上がった。


「今は時間がない。堅苦しい挨拶はなしにしよう。みんな座ってくれ」


通例行われる、王に忠誠を誓う言葉が省略されるのは異例中の異例だった。エリザがセレの挨拶を断ったのとは訳が違う。更に、場内の緊張感が高まる。

ロヒト王は全員が着席したことを見届けると、大きく呼吸をしてから、重く険しい表情で口を開いた。


「単刀直入に言おう。東の森の奥、カサコンサに、魔王が誕生したとの情報が入った」


場内は一瞬の沈黙の後、大きく騒めいた。信じられない、嘘だ、ありえない。魔王の出現を否定したい声が入り乱れる。


「魔王の正確な誕生時期は不明だが、すでに1メートルを超えていることから、冬を終えたあたりには誕生していたと考えられる」


王の真剣な、厳しい眼差しに、誰もが魔王誕生の現実を受け止めざるをえなかった。


「ここからは王と参謀長官に変わり、私が説明を続けます」


王の横に控えていたノジーノが口を開く。学術省魔法局局長であるノジーノが、珍しくも王の隣にいる理由がこれで明確になった。

魔王は甚大な魔力を有し、強力な魔法を使うとも言われている。魔法に関連する事柄において、ノジーノの右に出るものは、この国には存在しないだろう。


「まだ誕生間もないためか、魔王の魔力の影響はカサコンサ内に止まっているが、それも数日のことだと考えられる。このあと、対策コミッティを設立し、今後の対策を早急に検討する必要がある。メンバーは、全大臣と私ノジーノとする」


ノジーノの隣で深く頷く王に、誰も言葉を発することができずにいた。

隣国からの侵略があった時でさえ、武術省と外務省、それに内務省の一部の局が招集されただけだったことから考えても、全大臣の招集が何を意味するのか、わからないものはいないだろう。緊張が徐々に絶望に変わる。


「各自の冷静な対応と判断を望む。本日はこれにて解散」


王はそう告げると議会場を後にした。

最前列で見ていたエリザには、王がこれまでにないほど緊迫した面持ちをしているように見えた。


(魔王・・・伝承は本当だったんだわ)


幼い頃にノジーノが教えてくれた初代帝国王の石像に刻まれた伝承を思い出す。


その魔王、帝国の真の力を試さん

力無き帝国、魔王によって滅ぼされん


ポジティブな要素がほとんど含まれていない伝承には、もちろんだがいいイメージはない。

次々に退場する人波に紛れて、エリザとセレも議会場を後にした。

エリザはセレに別れを告げ、足早にコミッティルームを目指す。

途中、メイド達が食事を運んでいるところに遭遇した。コミッティルームにサーブされるものだろう。朝から何も口にしていないエリザだったが、緊張と不安で何も喉を通らなさそうだった。

朝起きてから、何度目のため息だろうか。エリザはレストルームに向かい、意味もなく手を洗った。両手をついて目線を上げたところにある顔は、まだ陽も明るい、しかも午前中だと言うのに疲れ果てているようにも見える。


(一人で考えたところで、どうにかなるものじゃないことくらい、分かってる)


自分に言い聞かせてその場を離れると、エリザは今度こそ、コミッティルームに向かった。

既にいくつの席が埋まる中、エリザがいつもと同じ、上座から見て左の3席目に座ろうとすると、扉の近くで話をしていたはずが、いつの間にかエリザの背後に立っていた参謀長官のチコネに止められる。


「まったく貴女は。ネームプレートも見ずに、いつもと同じ席に座るとは。この緊急事態に呆けるのもいい加減にしてください」


高い位置から鋭い目つきでエリザを見下すと、すぐにその場から去っていった。


(いつも、いつも・・・!なんであんな憎たらしい喋り方しかできないのかしら?!)


その言葉を聞いていた他の大臣達も、ネームプレートを再確認し、すごすごと席を移動する者もいた。

声がよく通るチコネの発言で、緩んでいた空気が緊張を帯び、談笑をしていたもの達は、口をつぐんでしまった。


(まったく・・・相変わらずチコネは空気を凍らせる天才ね)


周りをなるべく気にしないように、王から最も近い右側の席に着席したエリザは、机に配布されていた資料に目を通した。

インフィニティペーパーの隅に書かれたページ数を見ると、30と書かれていた。読む気を無くしそうになったエリザだが、魔王の出現だ。そんなことを言ってられる余裕などある訳もなく、意を決して最初のページから目を落とし始めた。

が、意気込んだ割には理解しやすい内容で、伝承として聞かされていた話や、おとぎ話に出てくる妖精の話がほとんどで、気付けば最後のページをめくっていた。


(伝承の魔王出現の話はともかく、問題は解き明かされていない魔王の力の源と、魔王を鎮静化させるための秘薬・・・これまでに分かってないものを短時間でどうにかできる訳ないじゃない・・・!)


心中憤って俯いていると、周りが一斉に椅子を引き、立ち上がった。慌ててエリザも立ち上がる。ロヒト王だ。


「皆よく集まってくれた。感謝する。座ってくれ」


若くして王位に即位したロヒト王は、端正な顔立ちに加え、即位前の武勲も相まって、国民から絶大な支持を得ている。いつもは穏やかな表情を湛えているロヒト王も、今日ばかりは先ほど議会場で見せたままの緊張した面持ちのままだった。


「突然のことで驚いている者も多いと思うが、まずは魔王についての情報を皆と共有したい」


ロヒト王がノジーノに目線を投げると、ノジーノは軽く頷いてから立ち上がった。


「先ほども議会場で説明した通り、魔王は東の森の果てのカサコンサで誕生したことが確認されました。魔王誕生については、皆様もご存知の通り、我々魔法局が定期的にカサコンサの魔力量を測り観察していたことから判明したことです。最初に魔力の揺れがあったのは10ヶ月前で、当時は魔物の移動によるものだと推測していましたが、徐々に増えていく魔力と、ここ数ヶ月の急激な魔力量を増加で、魔王誕生の確信に至っています。」


ノジーノが話を続けようとしたところで、内務大臣のベクビアが遮る。


「そんな前からわかっていたと言うのか?なぜ先手を打たなかった?」


「先手?打てるものなら打っていますよ。魔王が誕生前に包み込まれている胎液をご存知ですか?」


珍しく怒りを露わにしたノジーノに、不服そうな面持ちでベクビアが頷く。


「胎液自体は魔物全般が誕生前に包まれているゼリー状の物体ですが、その胎液には高濃度の魔力が含まれています。その胎液を人間が浴びるとどうなるかは、3歳の子供でも知っていることです。それが魔王のものともなると、飛散した胎液でこの帝国どころかこの球星全体に甚大な災害をもたらします。誕生が決まった時点で、人間にはどうすることもできないんです。お分かりいただけましたか?」


鼻を鳴らして外方を向いたベクビアをよそに、ノジーノは話を続ける。


「魔王は今後徐々に巨大化し、数日の内にもカサコンサから外に出ることも予想されています。まずは近隣住民の避難と、東の森への立ち入り禁止を優先します。」


何人かの大臣が頷いた。ベクビアは機嫌を損ねたままだったが、この緊急事態に私情を優先するほど間抜けではなかったようだ。苦虫を噛んだように頷いていた。


「ノジーノ局長、お話の途中で失礼します。ちょっと宜しいですか?」


「なんでしょう、コサウ商務大臣」


「緊急事態ですし、すぐにでも東の森を封鎖して人の出入りを止めるべきですが、その先にある東側諸国との交易が止まってしまうと、国内全体の経済への影響は計り知れません」


「最もだ、コサウ大臣」


ロヒト王が口を挟んだ。


「西のヘイダン王国との紛争解決から10年の時が経ったとは言え、国民に十分な安定が戻っているとは言い難いのが現状だ。東側諸国との交易には国からフライボットを貸し出す予定だ。全商会に行き渡るほどにはならないかと思うが、この事態だ、なんとか乗り切ってほしい」


コサウは考えながらも、了承するしかないと心得ているのだろう。眉間に皺を寄せながらも首を縦に振った。


「苦労をかけるが、よろしく頼む。ノジーノ、続けてくれ」


ノジーノは頷くと、深く息を吸い込んでから話を再開した。


「そして今日、皆様にお集まりいただいたのは他でもない、お配りした資料にも記載した魔王の力の源と、鎮静化についてです。魔法局でも総員で調査にあたっていますが、いまだに目ぼしい成果は出ていません。一方で、学術省古典歴史局での解析で、魔王の沈静化について記されている古文書の一部の記載が明らかになっています。それは・・・」


ノジーノは口にすることを躊躇っているようにも見えた。視線で、王が促していることが見てとれた。


「それは、エリザ。プリンセス・エリザの、魔力です」


その場にいた全員の視線がエリザに向けられる。当の本人は事態が理解できていないようで、困惑気味だ。

話が一区切りついたようで、ロヒト王がチコネに耳打ちすると、騒めくコミッティルームの扉がノックされ、食事のサーブが始まった。

他の大臣達が食事をしながら人の移動や交易の継続について議論を進める中、エリザはなぜ自分の魔力が伝承にでてくるのかが分らずに、思考が停止したまま、食事を目の前に微動だにすることができなかった。

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