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 ベイツさんが部屋の隅にあったスツールを運んできて、シルビア船長のすぐ脇に置いた。


 三人がそれぞれのスツールに座り、僕はベッドに腰掛ける。エインさんが口火を切った。


「彼の名前はシオジマ・ユート。ユートがファーストネームのようですね」


 船長は頷くと、僕に話しかける。


「では、ユートと呼ばせてもらっていいか?」

「はい」

「それではユート、いきさつを話してくれ。覚えている範囲でいい」


 船長にうながされ、僕は覚えているかぎりのことを話した。学校、電車、そして意識が途切れ、気がつけばゴブリンの捕虜になっていたこと。覚えていることは少ないけど、できるかぎり正確に話した。


 僕の話を聞き終えると、三人は頷きあった。

 三人を代表する形で、シルビア船長が話しはじめる。


「事情はわかった。ユート、これから話すことは君には理解しづらいことで、とてもショックなことでもある。でも、隠しても意味がないことだし、君がこれからどうするか考えるには必要なことだ。はっきり言う。君は、元いた世界とは別の、異世界へ転移した」


 僕は思わず目を閉じ、うつむいた。

 そうじゃないかとは思っていたけど、はっきり断言されるとやっぱりキツい。


「やっぱり、そうなんですか」


「うすうす気づいていたようだね。状況的に間違いない。多元世界論とか、パラレルワールドという言葉を知っているか。世界というのはひとつではなく、いくつもの世界が多層的に存在している。君はその別の世界、つまり異世界へと転移してきた」


「……はい」


「そういった転移者を、この世界では『落ちたる者』と呼んでいる。この世界は、いくつかの重なる世界層のいちばん下、『多層世界の底』に位置していると考えられるからだ。もちろん、上や下というのは物理的な意味ではなく、概念や転移の法則みたいなものを指している。落ちるというのも、空や崖から落下するという意味ではない。あくまでもイメージ的な表現だ」


「あ、あの。僕はもう、元の世界には戻れないんでしょうか」


 僕は苦しくなって、思わず尋ねた。もう二度と、両親にも、姉にも、北海道のばあちゃんにも会えないのか。友達にも会えないのか。そんなの悲しすぎる。


 僕の問いに対して、船長はしばらく黙っていた。やがて、言葉を選ぶように話したはじめる。


「たしかに、それは最も知りたい点だろうな。結論を言うと、帰れる可能性はあるが、まだ断言できない、というのが正直な答えだ。これまで、帰還に成功した者はいないとされている。だが、私は今まさに、落ちたる者の帰還について研究している。そして可能性はあると思っていて、実現に向けて必要な準備も進めている」


「じゃあ、帰れるんですね?」


「そうとも言い切れない。自分の理論には自信を持っているけれど、まだ実行できる段階に至っていない。そこが、まだ断言できないといった理由。いずれにせよ、今すぐは無理だ。技術的に完成するまで、とうぶん、君はこの世界で暮らすことになる。それまで私は、君の力になりたいと思っている」


「は、はい……」


 シルビア船長は立ち上がった。


「これで、最も厳しい事実は伝えた。あとのことやこの世界のことはエインが教えてくれるが、くれぐれも焦るな。時間をかけて馴染なじんでくれ」


 船長はエインさんとベイツさんに向けて話した。


「風が落ち着いた。明日の朝には出航するつもりだ。魔動機まどうきのことでデバルトと打ち合わせをしなければいけないから、エイン、ユートのことは頼む。夕食時に、皆に紹介しよう。ベイツ、船医としての意見があれば聞かせてくれ」


「わかりました」


「意見はある。ユートにも船の仕事をしてもらうことを提案する。体を動かしたほうが体力の回復は早いし、皆に馴染むのも早くなるだろう。なにより、気がまぎれる」


「わかった。ユートの希望を聞いて、仕事を割り振ってくれ」


 船長は、てきぱきと指示を出した。

 の呼吸というのだろうか、エインさんもベイツさんも、慣れた対応だ。僕はただ、医務室から出ていく船長を、ぼんやりと見送ることしかできなかった。


「どうですか。シルビア船長の印象は」


 エインさんに話しかけられて、僕はやっと我に返る。


「えっと、なんていうか、すごい人ですね。オーラがあるっていうか、カリスマっていうか」


 しどろもどろな僕の返事に、二人は軽く笑った。笑ったといっても、バカにされたっていうことではない、と思う。場がなごんだといえばいいだろうか。


「ここまでの話で、どうです? 質問があれば遠慮なくどうぞ」


 エインさんが進行役、ベイツさんは聞き役だ。聞きたいことはたくさんあるけど、まだ頭の中が混乱してぐるぐる回っている感じで、なにをどう尋ねていいのか、うまくまとまらない。


「あの、僕は日本語しか話せないんですけど、なんで皆さんと会話できてるんでしょうか」


 結局、僕の口から出たのは、なんだかトンチンカンな質問だった。疑問だったのは本当だ。でも、異世界転移したと聞かされた直後の、このタイミングでする質問じゃないだろ。もっと優先順位の高いことあるだろ。自分にそうツッコミを入れたくなる。

 ところがエインさんは、いたって普通の表情だ。


「それも、落ちたる者の特徴ですよ。異世界の者を受け入れるとき、世界自体が調和をはかろうとするようですね。落ちたる者の母国語と、この世界で初めて耳にした言語がリンクして、相互理解できるようになるんです」


 僕は驚いた。ちゃんと理屈があったのだ。


「でも、ゴブリンの言ってることはわかりませんでしたけど」


「ゴブリン語は下等言語ですからね。リンクするのは中等以上の言語だけです。私たちはいま、この世界で最も広く使われている中等言語である、共通語コモンラングで君に話しかけています。コモンラングと君のいうニホンゴとがリンクしているのですね」


 なにもかも、驚くことばかりだ。


 そのとき、ドアをノックする音がした。


「どうぞ」


 エインさんが声をかける。

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