1-2
ベイツさんが部屋の隅にあったスツールを運んできて、シルビア船長のすぐ脇に置いた。
三人がそれぞれのスツールに座り、僕はベッドに腰掛ける。エインさんが口火を切った。
「彼の名前はシオジマ・ユート。ユートがファーストネームのようですね」
船長は頷くと、僕に話しかける。
「では、ユートと呼ばせてもらっていいか?」
「はい」
「それではユート、いきさつを話してくれ。覚えている範囲でいい」
船長にうながされ、僕は覚えているかぎりのことを話した。学校、電車、そして意識が途切れ、気がつけばゴブリンの捕虜になっていたこと。覚えていることは少ないけど、できるかぎり正確に話した。
僕の話を聞き終えると、三人は頷きあった。
三人を代表する形で、シルビア船長が話しはじめる。
「事情はわかった。ユート、これから話すことは君には理解しづらいことで、とてもショックなことでもある。でも、隠しても意味がないことだし、君がこれからどうするか考えるには必要なことだ。はっきり言う。君は、元いた世界とは別の、異世界へ転移した」
僕は思わず目を閉じ、うつむいた。
そうじゃないかとは思っていたけど、はっきり断言されるとやっぱりキツい。
「やっぱり、そうなんですか」
「うすうす気づいていたようだね。状況的に間違いない。多元世界論とか、パラレルワールドという言葉を知っているか。世界というのはひとつではなく、いくつもの世界が多層的に存在している。君はその別の世界、つまり異世界へと転移してきた」
「……はい」
「そういった転移者を、この世界では『落ちたる者』と呼んでいる。この世界は、いくつかの重なる世界層のいちばん下、『多層世界の底』に位置していると考えられるからだ。もちろん、上や下というのは物理的な意味ではなく、概念や転移の法則みたいなものを指している。落ちるというのも、空や崖から落下するという意味ではない。あくまでもイメージ的な表現だ」
「あ、あの。僕はもう、元の世界には戻れないんでしょうか」
僕は苦しくなって、思わず尋ねた。もう二度と、両親にも、姉にも、北海道のばあちゃんにも会えないのか。友達にも会えないのか。そんなの悲しすぎる。
僕の問いに対して、船長はしばらく黙っていた。やがて、言葉を選ぶように話したはじめる。
「たしかに、それは最も知りたい点だろうな。結論を言うと、帰れる可能性はあるが、まだ断言できない、というのが正直な答えだ。これまで、帰還に成功した者はいないとされている。だが、私は今まさに、落ちたる者の帰還について研究している。そして可能性はあると思っていて、実現に向けて必要な準備も進めている」
「じゃあ、帰れるんですね?」
「そうとも言い切れない。自分の理論には自信を持っているけれど、まだ実行できる段階に至っていない。そこが、まだ断言できないといった理由。いずれにせよ、今すぐは無理だ。技術的に完成するまで、とうぶん、君はこの世界で暮らすことになる。それまで私は、君の力になりたいと思っている」
「は、はい……」
シルビア船長は立ち上がった。
「これで、最も厳しい事実は伝えた。あとのことやこの世界のことはエインが教えてくれるが、くれぐれも焦るな。時間をかけて
船長はエインさんとベイツさんに向けて話した。
「風が落ち着いた。明日の朝には出航するつもりだ。
「わかりました」
「意見はある。ユートにも船の仕事をしてもらうことを提案する。体を動かしたほうが体力の回復は早いし、皆に馴染むのも早くなるだろう。なにより、気がまぎれる」
「わかった。ユートの希望を聞いて、仕事を割り振ってくれ」
船長は、てきぱきと指示を出した。
あうんの呼吸というのだろうか、エインさんもベイツさんも、慣れた対応だ。僕はただ、医務室から出ていく船長を、ぼんやりと見送ることしかできなかった。
「どうですか。シルビア船長の印象は」
エインさんに話しかけられて、僕はやっと我に返る。
「えっと、なんていうか、すごい人ですね。オーラがあるっていうか、カリスマっていうか」
しどろもどろな僕の返事に、二人は軽く笑った。笑ったといっても、バカにされたっていうことではない、と思う。場がなごんだといえばいいだろうか。
「ここまでの話で、どうです? 質問があれば遠慮なくどうぞ」
エインさんが進行役、ベイツさんは聞き役だ。聞きたいことはたくさんあるけど、まだ頭の中が混乱してぐるぐる回っている感じで、なにをどう尋ねていいのか、うまくまとまらない。
「あの、僕は日本語しか話せないんですけど、なんで皆さんと会話できてるんでしょうか」
結局、僕の口から出たのは、なんだかトンチンカンな質問だった。疑問だったのは本当だ。でも、異世界転移したと聞かされた直後の、このタイミングでする質問じゃないだろ。もっと優先順位の高いことあるだろ。自分にそうツッコミを入れたくなる。
ところがエインさんは、いたって普通の表情だ。
「それも、落ちたる者の特徴ですよ。異世界の者を受け入れるとき、世界自体が調和を
僕は驚いた。ちゃんと理屈があったのだ。
「でも、ゴブリンの言ってることはわかりませんでしたけど」
「ゴブリン語は下等言語ですからね。リンクするのは中等以上の言語だけです。私たちはいま、この世界で最も広く使われている中等言語である、
なにもかも、驚くことばかりだ。
そのとき、ドアをノックする音がした。
「どうぞ」
エインさんが声をかける。
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