第一章 出会い
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次に僕が目を覚ましたとき、最初に飛び込んできたのは虎の顔だった。
いや、間違いじゃない。虎の顔だ。
目を開くと、鼻と鼻がくっつきそうなくらいの至近距離で、虎が僕の顔を覗き込んでいたのだ。
僕は硬直した。本当に怖いときって、悲鳴すら出なくなるらしい。
あ、食われる。そう思った。ゴブリンに食べられるのと虎に食べられるのは、どっちが痛いだろう。痛いのは嫌だな。一瞬で終わってほしいな。
そんなことを考えていると、虎はふっと顔を離した。
そして、ハスキーな女性の声で叫んだ。
「起きた! おい、エイン、ベイツ、こいつ起きたぞ。あはははは」
虎は楽しそうにゲラゲラ笑いながら、僕の視界からフェードアウトしていく。視界が開けたことで、僕は自分が木造の建物の中にいることに気づいた。薬品棚のある医務室のような部屋で、壁際の木のベッドに寝かされている。体のあちこちに、湿布が貼られている感触がある。
虎の全身も見えるようになった。それは野生の虎ではなくて、虎の頭を持つ二足歩行の人間、ワータイガーだったのだ。身長二メートル近くありそうな大きな体格、しかもさっきの声の感じだと、女性らしい。
「あ、えっと、女の……」
思わず口走ったのがまずかった。ワータイガーはニヤッと笑うと、僕の手首をいきなり掴んだ。
「えへへ、そうだよ。証拠に触らせてやるよ。ほーら、柔らかくて気持ちいいゾ」
ワータイガーは僕の腕をぐいぐい引っ張って、自分の胸に触らせようとする。虎の毛皮に覆われた二つの膨らみが、タンクトップ型の上衣を内側から押し上げている。
「い、いいです、いいです、ちゃんとわかったから」
僕は手を引っ込めようと抵抗したけど、腕力ではとても勝負にならない。
あと数センチというところで、助けが入った。
「クァラ、からかうのもそのへんにしてください。船長と、それからジーナに声をかけてきてくれませんか。落ちたる者の意識が戻ったと」
クァラと呼ばれたワータイガーは、僕の手をポイっと無造作に離した。反動でベッドに転がり、壁に頭をぶつける。痛い。
「ん、わかった。じゃあな、落ちたる者、またあとでな」
クァラさんは僕に手を振って、出ていった。それにしても、僕を落ちたる者と呼ぶのが気になる。
「悪気はないんですよ。砂浜からここまで、君を背負ってきたのは彼女なんです。落ちたる者に
クァラさんの後ろには、二人の男性が木製のスツールに座っていた。いま僕に話しかけているのは、ほっそりした体型で、色白の超絶イケメンだ。長い銀髪を、後ろでひとつにまとめている。耳が尖っていた。これはもしかして……。
「はじめまして。エルフの魔術師にして、このロブスター号の副船長、エインベリウス・ノルクスディウムといいます。エインと呼んでください。君の名前は?」
「あ、えっと、
予想通り。この人はエルフだった。これはもう完全にファンタジー世界だ。エインさんは、人間でいうなら二十代の温厚な青年に見える。エルフの寿命は長いっていうのが定番だから、実年齢はわからないけど。
とにかく、きちんとお礼を言わなきゃと思い、起き上がった。とたんに、体のあちこちがズキズキと痛む。思わず顔をしかめた。
「痛むだろ。だが、打撲傷だけで内臓や骨には異常なさそうだ。ゴブリンども、おまえを生け捕りにするつもりで手加減したんだろうな」
もう一人の男性が、僕の様子を見てそう言った。
この人は人間だ。スキンヘッドに口髭を生やしている。いわゆる細マッチョ。外見だけで比較すると、エインさんより少し年上に見えた。
「神官戦士のベイツだ。船医も務めている。災難だったな。だがまあ、軽傷で済んだのは運が良かったかもしれん」
僕はベイツさんにもお礼を言い、それから思い切って尋ねてみた。
「あの、副船長と船医ということは、ここは船なんですか?」
「そうです。ここは快速交易船ロブスター号の医務室です。風待ちのために立ち寄った無人島で、君が襲われているのを発見したんですよ」
「そうだったんですか。それで、あの」
さらに質問しようとしたとき、ノックの音がした。つづいてドアが開かれる。エインさんとベイツさんは、スツールからすっと立ち上がった。
「救助者の意識が戻ったそうだな」
現れたのは、美しい女性だった。
『男装の麗人』という言葉がぴったり当てはまる。軽くウェーブのかかったセミロングの金髪を、エインさん同様、首の後ろで一つに束ねている。肌は白く、切れ長の涼しげな眼をした人だ。
すらりと背が高い。僕の身長が百七十四センチだけど、だいたい同じくらいじゃないかと感じた。
年齢は、はっきりわからない。でも、落ち着いた大人の女性っていう雰囲気がする。三十歳とか、それくらい?
服装もカッコいい。
脚にフィットするタイプの白いパンツに、膝下までの焦げ茶のブーツ。白いボウタイシャツ。そして、膝上まである濃紺のジャケットコートだ。ジャケットは金糸で縁取りがしてある。左の腰には、護拳のついた細身の剣が吊るされている。映画やアニメには海賊や海戦を描いた作品があるけど、そんな中から抜け出してきた主人公のように、完璧にハマっている。
僕はすっかり見とれていた。口を開けて、ボヤっとした顔をしていたかもしれない。船長さんに話しかけられて、はっと我に返った。
「たいしたケガでなくてよかった。ロブスター号の船長、シルビアだ」
シルビア船長は、僕に向けて手を差し出した。握手のことだとわかるまで、二、三秒かかった。僕がおずおずと差し出す手を、船長はしっかりと握ってくれる。
船長の手の温かさが伝わってくる。その
これが、シルビア船長やロブスター号のみんなとの最初の出会いだった。
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