第52話 星に感謝を込めて
それから、父に東京を案内した。案内の車を運転していた方が、「押上駅辺りを観光したらどうだろう?」と提案してくれた。俺たちは賛成したところ、運転手の方は押上駅まで送ってくれた。
その人が、よかったらホテルまで案内してくれるということだったので、お言葉に甘えた。
東京スカイツリーの展望台から東京を見下ろし、浅草で抹茶のクレープやおみくじを引いて父と観光を楽しんだ。
浅草のレトロなテーブルに俺たちは座り、俺も父もクリームソーダを飲んでホテルに向かった。
午後は、押上・浅草付近を観光して、一日を終えようとしていた。
「監督が、明日お父さんに会えるの楽しみにしていますってメールで来てたよ」
ホテルのベットに腰をかけて父に話しをする。
「あれは、本物の映画と監督にキャストとスタッフが勢揃いしてる。世界と比べたらまだまだなのかもしれないが、魅了された。そして何より……」
少し間をあけて続ける。
「親父は、確かに生きていたそして、俺は親父がいたからここにいる。選択した世界で俺も、お前もこうやって感動されながら生きているんだよな。……ありがとう。俺に、こういう機会をくれて」
と優しく微笑んでくれた。
俺が泣きそうになって、涙がこぼれないように堪えていると、父も涙を零しそうになり、少しだけ俯いて涙を手で拭っていた。
次の日、監督は父と俺に、十二月に話した話を直接するため時間を割いてくれた。
都内の某レストランで、俺はレストラン前にいる監督に父を紹介し、父へ通訳をするために一緒の席についた。監督は座ると、まず父が監督に向かって
「映画を観ました。素晴らしい作品でした」
と声をかけた。
監督は嬉しそうに微笑んで、光生の人生は祖母と出会って、父をすごく愛していた。言葉で表すのが型にはめるようで、言い表せられないくらいでと言っていた。
それから光生の人生を、まるで自分のことのように大切に聞き、問いたいことはとことん訊いて、監督にお礼を言って、別れた。
今回は、すぐにドイツに帰るため、この日の夕方には、監督自ら東京国際空港まで送ってくれた。
俺は、一ヶ月後には、仕事で日本に行く用事があったので、その時にでも反響を聞かせてほしいと言って、搭乗口に父と二人で向かった。
それから、ドイツに帰った父は俺のスマホで監督と祖母が話しているのを見て俺に昨日を含め、たくさんのお礼を言ってきた。
父は苦労をしていたと思う。十歳になる前に、第二次世界大戦が起こった戦争を経験し、日々の努力で積み重ねた評論の力で評論家になり、メディアにもちょくちょく出て、大学の講師からの教授になった。恋愛や女というものが、薬にも毒にもなると思っていた父は、女や恋愛というものに興味がなく、ただ永遠と仕事と向き合っていた。女性のアピールも見事にスルーしていったし、心を開くことはなかったという。
彫刻家だった母の個展を友人の付き合いで行った。仲良くなったのをきっかけに、母に心を開いた。
珍しく父から興味を持ったという。表裏がない性格。真っ直ぐなことを言うところに対して心奪われて交際した。
恥ずかしがって父は何も言わないけど、父は不器用ながらに、花をプレゼントしたり、サプライズでケーキを用意してくれたりと、器用でないところはあっても、それを補うくらいの優しさがあったと、母は語っている。
八歳差があるとはいえども、価値観や物事に対する根本的な考え方は二人とも似ている部分があったらしい。
時々、母とぶつかったこともしばしばあったらしいが、「若いからね」と言って話を違う話になっていってしまう。
祖父母は、出会ったのち国際間で問題が起こること間違いなし。それとは違って、友人の紹介で出会った、父と母は子供を授かった。母は高齢出産のリスクが若干あったものの、元気な男の子を産んだ。
それが俺。父は日本で使われている漢字の語呂合わせの名前であったが、俺の名前の元となった漢字、『
星になった祖父をはじめ、この時代を作った星のものの軌跡が俺を照らしている。
モーメント・バイ・モーメントの制作に携わって、祖父の話を監督から聞いて、分かったことはたくさんある。
照らされて、星になった人達に感謝を込めて。
俺は、部屋の窓から夜空を見上げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます