第40話 握られる心臓

「今日は楽しかった。また会いましょう。いや、スバルさんずっと居るからまた絶対会いますね。撮影あるし」

と言われ別れた。

 これから雑誌の撮影があるらしく、撮影現場に向かうそうだ。


 俺は、彼女の背中が見えなくなるまで見送り続けた。見えなくなった後に、俺は大きなため息をつく。かなり怖かった。心臓がバクバクと激しく音を立てている。


 ホテルに戻り、さっさと寝た。天使の瞳は何を考えているのか悟られないように、濃い色をしていた。

「バクバクしている」

これが、恋する人間のバクバクだったら、まだマシだ。天使に心臓を握られたようなものだ。実に恐ろしい。


 真田さんに、日内さんの演技について電話で聞いてみると

「ありゃ、怖いですよねー。赤ちゃんとか敏感な子どもなんかは大泣きだろうし。俺も、心臓が眼圧で穴が空くかと思ったので」

と、冗談を交えて言ってきた。そんな怖いもの見たさみたいな感覚で撮影に臨んだとは思えなかったので

「怖いって思ったってことは、演技だって気付いてたんですか?」

俺は聞いた。

「いや、違います。気づいたら怖いなんて言わないですよ。俺は、彼女に対して恐怖を感じたんです」

 俺は首をかしげた。意味がわからなかったからだ。真田さんは「怖いものは、怖い」と言っただけだった。

 それから数日して、俺は真田さんと東条さんと撮影現場から車で三十分くらいのところにある飲み屋に行った。そこで、日内さんから告白されたことを話す。

「怖くて……」

と言う俺の言葉を遮り

「おお! 日内ちゃんの初恋じゃん!」

二人ともテンションが上がっていた。勿論、個室とは言え、声のボリュームは下げている。

「え、初恋?」

俺は聞き返す。

「あの子と同じ専属モデルをてた子が、恋はしていないって数年前からずっと言っているらしいから」

東条さんはそう話す。

「一目惚れねえ」

真田さんは感心していた。

「それを映画の役作りかなんかの感情に使ってもらえたらいいんですけどね」

「スバルくんは恋しないの?」

東条さんが、フレンドリーに聞いてきたので

「別に、今はいいです。映画の成功のことしか考えてないです」

「まるで、光介だなあ」

真田さんがやれやれと肩をくすめて言ってくる。


 昨日の飲み屋に行って話したことを思い出しながら、現場に向かった。

「俺は礼くんが心配だな」

と独り言を呟く。お昼からの撮影だったので、十一月の太陽の光が当たる中、ルイーナと光介のシーンが次々と撮られる。

 その日内さんが演技なのか本当なのか、分からなくなっていた。演技なのか本当なのかが分かるような出来事がすぐに起きる。

 日内さんが、台本にはないセリフを言うのだ。

 アドリブを入れられるということだ。それはそれですごいことではあると思う。

 監督にダメ出しされているわけでもないし、周りが止めているという様子もない。


 映画での別れのシーンも撮ったし、後は雪の中を光介とルイーナとセイの三人で歩くシーンと、ルイーナとの出会いの場面を撮るのみとなった。

 雪のシーンは合成技術でなんとかなるそうで、この前のロケよりは早く終わるだろうと言われている。

 礼くんは、ちょくちょく現場に来ていたが、最近は来ていない。


 そしていよいよ、明日が礼くんの大切な出番。どれだけ変われるか。どれだけ、観ている人を納得させる、国の善から国の悪に変わるきっかけになる場面をどう演じるのか。スタッフも楽しみの様子だったが、俺は緊張している。

 その撮影の前日、礼くんに電話をかけた。

「あ、スバルさんー」

案外けろっとしている。緊張していないかと訊くと

「緊張はします。でも、俺がする光介の演技で観ている人の心臓掴みます。ドキドキさせます。なんせ本業アイドルですから。アイドルの本気のファンサを受け取ってもらうために、全力で演技します。日内さんに合わせてもらうのではなくて、ついて行けるように」

 電話の向こうでは、本気でやるぞという笑みをこぼしているだろう。

 そして、いよいよ出会いの場面の撮影まであと数十分。俺は、見守りつつ、監督の横に立っていた。すると、監督が俺の顔を見て

「日内ちゃんの演技が怖いって思っている?」

図星だったので

「まあ」

 苦笑いしながら答えると、監督は笑い出す。何故笑っているのか分からないまま監督を見ると

「日内ちゃん、君に恋をしているんだな」

と衝撃的な一言を口にした。

「は?」

いや、監督に言っているのかよ。と、思わずツッコミを入れたくなるがその言葉を飲み込んで

「撮影に、活かしてもらえる感情ならば、俺は別にどう思われようとも構いません」

「やはり、君は悪い紳士のような考えをしているね。それじゃ、一生好きになる女が現れないが、女は寄ってくるだろうさ、女はそういうミステリアスな奴に惹かれるから」

ニヤリと監督は笑う。

「俺のことはどうでもいいんですよ。それより、この出会いの場面で光介の感情の豹変をどう観客に観せるかが、この映画を水の泡になるか、そうではなくなるか。最高の映画になるかになるかそうではなくなるかのポイントになると、俺も思ってます」

と言うと

「スバルくんも言うようになったね〜」

嬉しそうな顔をして俺の背中を叩いてきた。

「礼くんと日内さんを信じます」

 俺はニヤリと笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る