第35話 他人事

 五月の中旬に、前半の撮影は終わり、俺は仕事に戻った。夏は、ドイツに帰って翻訳の仕事に努めた。十一月に再び撮影を控えているこの映画のために、俺は日本語と日本の勉強をもっとすることを決めた。


 日本からドイツに帰ってきた時、父がフランクフルト空港まで迎えに来てくれた。その時に、祖父について話さなかった父が

「お父さんは、俺が五歳になる前に日本に帰って行ったよ、それは覚えている。でも、たくさんのことも思い出すのもどうかと思って、思い出すことをやめたらなあ……」

父は車を発進させ、少し間をあけてから

「忘れたんだ」

少し気難しい性格上だから、思ったことを言葉にできないのだろう。でも、それが正解だったと俺は思っている。

「光生は覚えていたよ」

父は驚いた表情を俺に向けた。

「あのな、それは違う」

「違う?」

父が俺の目を見て話すのは珍しいので俺も父の方を見た。

「俺は、確かに思い出さないようしていたら大事な何かまで忘れてしまったんだ。でも、光生は違うんだ」

俺は口を挟まずに聞いていた。父の話しには続きがあるようだったから。

「後のことも考えず、自分の感情だけで動く人だったんだろうな。良く言えば素直で真っ直ぐな人。きつい言い方をするならば、自己中心的な人間だった」

父は赤信号で車を止めた。

「生まれてきた俺も悪いがな」

俺は唾を飲んだ。今まであまり祖父について聞くことがなかったからとても興味があったが、あまりいい印象ではないようだった。これは映画の話をした時もだった。

 祖母も父親も、他人事のような言い方をして話している。自分の旦那、父親をモデルにした映画が、有名な映画監督が、作っているというのに。

 

 木ノ下光生は、日本で有名な教育学者である。医学に精通した知識を持っており、特に児童のことに関しては詳しいと言われていたが、光生の著書や研究資料が、僅かではあるがどこかに消えてしまったと言われているそうだ。

 俺もあまり多くは知らない。

 ただ言えることは、祖父は祖母を愛していた。

 愛して、愛して、俺の父親が産まれた。

 望みと真実をルーシーに託して、二人を名残惜しくもドイツに置いて、日本に帰り戦争に巻き込まれて戦いに出て銃弾が内臓に当たり、出血が止まらず戦死。

 父は、それを知ってはいるのだろうけど口にはしない。

 今日まで、父は木ノ下光生をどう思っているのだろう。

 

 車は一般道を走っている。

「光生、お父さんのことさ、めいいっぱい可愛がってたんじゃない?」

「だと、いいな」

 父は切なそうな笑いをしていた。

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