第31話 可愛くて

 光介幼少期役の男の子と、ローランド役の役者さんが、こちらに向かってくるので会釈する。

 すると、二人とも会釈を返してきてくれた。それから子役の男の子が、真田さんの元に走って来て

「真田さん、こんにちは! また学校の算数の宿題教えてくださいね!」

「お、いいぜ! 算数は面白いんだからな」

「えー、賛成できません!」

と、笑いあっている。先程の話だったら怖がられていることを想定していたのだが、全く怖がられている様子はない。

「二人はサスペンスドラマで共演してから仲がいいんです。真田さん、めちゃくちゃ懐かれているし、満面の笑みでゲームやら宿題やらに付き合ってるんですよ」

と、ローランド役を演じていた役者さんが耳打ちをしてきた。西洋的な顔立ちと背丈をしているが、この人は知っている。吉池監督が監督した二作品目に出ていた方。名前も勿論知っている。

東条歩世とうじょうあるせです。どうぞよろしく」

 東条歩世。吉池監督が、二回目に監督をした作品の映画で、主人公を支える舞台俳優の旦那役を演じた人だ。

 正確な演技とのめり込めるような演技力に見ていた人はあっと驚き、各メディアに取り上げられている記事もあるという。

 一人の女性が貧しい生活にめげず、傷つきながらも、たくましく生き抜き、戦後の日本で絵本作家として大成するまでを監督の二作目の映画で描いている。

 その映画は、絵本作家・豊岡理子とみおかりこの半生を映画化したもの。

 豊岡理子さんは、世界でも注目されている方である。その映画も有名になった。世界のネット配信動画サービスで配信されていたため、俺も観たことがあるのだ。

「吉池さんの映画、出てましたよね? 俺、観たことあります」

 東条さんは思い立ったように

「ああ、その時二十五歳だったな。当初、自分の顔立ちと実在している旦那さんとの顔立ちが合わないって言って、一度断っていたんだけどね」

自嘲気味に笑う。

「監督の熱烈なオファーで、断るのもなんだか違うなって思って、思い切ってやってみることにしたんだよ」

一度軽く、頭を掻いて

「そこから売れてきてさ、その映画の主題歌を歌ってた歌姫と三十の時に結婚出来て、今では可愛い双子の娘のお父さんになれた。三十六歳だけど、この前の春の娘の運動会で、同い年の娘二人いるからさ、二回ダッシュして親子競技に出たんだよ」

嬉しいのが分かるくらいに顔を綻ばさていた。

 それから、娘さんの可愛い写真をたくさん見せてくれた。ベストショットは手でハートを二人で作ろうとしてクシャっとなっている写真だと語ってくれた。

「東条さん! 僕にも見せてください!」

と子役の男の子が背伸びをして、写真を見ようとする。

「話が長くなるから止めておけ」

子役の男の子と真田さんのやり取りで、また違う話になって、その日は別れた。



 春の夜、吉池監督の車の中で散る桜を見ていたが、とても綺麗だと思った。

 六月の撮影を終えたら一度ドイツには帰るのだが、それまでの間、監督の家で過ごしてもいいことになった。

 奥さんも、高校生の息子さんも温かく向かい入れてくれた。

 日本料理を食べて、箸の使い方を教えてもらったし、本場の味噌汁も飲めて、満足した一日を過ごせたと、用意された洋室の部屋でそう思って眠りについた。

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