第27話 万年雪に足跡をつける
セイが産まれて少し時が過ぎる。雪は止んでいるが、まだ昼間だというのに寒さがまだ残っていて、空が薄暗い。
屋敷に入るとと早速、ルイーナの部屋に向かった。ノックをしてドアを開ける。
すると、彼女は起き上がってセイを膝の上に乗せていた。目が合うと微笑みかけられる。それに答えるかのように自分も口角を上げた。
ベッドの側に置いてある、小さな椅子に腰掛けさせてもらっていたセイを抱き上げる。
そして、そっと頬擦りした。柔らかい肌に触れているだけで、とても幸せな気持ちになれるものだなと感じさせられる。この子のためにできることをしたい。本気でしたいと言うとルイーナは
「海を越えた先であなたが元気であればそれでいいわよ」
そっと笑ってくれた。
「ツイ国の勉強はどう?」
明るく訊いてくる。
「職人の技術がすごいな。鍵職人に靴職人。それから料理の腕が半端じゃないんだぜ!」
「まあ、料理人みたいな人がたくさん住んでいるってわけではなくて、皆自分の腕一つで食べてるらしいのだけど。そんなところで学ぶことがあるとは思い難いけどなあ」
呆れた様子で話すルイーナだったが俺は本当に感心させられたのである。
「文学作品も充実しているな。学校の勉強は参考になる。それから政治だとかも……」
「もういいから! 十分わかったから!!」
早くもこの国の文化を理解しつつある自分に、焦燥を覚えていたようで話を止められる。でもこれで少し安心させたかった。
セイはぐっすり眠っているようだ。背中をさすったり頭を撫でたりしている内に、だんだんとうつらとし始めた。セイは赤ん坊の中でも大人しい子だと思う。もっと声を荒げて泣くものが赤ん坊だと思っていた。でも、母乳はよく飲むし、泣かずにいることが多い分よく笑う良い子なのだとも思う。
そんな事を思い返しながら、しばらく見つめ続けていた。するとルイーナが話しかけてきた。
「今のうちよ、たくさん抱っこしてあげて。帰るのは後、何年後?」
「……四年はもうないな、早まるかもしれないけど」
「ギリギリ、セイがあなたのことを覚えているかいないかでお別れなのね。ちょっと寂しいな」
少し切なそうな表情を見せた彼女に思わず抱きしめそうになるが踏み止まる。ここで触れたらいけない気がしたから。
ただ彼女の言う通りセイが大きくなった時に、自分がここにいたということを、憶えておいてほしいという願望もある。それもまた、事実だった。
「チニ国に来るか?」
彼女は一瞬目を見開いたが
「ダメよ、私はここにいる。これでも、私いいところの娘なのだからね。子連れの私とでも婚約したいと言ってくる人もいるかもしれない」
確かにその通りだが、本当は一緒に暮らしたいという想いもあったけど、環境と立場というのが人生には付き物になってくる。
あれからセイは掴まり立ちをして、二足歩行で立つようになり、言葉を知って喋るようになり、走り回るようになった。 あれからセイは掴まり立ちをして、二足歩行で立つようになり、言葉を知って喋るようになり、走り回るようになった。
成長が早く、毎日驚かされているのだが、中でも絵本を読む姿は、とても印象的であった。
物語を聞くのが好きなようで、俺がチニ国の話なんかも聞かせてあげたりもした。『おひめさま』とか『おうじさま』という単語もよく口にするし、街の中でも生活の中で見たものを絵にして俺に見せてくれることもあった。
セイは、ルイーナのことを『ママ』と呼び、俺のことを『コウ』と呼んでいた。
こんな話をロジャーさんから聞いた。市朗さんが俺が女が住んでいる屋敷に通っているということを知っていたらしく、前から心配していたという。
最近になったら、子連れで歩いているから何をやっているんだと問い詰められた。そんな時は
「まぁまぁ、男の秘密は色々ですからね」
ロジャーさんが会話に入ってきて、市朗さんを落ち着かせてくれたのだ。
ロジャーさんは奥さんがいて、最近奥さんが身籠ったと聞いた。ロジャーさんの奥さんは、聡明な方でいつも穏やかな笑みをたたえ、優しく見守っているような雰囲気のある人だった。
時々、ルイーナの屋敷に遊びにくるようになった。たまには夫婦水入らずで過ごしてくださいと言ったのだが、奥さんが
「楽しいので」
と言われたりした。
ロジャーさんと奥さんには、セイが俺とルイーナの子供だというのは話していたので、気楽に過ごせた。ルイーナも二人のことを信頼しているみたいで、よく色んな話を聞いていた。
そんな日が続いた、ある日のことだった。朝になるとセイが起きてきて目を輝かせた。
「おはよう。セイ」
セイがじっと見つめる先を見てみると窓の外に積もっている真っ白な雪があった。昨日の夜中に降っていたので、おそらくそれが嬉しかったのだろう。
セイが喜んでくれると、俺自身も嬉しく思える。
「ママ、ゆきあそびしてくるー」
言い出したのを聞いて、ルイーナを呼びに行く。
二人で玄関の方に向かって歩いていく途中で
「私も行く」
彼女が言い出して、結局全員で外に出ることになった。
セイは積もった雪の上に足跡をつけ、ジャンプをしたり、雪を掴んで俺やルイーナの方に投げたりとしていて、楽しそうだ。その様子を見ているだけで、こっちまでもが、笑顔になってしまうものだった。
きっとチニ国に戻ってこのことを思い出してしまうと思うと、涙腺が緩みかけたりするものだが、今は我慢しなければならないと思いながら彼女を見ていた。
雪合戦が終わったところで抱き上げて
「寒いから部屋の中に入ろうか。風邪ひいちゃうと困るし」
と言う風に声を掛けると、セイは素直に返事をした。
その後すぐ、雪にまみれたまま眠ってしまったセイを、ルイーナと一緒に寝室に連れて行って着替えさせた。
セイが眠るのを確認してからリビングに戻る。ルイーナは寝ていなかった。暖炉の前で本を読んでいたからだ。
ソファに座るように促されて言われるままにそこに腰掛けた。
彼女は紅茶を入れてくれて、それを飲むように勧めてくる。
そして、隣に座って寄り添ってくれた。暖かい空気を感じながらも、ふわりとした甘い香りにも癒されていたりした。
カップを口に運ぶ手が止まったと思ったら、彼女が唐突に質問してきた。
「あなた、何かやりたいこととかないのかしら? あなたが故郷に帰るまで契約上っていうのかしら? それも、もうないでしょう? だから……」
彼女は優しい。優しすぎる。
「甘えるわけにも」
「私が訊きたいの!」
と言うものだから
「写真か、絵を描いてもらおうか。俺は留学仲間で、この前写真は撮ったんだけど、三人ではないしな。せっかくならセイとの写真、撮りたくなってきた」
彼女は、大きく頷く。
「それは分かるかも。家族写真を撮ること自体は別に構わないんじゃないかしら。セイも喜ぶでしょうし」
とは言ったが、写真館は予約はして、セイがもう少しじっとしていられるくらいになってからにすることにした。
ロジャーさんの知識は幅広く、物知りで、俺たちが勉強を教えてもらっている最中に彼が教えてくれることも度々あったりする。
ロジャーさんとその奥さんが、セイの面倒を見てくれることが多くなった。俺とルイーナとの二人の時間を増やしなさいと気遣ってそうしてくれたのではないかと、最近は思うようにもなっていた。
そんなある日のことだった。今日もルイーナが作ってくれたものを食べさせてもらっているのだが、食べ終わってセイを抱きかかえた瞬間に口を大きく開けて泣き出してしまった。
最初はどうすればいいのか分からずに慌ててしまったものの、すぐに落ち着いてきたようで安心して、そのまま抱っこしたままあやすようにしてゆっくり揺らしながら体を左右に動かしていく。
すると、いつの間にかセイはそのまま眠っていて静かになった。
ベッドの上に置いて毛布をかけてあげると、再びセイが目を覚ましたようだった。目が合う。
すると今度は笑いだしたので、とりあえずホッとしていたのだが、いきなりこちらに手を伸ばしてきたのである。反射的に手を伸ばすとぎゅっと握りしめられる感触があり、それにまた驚いてしまう。
「コウ、ありがとー」
と言ってまた眠りについてしまったのであった。
それを見ていた彼女も同様なのか、微笑んでいるように見える顔をしながら黙っているまま、何も言わなかった。
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