第16話 星辰
俺が熱で倒れてから、四日後のことだった。
井ノ原教授は、仕事が多く忙しいのだが、一度、時間を見付けては様子を見に来てくれた。
「これから、どうしたい? 三木が望むのであれば、このまま医療の道に進もこともできるし、こちらの三木の親類家で貿易関係の勉強をすることも頼めば可能だろうし、書物を作る職場に行って、そこで新しい分野を学んだりもできるぞ。もし別の道に進みたいというのならば私たちもそれに従うから」
元基さんは、自分のやりたいことや目標に向かっている。貿易関係の勉強をしながら戯曲を書いている。それに俺は憧れを抱いていた。
「もう少し考えさせてください」
そう言ったあと、井ノ原教授はすぐに帰って行った。
本当は、井ノ原教授に全てを話してしまいたかった。
医学の世界に進むかそれを諦めるかという選択。どちらにせよ俺は迷うことになるだろうから。
教授に少し休むように言われて、元基さんが出かける時に、誘ってくれた。
街を歩きながら色々なものを買い込んでいくうちに時間が過ぎていく。そして日も沈んでいく。店で買ったあんぱんを食べながら、俺たちは高台の夕日が沈むのがよく見える場所へとやってきた。ベンチに腰をかける。
「今日は何時まで一緒に居られます?」
俺が元基さんの顔色を見ながら聞くと彼は笑いながら答えてきた。
「いつでも。光介が満足するまで付き合うよ」
元基さんと一緒に過ごす中で分かったことが幾つかある。
まず優しいこと。数年一緒に過ごしているから尚更だが俺にいつも優しい目を向けてくれていた。
次に意外と悪戯好きということ。驚かすつもりがなくとも、突然後ろにいて吃驚したりとか。でもそれが楽しかった。
「俺、これからどうしましょう」
「これからって? 自分で決めるもんだよ」
元基さんは、困ったように笑っている。
「それは、そうなんですけど……でも、第三者の考えをお聞きしたくて」
と前置きを入れて考えを話した。
「医学のためにってずっと考えてた。留学生が身近にいたこともあったけど、異国のことにも興味があって。でも今はちょっとよく分かんなくなってきて」
俺は思いのままに言葉をぶつけてしまった気がする。
すると、元基さんが真剣な眼差しで俺の事を見た。そしてこう告げた。
「医者になる夢を追うか諦めるか」
そう言った後、少し寂しげそうな表情を見せたあと
「好きなことをすればいい。好きなことを極める天才児」
元基さんの顔に夕陽の光があたり、整った顔が、さらに綺麗に見えた。俺は唇を少し尖らせて言う。
「でも、過信してました。自分がこんなに臆病で何も出来ない人間だと思わなかったんです」
長いため息の吐くと、元基さんはぽんと俺の背中に手をあて、気力を湧かせようとさする。
「自分を責めすぎてはいけないよ。君ならきっと乗り越えていける」
元基さんの声を聞いているうちに少しずつ落ち着いてきた。
それからしばらく沈黙が続き、元基さんが立ち上がって、俺の手を握って引き寄せて立ち上がらせる。
「僕も弱い人間だから分かる。辛いと思うけど、その度に周りの人に相談してほしい。光介の周りには頼り甲斐のある人がたくさんいるじゃないか」
元基さんが言うと本当に説得力があると思った。彼が言う通り、周りにいる人たちは皆優しかった。それから元基さんが
「星はいいのか? 天文学これからでも学び直すとか」
徐々に星も見えはじめてくる時刻になりはじめていた。俺は空を見上げる。数秒目をぎゅっと瞑り、ゆっくり目を開き、深呼吸をしてふっと笑う。
「専門にして学びたくはない。前と変わらずです」
「頑固だ。そこが、いい人間味を出すだろうな」
クスッと笑う元基さんは頼れる兄貴そのもので思わずドキッとした。俺よりも五つ歳上の男性なのだと改めて実感させられる。
「俺も……物語を書こうかな」
俺がそう呟くと
「それはいつだって出来るさ」
と言って、元基さんは荷物をまとめた。
それから俺たちは家に戻った。夜になると、空に浮かぶ星の数は増えていて綺麗だった。テラスに出ると街の明かりが見える。元基さんも隣に来てくれて、二人並んで眺める景色は絶景だ。
「ずっと見ていたい」
俺が小さく呟くと
「無理をする必要はないんだ。ここに来たのは医学を学ぶためでもあるが、異国の文化にも触れられただろう」
俺は本当は何がしたいのだろう。
星は昔から好きだったがそれを仕事にしようなどとは考えたこともなかったはずだ。俺の知らない事がまだまだ多くて勉強になったことばかりだった。
そして、もっと知ろうと思って医学に進んだのだ。しかしその道が今は怖い。
でも、逃げるのか。
でも、本当にやりたいのだろうか。
星を見ながら、俺は悲観的に考えてしまった。
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