第10話 学ぶと好き

 ルーシーは、スバルが帰ってから一息休憩を入れた。そして、デスクトップパソコンの前にある大きめの椅子に座る。老眼鏡をかけ、スバルがセットしてくれた小説のフォルダをクリックした。


 “俺は京の父の親類宅でしばらく暮らすことになった”


 次の章は、この文から始まる。ここからは光介の一人称で語られるらしい。

 ルーシーは、長いため息を吐いて

「思い出すことも、もうないのだけどねえ」

と呟き、読み進めていった。



  俺は京の父の親類宅でしばらく暮らすことになった。

 父は医者の仕事があるため、忙しく働く日々を送ることになる。母も手伝いをして働くこともあったが

「いいかい? 勉強も頑張るが、友達と仲良くな。勉強も大切だけども、人と関わるのも大切なんだ」

と母は口癖のようの言っていた。

 人との巡り合わせを大切にしていこうと思いながら、父家系の親類家に向かう。


 父から事前に貰っていた親類宅の家の住所を書いたメモの通りに歩き、着いた家は和洋折衷建築の屋敷であった。

 この屋敷には、貿易関係の仕事をしている親類宅の主人とその奥さん、俺より五つ上の男の人がいると聞いた。華族の方々なのか、俺自身、教えられていないためよく知らない。ひとまず荷物を置いて身なりを整えた。

 

 しかし、しばらく門を開けていいのか戸惑う。そんな俺の元に

「あ、いらっしゃい」

と陽気な女性が洋服を着て俺を迎え入れてくれた。

「こんにちは、三木光介です」

と頭を下げると、俺の頭を軽く触って挨拶を返してくれた。

「私は珠子たまこと言います。光介くんの五つ年上の元基もとき、っていう私の末の息子も一緒に住んでいるからね。お兄さんだと思って接してあげてちょうだい」

 そう言って、家の中に招き入れてくれた。


 リビングと呼ばれている部屋に通してもらう。

 珠子さんの旦那さんである男性、邦治くにじさんにも挨拶をしに行った。俺を見てニコニコとしている。

 きっとこれからお世話になる人たちなんだと思いつつ、自己紹介をする。

「三木光介です。十二歳になったばかりですが、ここで学ばせていただいてもよろしいでしょうか」

 緊張しながらもきちんと話せたことに自分で驚いてしまった。邦治さんは、笑顔のままだ。

「もちろんだとも。君がここに居てくれるなってくれるなんて嬉しいな」

と言って、俺の肩に手を乗せた。

 こうして、俺は親類の家に居候のような形で暮らすようになった。



 津出見よりも都会的で建物も多い。ここらは、高い建物の建築や、寄席や見世物小屋などの興業や、牛肉店・天ぷら店・鰻店といった高級料理店・料亭が営業が可能らしい。活気のある街並みだと思う。

「京の桜を見たことがないだろう?」

 元基さん言われ、広い庭にあった桜の木を見る。

 津出見で暮らしていた時に見た留学生が植えていた外国の花々も素敵だったが、桜もまた違った趣きがあって綺麗だった。


 チニ国にはない色鮮やかな花が咲く、綺麗な町。これが日本の京。

 京は毎日のように新しい異国の文化が入ってくる場所だった。食べ物、情報、流行りなど、全てが新しく刺激的な場所に見える。

 そして俺は、医学だけでなく様々な学問を学ぶことができた。親類の方に医術以外に政治・経済・地理学、算術なども教えてくれた。

 医術の知識を深めると同時に他の知識も増やし、様々な視点で物事を見ていけるようにと教養等も教わった。


 その家の末の男、大井元基おおいもときさんは、よく俺の面倒を見てくれた。

 朝、鏡の前で色素が少し薄い癖っ毛の髪を整えるのに苦戦しているのを見ると、大変そうだと思う。スラリとした体型ではあるが若干、筋肉質の男だ。和装も洋装も似合う男である。


 ある日の昼過ぎに、自室で算術の教科書を見返していた時

「一緒に出かけるから、支度をして」

と元基さんに声をかけられた。

 一枚、羽織を羽織って玄関まで行く。

 玄関には、洋服を着ている元基さんが、俺が来たのに気付いてこちらを見ている。そっと微笑み、手招きをされた。

 外に出て、言われるままついて行くと、そこら中を歩き回る。京の歴史の話や俺の故郷はどんなところか、そういう話もするがどこに向かっているのかわからない。

「どこに行くんですか?」

と聞くと、元基さんはニッコリとして答えた。

「大井家のものに言いづらいのか、光介は外に出たがらないし、屋敷に引きこもって勉強ばっかりやっているからね。偶には散歩でもさせようと思って」

 確かに、京に来て一ヶ月が経つ頃であるが、自ら外に出たいと申し出たことはない。

「お前はな、医術の天才といっても過言じゃない。だから色んな視点から色んなものを見る必要がある。それを知ってもらう為に、色々なところに連れ回そうと思ったんだ」

「そうなのですか」

俺がこくんと相槌をすると、元基さんはふっと笑う。

「んー、光介は好きを極められる天才かもしれんなあ」

「……好きなことですか」

 その時、自分が一番好きなものを考えたことがなかったなと気付いた。留学をし、ただ医術の道を進むことをひたすら考えていた。

 自分の好きなことはなんだろうかと。

「医術の次はなにを極めたいんですか?」

 元基さんは急に敬語を使って揶揄うような声を出した。

 必死に考える。医術の次に好きだったもの、それは

「星空が……、好きなのかもしれません」

 鈴郎の元で一緒に学んでいた留学生の人たちと一緒に見た星空を思い出した。

「ほう、意外だ。天文学を学びたいと?」

「いえ、学ぶと知らなくてもいいことを知ってしまうような気がします。なので、それはないと思います」

「へえ」

「知らないことは怖いものです。でも、知ってしまったことは忘れられないものになるのです」

「そうだな」

 津出見に住んでいた頃は、星を見に行ったり本で読んだりするのが好きになっていった。留学生たちにもその手の話も聞いた。だが、天文を学ぼうとは思わなかった。星の見方や星座、神話の話を聞いても自分の中で何かが欠けていて、どこか納得できないものがあった。だから俺は、医術だけを追求していたんだとわかった。

 そう思うと自分はやはりまだ未熟なのだと感じる。

 


 それから、さらに数ヶ月を過ぎた頃には、医術だけではなくもっとたくさんの事を知りたいと前よりも思うようになっていた。


 自分から元基さんを誘って京の辺りを散歩するようになった。

 散歩中、辺りを見渡してみると、着物を着た女性たちが歩いていたり、人力車に乗っている人を見かけたり、華やかな印象を受ける。

 道沿いに建っている建物はどれも高く、見上げるばかりである。


 外食をした料理屋の料理はとても美味かった。

 元基さんは食いしん坊なので、寿司を食べたいというものだから、その後に訪れた寿司屋にも行った。


 神社にも訪れ、おみくじを引いた。結果は大吉。俺には大切だと思える人が身近にいると書いてあった。 

 家族とか友達のことかなと思い、その人たちを大切にしたいと思った。勉学に励もうとより一心に思った。



 数年がそうやって流れた。

 俺が十五になる前の年、邦治さんに突然呼び出された。

 リビングに行くと、珠子さんと元基さんもその場にいた。

「話ってなんでしょうか?」

 俺からそう切り出すと、邦治さんから呼び出された理由を説明される。

 少しお金を負担してやるから、医学部の予科の試験を受けたらどうだろうかという提案だった。

「光介くんのお父さんも賛成らしいわよ」

珠子さんがそう付け加える。

 俺は、大井家の人たちにもお金を負担させてしまうのは申し訳ない気持ちがあることを伝えたが、三人に助言の言葉や才能があるのだろうからやった方がいいと背中を押される。

 俺は頭を下げてお礼を言う。医学部の予科の試験を受けたいと頼んだ。

 三人は満足したようにそっと微笑んでいた。


 今までの勉強の成果が出せたのかその結果は合格。自分でも驚く結果である。十六歳になった俺は、予科に通うことになった。

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