《119》ナナとスラル。





 先刻ダイニングルームに集っていた者たちの内、テリアの仮拠点に

 今も残っているのは、スラルとラナンキュラス、リリィの三名のみ。


 ナナは、母モフによって“モフ聖地”とやらへ連れ出されていった。

 シエラとユリウスの人族二人はエル・フローラ、フローリアの元へ。


 ラナンキュラスはテリアを散策すると外へ出ていった。

 スラルは特区の監査役に据えていた部下からの報告を受けに赴き、

 リリィは改めて子供たちの様子を見に行った。



 子供らを交えて食事を採った後。

 各々ダイニングルームから出ていく中、リリィがスラルを呼び止めた。


「……少し、時間をもらってもいいですか?」


「構いませんよ」


 二人をラナンキュラスがちらりと一瞥する。

 けれど特に何も言わず彼女も扉を開けて出ていった。


 静かになった広い室内に、二人だけ。

 とりあえず椅子を引き、スラルはリリィにも着席を促した。


 テーブルを挟んで向かい合って座り、しかしリリィはしばらく何も

 言わずテーブルの上に視線を落としていた。

 スラルはただじっと、催促せず言葉を待った。


 やがて、ようやくリリィが口を開く。


「やっぱり、ナナは私を責めなかった」


 視線を落としたまま、ぽつりと呟く。

 自分がナナに対して向けていた後ろ暗い気持ちの事だ。


 スラルは少し待ち、続く言葉が出ないのを確認して応える。


「ひとつ、予想していいかな」


「え? ……はい」


「先程のウサモフの一連の話を聞いて。

 君は微かに残念だと思ってしまったかい?」


「……!!」


 スラルの言葉に、はっとした顔を向けるリリィ。


「荒唐無稽な話だが、あれが真なら確かに光明と言えるかも知れない。

 でもそれに対して、君の胸の内になにか暗い思いでも芽生えたのかな」


「どうして……分かるの?」


「分かるわけではない、ただの予想だよ。

 わざわざこんな風に差し向かいで聞かせたい話とはなんだろう?と

 考えたら、なんとなくね」


 聞きながら、リリィは再び目を伏せる。

 スラルの言葉は、図星だった。


「私、ナナに想われる資格なんか……無い」


 小さく呟くその声から、深い自責の念が滲む。

 俯く少女の表情に、激しい自己嫌悪が浮かぶのをスラルは見る。


「ご両親の事で悩んでいるナナを見るのがとても辛かった。

 でもきっと……同時に、どこかで安心してもいたの」


「……そうか」


 スラルには、リリィの言わんとしている事が分かる。


 明るい場所から、差しのべられる温かい手は嬉しい。

 けれど、暗い場所にいる者はこう望む事もある。


 同じところへ来て、寄り添い合いたい。

 同じ、あるいは似た痛みを分かち合って欲しい。


 両親を失えば、ナナには深い失意が待っている。

 失うものが子供であっても同じ。


 リリィの内に生まれたそれは、きっと本当に微々たるものだろう。


 ナナが暗い道を行かなくていいかも知れない事を残念に思う自分を、

 ほんの微かに自覚してしまったのだ、リリィは。

 心のほとんどは、ナナの不幸など望んでいなくとも。



 彼は溜息をひとつ吐いて、言った。


「私は孤児みなしごで、ナナの両親に引き取られたのは以前話したね」


「……はい」


「魔族の母は人族領で恋に落ちた人間の男との間に私をもうけ、産んだ」


「え……」


「しばらく我々は人族領で隠れ住んでいたが、父は不満だったようでね。

 母は擬装を会得していたから人里で暮らす事も出来はしたが、

 しかしまだ幼子だった私には擬装など到底無理だった」


「そう、なんですね」


「父にとって、私は望まぬ子供だった。あるいは母にとっても。

 父からの私の扱いは中々苛烈なものだったとぼんやり覚えているよ。

 今思えば、振るわれていた暴力を鑑みるに、すくなからぬ殺意をもって

 いたと推察するね。少なくとも死んでもいいとは思っていただろう」


 スラルの思わぬ告白に少し目を大きくするリリィ。


「そこで母は当時5歳の私を、知人のグラード様に預ける事にした。

 そうして彼女は己を偽り人里に降り生活を始めたそうだが、恐らく何かしら

 下手を打ったのだろうね。私が預けられた翌年、彼らの事情が明るみになり

 両親は人族の手によって処断されたらしい」


「そう、なんですね」


「以降、私は孤児となりグラード様に養子として改めて迎えられた。

 リリィ、私が当時ずっと胸に抱いていた思いがあるのだけど、

 それはきっと君にも覚えがあるものだと思う。何か分かるかい?」


「…………」


 …………


 置いてゆくなら、

 あるいは捨てるなら。



 



 リリィは言葉にしなかったけれど。

 でも、きっとこうであろうという確信があった。


 黙るリリィに、スラルは言葉を続けた。


「幼い私は両親の死を聞いて悲しんだ。ひどく悲しんだ。

 けれど、時が経つにつれ、少しずつ彼らを呪うようにもなっていった。

 分かっていたからね。両親は私を引き取るつもりが最初から無かった事は。

 母だって結局、父の暴虐を本気で止めたことはなかったしね」


 淡々と、いつもの無表情で述べる。


「捨ててしまえるなら、産むな。作るな。憎しみが日増しに募ったよ。

 しかし相手はもう死んでこの世にいない。やり場無い憎悪だった。

 だから、私はそれをあの子にぶつけてしまったのだと思う」


「あの子…………ナナ?」


「そうだ。私の二つ年下の幼い義妹。朗らかでよく笑う子だった。

 突然家庭に割り込んできた私にも、よく懐いて慕ってくれたよ。

 けれど当時の私には、あの子のそんな明るさが疎ましく感じられた」


 父から、母から愛され、不自由なく生きる少女。


 大切に育まれたその陽だまりのような笑顔が……

 父からは明確に望まれず、母すら足枷のように思った自分を、

 どうしようもなく惨めで哀れなものだと痛感させた。


「突き放し、時には怒鳴りつける事もあった。

 ただの八つ当たりさ。妬んで僻んで……一方的に嫌っていた。

 だが、あの子は一向に私を構うのをやめなかった。

 怒鳴られて、ぐずりながら、恐らく怯えながら。それでもいつも……」


 当時を思い出してか、スラルの無表情が僅かに揺らいだ。


「ある時ね。とうとう私はあの子を……ぶってしまったんだ。

 すると張られた頬を抑えもしないで、あの子は泣きながら……

 ごめんなさい、ごめんなさいと何度も繰り返した」


「…………」


「どうして叩かれたこの子が謝っているのか。

 それはもちろん自分が怖いからだと、最初は思った。

 でも、ふいに気付いたよ。

 いや、ほんとはもっと早くに気付いてはいたんだ」


 目を細めて、ここではないどこかを見やり、スラルは言った。


「この子は、僕の妬みも嫉みも、全部分かっているんだと。

 その“ごめんなさい”は、恵まれた自分への負い目から出ているんだと。

 どうしようもなく間違ったその“ごめんなさい”は、真の優しさの裏返し。

 私は一年かけて、ようやく分かった」


 ごめんなさい。


 ととさまも、かかさまもいて、ごめんなさい。

 わたしばっかり幸せでごめんなさい。


 あなたの辛さを、ちゃんと分かってあげられなくて、

 ごめんなさい。



「……リリィ」


「は、はい」


 呼ばれて顔を上げると、射抜くように見つめるスラルの瞳。


「君の自責は分かる。君の気持ちは、理解できる。

 でも、いいかいリリィ」


 穏やかに、けれど同時に厳しく。


「君は、あの子に許されてあげなさい。

 あの子のために。あの子を想うなら、許されないといけない」


 その言葉に、リリィは俯き目をつむった。

 身体が、震える。


「君は何のために、誰のためにいま、自分を責めようとしている?」


「……自分の、ためです」


 そうだ。


 妬んで、

 僻んで、

 なんて浅ましい醜い自分。


 そんな風に自分を責めるのは、結局自分のためだ。


 自分を責める程、それはナナを悲しませると知っていた。


 許さない事で自分を叩いているつもりで、

 その手は隣に寄り添う者も一緒に叩いているんだと。



 そもそも自分を叩いているのだって、

 人に叩かれるのが怖いから、先に自分でやっているだけなのだ。


 自分が悪いって分かってる、だからこうやって辛がっている。

 だから……


 だから、許して下さい、と乞うてるのだ。


 あぁ、

 そんなの。


 ただの、自分勝手な卑怯者だ。


「想われる資格が無いなんて、逃げちゃだめだ。

 後ろめたくても、苦しくても、君はもう想われているんだよ」


「うん……」


「君は、ナナが好きだ。『でも』や『だけど』は、もういい」


「…………」


 私のために言っているのではない、とリリィは理解する。

 かつて同じように、あの子の優しさに後ろ暗い気持ちを抱いたからこそ。

 このひとは、私にやるせないがあるのだと、リリィは理解した。


 この執事……いや兄は、ナナを本当に想っているのだ。


 リリィは天井を向き、目をつむる。


 そして、ナナの事を思う。



 眩しすぎるから、影のように消えてしまいそう。

 暖かすぎるから、氷のように溶けてしまいそう。

 優しすぎるから、怖いんだと知っている。


 でも、とリリィは思う。


「私、ナナが好き」


「ああ」


 スラルが、4mmくらいの笑顔を浮かべて頷いた。


 リリィは尋ねる。


「スラルさんは、いいの?」


「何がかな」


「あなたも、ナナが好きでしょう?」


「それは、いも――」


「妹として、とかじゃなくて」


 リリィの先回りに、スラルが少し苦笑する。


「答えられない。そして――」


 言いながら立ち上がり、首を傾げて言った。


「ずっと、答えを出さないつもりだよ」




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