《118》小さな特派員。





 魔王城、賓客の間。


 そこには今、ナナの父グラード、そして母メルメルの姿がある。


「……あの子、今頃どうしてるかねぇ」


 母が窓辺に寄り、向こうに見える花畑を見やりながら呟く。


 どうしているか……それはつまり、どんな心持ちでいるかという意味だ。

 平静でいるとは思ってない。あの子にはあまりに重い選択を強いた。

 やや間を置いて、グラードが応える。


「私を憎みはじめてくれていたりは……しないだろうね」


「当たり前でしょ。手前勝手な期待すんじゃないよ、この期に及んで」


「ん……すまない」


 淡く抱いた望みを、妻にきつい睨みと共に一蹴され俯くグラード。

 夫のこれ以上ないくらいショボくれた様子に溜息を吐いて、

 メルメルは一つ彼に尋ねる。


「……パパは、“彼女”の事……どう思う?」


「どう、とは?」


「700年以上前に魔族たる者を生み出した偉大なる母。

 アタシらにとっちゃ神様みたいなもんじゃないか。だけど……」


 “彼女”……すなわち“蛇”の姿、そして言葉。

 それらをメルメルは今一度思い出して言った。


「あの方と対峙して、そして話すほど……思ったよ。

 ありゃまるで、ナナみたいだ。力を持ちすぎた、ただの子供さ」


「確かに、そうかもしれない」


 彼らが“蛇”と直接謁見して、共通した印象。


 己の成すべき事と、それに伴う非道に迷い、揺れている。


 人の業悪を断罪し、そしてその新たな芽を事前に摘むこと。

 そのために、ナナやリリィを……その子供を、贄とすること。


 超越的な力とそれが可能にするはずの思想に、

 精神がまるで追いついていない。


 最終的に実行はするのだろう。

 けれど、この期に及んでまだ、少女たちの悲しみに尻込みしている。


 グラードの『せめて彼女らの失意の記憶を消させてほしい』という

 嘆願への了承も、ふたつ返事だった。熟慮など無い。


「もっと上手に説得出来ていたら、違ったのかなぁ」


 天井を仰ぎ、詮無いと分かっていても呟く。


「無理だろうさ。過程に足掻いているだけで、結果には迷ってない。

 あくまで可哀想な子を少しでもマシにしたいってだけよ」


 “蛇”は思い悩んでいる。

 しかし迷ってはいない。



 父と母、その心はすでに決まっている。


 あの子たちの意思と無関係に、記憶を処置する。

 彼女ら自身がそれを望むまいと。


 そう、決めている。


 物心付かぬ、生まれたての赤子の魂から“固有能力”を引き剥がす。

 そこに恐怖や苦痛は無く、眠るように赤子は息を引き取るだろう。

 しかし、そんな事は当人たちにとってなんの慰めにもならない。


 まともな精神をした魔族、人間なら、断じて許容できる話では無い。


 グラードもメルメルも、自分たちに置き換えて考えるまでもない。

 ましてや、ナナは合理的とは遠くただただ優しいだけの子なのだ。

 捧げるために、殺すために産み落とすなど。


 あの子は……受け止められない。耐えられない。


 どんなに覚悟を決めたつもりになっても、意味はないだろう。

 あの子は、ずっと苛まれ続ける。


 だから、完全に記憶を消す。

 自分たち親の事だけではない。リリィの事も含めて。

 徹底して妥協なく記憶を殺すつもりだ。


 何かのはずみで、蘇る事の決してないように。

 例えその結果、再びナナとリリィが惹かれ合う事が無かったとしても。



「不甲斐ない……なんの甲斐も無い親だよ、アタシらは」


 メルメルが“蛇”と直接相対したのは、父よりいくらか後だ。

 ほんの短い時間、二三の言を交わす事しかできなかった。

 しかし、グラードの言葉に疑いなど全く持っていない。


 全ての事情を明かしに来たあの時、彼はメルメルにただ首を振り言った。


『遍く魔族と人族、その全てを結集しても抗えない。

 あれは……は我々にどうこう出来る存在ではない』


 “蛇”と最初の謁見を果たしたグラードは、そう断じた。


『戦術だの戦略だの、そういう次元じゃない。

 ひと目で理解したよ。我々魔族はあの子のほんの微かな一欠片ひとかけら

 それを捏ねて創られたものに過ぎないのだとね』


 何をおいても娘、ナナのため……

 そんな父が、娘の絶望を受け入れざるを得なかったのだ。

 その時点で、母は“蛇”がそれ程絶対的なものであると疑わなかった。


「……あの子が生きて帰ってきた時。ほんっとうに……嬉しかったんだけどねぇ」


 メルメルが苦笑いのようなものを浮かべて、ふっと鼻を鳴らす。

 グラードはただ、やるせなさに拳をきつく握り込むだけだ。


「宿命だのなんだの……いい加減にして欲しいよ。

 なんであの子なんだろうね……」


 一筋、妻がこぼした涙に、グラードは何も言えない。

 彼もまた、所詮その宿命に遊ばれる哀れな男でしかなかった。



 包みかけた沈黙に、彼らがお互いに相手を慰めようかと思っていた、

 その時。


 思わぬ来客が、賓客の間に姿を現した。


「……キュっキュ」


 それは、一匹のチルファングだった。

 見るに、まだ成体にもならない、子供のようだ。


「キュキューキュ?」


「おや……。君はもしかして、ナナが連れてきた子かな?」


 僅かに開いていたドアの隙間から入ってきたそのウサモフは、

 ぴょこぴょこと彼らの傍へ寄ってきた。

 そして、二人の顔を見上げる。


「ふ、懐っこい子だねぇ……。

 ウサモフってのは、警戒心がわりかし強い魔物じゃなかったかい?」


 言いながら、しゃがみ込んでその子モフを掬うように持ち上げるメルメル。


「キュ」


「うぃうぃ。どちたの、おかーさんと一緒じゃないのかいー?」


「キュキュん」


 持ち上げられたウサモフは、メルメルの頬にすりすり頬ずりした。

 そのあと、ぴょいと彼女の手を降りて今度はグラードの胸に飛び込む。

 それを慌てて受け止めた彼にも、同じように頬ずりする。


「はは、くすぐったいよ」


「キュー」


 ひとしきり彼らにモフモフを堪能させると、子モフは一声鳴いて

 また賓客の前をぴょこぴょこと出ていった。


「なんだったんだろね、迷子?」


「んー……もしかしたら、僕らを慰めてくれたのかもね」


「ふっ……なるほど、そうかもねぇ」


 ウサモフが出ていった扉の隙間を見やって、彼らは少しだけ笑った。


 確かに、僅かではあるけれど、

 沈んでささくれた心を撫でられたように、気持ちが軽くなっていた。



 …………


 ……



 ……実際。


 メルメルの言葉通り、子モフはそのつもりで彼らに姿を見せた。


 子モフはまだそこまで知性が成熟していないので、

 なんか悲しそーにしてる人たちに“よしよし”してあげた程度だが。


 彼は彼のを全うして、グラードとメルメルの二人を

 こっそり見守っている最中だった。


 幼いウサモフはきちんとお仕事をこなし、

 その成果をウサモフネットワークに乗せて発信する。


「キュキュー」


 まだまだ。

 お仕事は続く。


 本命の“蛇”の正体は掴めていない。


 小さな斥候は、再び魔王城探索をぴょこぴょこと再開する。



 賓客の間を離れていくさなか、子モフは一人の魔族とすれ違う。

 何度も見掛けた、優しい魔族のお姉さんだった。


「……あら、ちっちゃなウサモフさん」


 にこり、微笑んだ。

 キュ、と子モフは鳴いて応える。


 魔族のお姉さんは、首を少し傾げて優しく尋ねた。



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