《114》想いの、小さな陰。





「私はどこかで、あの子を妬んでたと思う」


 お互いに話を終え、いくつかの事柄を共有して。

 その後、リリィがぽつりと言った。


「……そうですか」


 唐突な告白に、スラルは特に表情を変えずにリリィを見た。

 ラナンキュラスはテーブルに片肘を立てて、頬杖をつき目を瞑る。


「あの子は私と出会ってから、今日までいくつも顔を曇らせてきて。

 その度にとても悲しくて、辛かったけれど……だけど。

 同時に私、安心してもいたの」


 俯きながら紡ぐそれは、誰かに聞かせるというより

 己に改めて尋ね直しているように見えた。


「あの子がくれる優しさも労わりも、全部純粋な善意だと分かってても。

 私は、どこかであの子のそんな気持ちを、厭わしく思っていた。

 真っ暗な部屋の中に、窓越しに明るい外から掛けられる優しい声を」


「確かにナナは貴女とは違う。優しい両親に想われて育ち、慕う者も多い。

 悪意に曝されることもほとんどなかったでしょう」


 リリィの言葉に、ラナンキュラスが返す。


 ナナは産まれた時から、そこに愛情が当たり前にあった。

 大切にされて、思いやられて、温かく守られ包まれていた。


 リリィのそれは、つまり妬みだ。


 スラルが言う。


「最初の頃、貴女に痛みを与え続ける呪法をナナ様が和らげた時も。

 彼女が貴女を安心させようと言葉を掛けた時も、食事を与えた時も。

 ナナ様が何かを施そうとする度、貴女の心に暗い火が灯っていた事は……

 私も薄々ではありますが、感じていました」


「……そうですか。スラルさんは分かっていたのね」


 痛みを知らぬものからの、施し。

 恵まれるがゆえの余力、そこから千切って渡される哀れみ。


 そこに、彼女が後ろ暗い気持ちを持つことを、誰が責められるだろう。


「窓越しに明るい所から「大丈夫よ」って言ってもらうより。

 同じ暗がりで寄り添って「頑張ろうね」って言って欲しかったの。

 暗いところに落ちていくナナを、心配しながら悲しみながら、

 同時に安心して……愛おしいと思っていたんだわ、私は」


「リリィ……それは」


 どんどん己を責める方へ貶めていくリリィに、

 ラナンキュラスが切なげな顔でリリィに言葉を探す。


 ずっと抑えていた怒りや失意を一瞬とはいえ解放したことで、彼女は

 自分のナナへの想いに潜む負の面を、改めて自覚したのだろう。

 少女のその聡さが、ラナンキュラスは悲しい。


(でもそれは、あくまで想いの……側面のひとつでしかないのよ)


 それを伝えようと、口を開こうとする。

 しかしそれを手をあげて制し、スラルが先に言った。


「ひとつ訂正しましょう。私は分かっていた、ではなく。

 分かっていたというのが正しい」


「え……?」


「貴女のその後ろ暗い気持ちが本当なら。

 ナナ様はとうにそれを分かっておられるはずですよ。

 あの方は昔から、自分に向けられる敵意や害意、疎みや嫉み……

 そういった負の感情の機微を読むのに、極めて長けていましたから」


 それはナナの"固有能力"が齎した副産物的なものなのか、それは分からない。

 だが事実、彼女にはそういった感性を強く有していた。

 たとえそれが、ほんのささやかなものであっても。

 


 かつて、ナナと出会ってまだ間もなかった頃。

 不意に、ナナがスラルにこんな風に訊ねた事があった。


 “100の痛みを消すのは、100の優しさか?”


 スラルが答える前に、ナナは言った。


『きっと違う。痛みは別の何かにすり替えたりできない。

 あの子が心のどこかで求めているものは、

 同じ100の痛みを分かち合う者だったのかも知れぬ』


 その言葉の真意を、スラルはあえて計らなかった。

 優しさや同情について思い煩う機会など、なかなかあるものではない。

 ナナの自問を、その時のスラルはただ静かに見守った。


 あの子は分かっていた。

 リリィが自分に、微かに向ける暗い感情も。


 でもそれに対し、ナナは特に何も言わなかった。

 ただあくまで、どうしたらあの子を幸せにできるのか、

 彼女はそれだけを、うーんうーんと考えていた。


 スラルはそれを見て、ただ微笑んだものだ。

 その純然な優しさは、いつかきっとリリィに届くだろうと。


「あの子はそんな感じなのです。厭われるのは当然とさえ思っていたでしょう。

 でもあの子にとって両親も仲間も、与えられた不自由ない幸せな日々も、

 ただ大切なもの。気後れするためのものではないと胸を張っていました」


「……そっか」


 スラルに聞かされたそれに、リリィは悲しげな笑みを漏らす。


「私……ほんとうに、だめね。どこまでも気遣われてばっかり。

 もらってばかり……今までも、今も」


「ねぇリリィさん、あんまり自分を……」


 ラナンキュラスが声を掛けるが、リリィはそれを気に留めず続ける。


「そうよ。ナナのお父さんを殺す覚悟をこんな風に決められるのだって。

 きっと、あの子が自分と似た境遇に見舞われるのを、どこかで……」


「あのねぇ、いい加減に……」


 ラナンキュラスはリリィの顔を見ながら密かに困り顔を浮かべる。

 あぁ、こりゃ自責のスパイラルに嵌ってますわ、と。


(はぁ……言葉だけなら、言い聞かせる事は出来るでしょうけど。

 たぶんこういうのは、当人に言わせるべきなんですのよねぇ……)


 ラナンキュラスが感づかれぬようため息をつく。

 リリィもナナに負けず劣らず、ここまで自責に陥りやすいとは。

 似た者同士。結局この子らは優しすぎるのだとラナンキュラスは思う。


 僅かに、沈黙が部屋に降りる。 


 誰かが口を開きかけた時、しかし部屋にやって来るものがあった。


 光の柱が立ち上がり、それが収まった時そこには二人の少女。

 ……もっとも、片方の少女は見た目だけだが。



「ただ~いま~……?」


 現れてすぐ、リリィの顔を窺うようにしながら賢者が手をあげる。

 その隣に立っているのは、ナナだった。


「ナ、ナナ……!?」


 当然、誰もが驚いて彼女を見る。

 特にリリィは、目をいっぱいに開いてナナを見つめる。


「どうして……?」


 本来そこに現れないはずの、

 現れてはいけないはずの姿に、


 それでもリリィは、嬉しい気持ちを抑えられない自分が、

 憎らしいと思った。




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