《113》シエラとマリベル。





 賢者が咄嗟の転移先に選んだのは魔族領から程近い場所、

 かつてナナ達が最初に人間の保護区に選んだ魔族領侵攻軍の駐屯地跡だった。


「あ、ありがとう……その、シエラ」


「礼は受け取らないでおくよ。正直自分の判断が、私は面白くない」


 ひどく気まずそうな母親の礼に、鼻を鳴らす。

 その言葉は彼女の素直な気持ちだった。


 母は……この哀れで愚かな女は遥か昔、殺したはずの腹の子と再会した時、

 己のその心を砕いた。かつての業もそうだし、経過した長い月日の中で

 罪悪感が薄れつつあった事実が、彼女をこれ以上ない程責め立てたのだ。


 娘である“蛇”の求めに、母マリベルは全て応えた。

 罪悪感と恐れ、そして何より“蛇”自身が母を憎むどころか……

 深く愛してさえいた事が、彼女を娘の完全な傀儡にさせた。


 魔王も勇者も、“蛇”が母の腹の中で聴いた嘆きに応えて創ったもの。

 魔人の魔素を取り去り、ただ薄灰色をした肌のヒトとしたのもそう。

 魔王に伝わる【巡悔の揺籠ヘル・クレイドル】という禁呪も、きっと“蛇”の試行のひとつ。

 愛する母のため。自分のように哀れな者たちのため。


(……クロウに不死を与えを保持したのも、そうだろう)



 マリベルが全ての始まり、とリリィは尋ねた。


 全くもって、その通りだ。

 賢者はもう一度、自分の甘さに舌打ちをする。


「リリィ……あの子はたぶん、もう止まらないよ」


 シエラが母を睨めつけて言った。


「そう、でしょうね」


「正直僕としては、全然彼女のあの行動は腑に落ちているよ。

 あの子は一見とても平静で控えめな子だけど、その実かなり危うい。

 ナナを一時失った後、魔王を騙りパスラを破壊した時から分かってた。

 人間を殺さぬようにしていたのも、あくまでナナの意志に則っただけだ」


「……ねぇ、シエラ。貴女は勇者の因子を失う事によって引き起こされる反動が、

 リリィには薄かった事をだと思っているでしょう?」


「――?! ……違うとでも?」


 母の思わぬ問いに、シエラは驚いて返す。


 だが同時に、なるほど、とも思う。

 元からそこは疑問ではあったのだ、リリィの人格を維持する必要性が。

 はっきり言えば、廃人になったとて特に“蛇”の意図に影響は無い。



「違うのよ。貴女から奪った異能では、私にあんな手を加える事は出来ない。

 あの子のあれは、間違いなく彼女自身が引き寄せた奇跡なの。

 魔王や勇者すら作り出し運用する程の宿命に、あの子は打ち勝ったのよ」


「それが本当なら……尋常の沙汰ではない」


 それを実現したのは彼女の霊力的な資質か、それとも精神なのか。

 もし後者だとしたら。言い方をあえて選ばないなら、それは……


(……狂気の類だろうな)


 本来、想いひとつで抗える定めではないのだ。

 それでも叩き伏せたのが想いの力だと言うなら……

 まともなモノではない。果たして狂気という言葉で足りるのか。


 同じ境遇だったミナ達の共感を除けば、一切の愛を取り上げられた少女。

 疎まれ、蔑まれ、苛烈に虐め抜かれた彼女を救った無償の愛。


 十数年目にして初めて触れたものが、あまりに純粋で優しすぎた。


 あるいは、その情愛を知った時点でリリィの心は、

 ある意味で壊れていたのかも知れない。


(もしリリィが最初から自身の宿命を知っていたら……

 彼女は、勇者の覚醒すら拒否して見せたのかも知れないな)


「それが狂愛であろうと……ふっ、悪くない奇跡じゃないか」


 微かに笑い、シエラは先程自分と母に向けられた殺意を振り返る。


 魔王討伐を執行する際の最終覚醒トランス状態。

 歴代の勇者たちの力、その最高到達点と比べても……

 現在のリリィのそれは、逸脱したレベルと言える。


「あの子は、恐らくナナの父親を殺す。

 そして……“蛇”と対峙する事になるだろうね」


「……そうね」


 …………


 あの子は、姉に勝てるだろうか?

 もちろん、不死である彼女を厳密に殺すことは出来ない。


 しかし……


 “蛇”を、殺し切る事は出来ずとも追い詰める事が出来るなら。

 “蛇”という存在を消滅させられる手段、その可能性が……


 無いでは、ない。


「姉君の力は、間違いなくこの世界において極致にある。

 私にさえ、その全貌が見えないくらいのね」


 リリィの霊力と、その“固有能力”は破格だが。

 それでも“蛇”を超克するには、やはり届かない。


 しかし……


 しかし、超越的な力は、もうひとつある。


 そしてその力もまた“蛇”のそれのように、

 賢者シエラの眼を以て、底が見えなかった。



 だ。



 リリィは……あの子ももしかしたら、気付いているだろうか。

 自分に追い詰められた魔王があの日に見せた力が、

 彼女の本領ではなかった事を。


 気付いているだろう。

 だからこそ、彼女は勇者の宿命に耐えたのだ、きっと。



 あの子は、殺そうと思えば殺せた。

 その気があったなら、勝てたのだ。


 あの日、魔王ナナは勇者リリィを殺すことが、出来た。


 ナナ自身も、分かっていたはず。


 あの可愛らしい魔王様は。

 望みだけでなく、その力さえ“蛇”に近いのかも知れない。


 あの子たちが力を合わせれば、あるいは……と、

 根拠1割希望9割程度でシエラは考える。


 何とかなるのかも知れない、と考える事自体、

 今まで数百年間一度も、僅かにだって無かったのだ。



「こうして、迷いを見せて貴女を庇っておいて何だけどね。

 私は、それが叶うなら姉君を終わらせるつもりだよ」


「……ええ」


「ひとつ予測していいかい?」


「なに、シエラ?」


「姉君は、望むシステムを作り出せたら……死ぬつもりでは?」


 シエラの問いに、マリベルは何も言わない。


 しかし、その顔に浮かんでいるものは答えのようなものだ、と。

 シエラは苦笑する。


 彼女は知っている。

 【巡悔の揺籠】という呪法は元々、“蛇”が母を……

 死なせてあげるために、作り出したものであること。


 今はそれは叶っていない。

 けれど、リリィの“固有能力”は、その最後の鍵になるだろう。

 母も“蛇”も、そしてシエラも。終わらせる事が出来るはずだ。


 母が死ねば、ナナとクロウの不死性も消滅する。


 きっと、そうするだろう。

 “蛇”は……姉は、そういうやつだ。



 正直、非常に会いづらいが。

 リリィに今一度、合流しよう。


 成すべきは、当初の予定通り――魔王討伐。


 ナナの父君を、討つことになるだろう。




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