《112》もう全部知らない。





 リリィがベルに向けて、ためらい無く攻撃を放つ。


 それは特に詠唱も無く、ただ純粋な霊力のみをぶつけるものだ。

 しかしそれだけで、対象を抹殺するには十分だった。


 しかしそこに、割って入る手があった。

 閃光と火花が爆ぜる。


「――ごめんよぉ、リリィたん……どこから聞いてたか分かんないけど、

 そのヒト、一応小生の母でぇ……☆ ぐっぎぎ、おっもぉ……!!」


 咄嗟にリリィとベルの間に入り、強力な防護霊術を展開する賢者だったが、

 その凄まじく重い一撃に顔を歪ませる。


「母……おかあさん」


 対して、微かに眉を動かすだけで無機質な表情を崩さないリリィが、

 首を傾げて呟いた。


「うん……。お母さん……いいな、羨ましい。

 私母親の顔も覚える前に捨てられたから。――ねぇ賢者さん?」


「な、なにか、なぁ……?!」


 いまだ放たれ続ける霊力により、展開した光の壁にみるみるヒビが

 入っていく様を見ながら、苦い笑みを受かべ賢者はリリィの問いを受ける。


 こんな事なら、ここへ来る前に寄ったエル・フローラで、

 いちゃつくフローリアをやっぱり連れこればよかった……と

 賢者は心の中でごちる。


「いろんなもの、無いの。親も故郷も、大切に守ってくれる手も。

 慕ってくれる子供たちはいるわ。大好きよ、愛してる。

 でもね――」


 賢者は淡々としたリリィの言葉を受け取りながら、

 高速で霊術を重複させ防護を修復するが、まるで間に合わない。


(元とは言え、勇者の力を向けられたのは初めてだが……

 これは想定以上に、ヤバいな。フローリアに補強されても、無理かも)


「あの子たちは同じ境遇の仲間で、護るべき妹たちなの。

 卑人以外で私なんかを愛してくれて、大切にしてくれて、

 包んでくれる人……あの子だけなの賢者さん」


「それは、同意しかねる、けどぉ……、くぅぅ"――!!」


「ううん、ナナだけよ。あの子だけなの。

 皆私が嫌い。私が憎い。私が気持ち悪い。

 母親も他の大人も誰もみんな、嫌悪や蔑みや嘲笑や暴力しかくれなかった」


 ガラス玉を思わせるような無機的なリリィの瞳に、

 徐々に火が灯っていくのを賢者は見てとった。

 それはもう間もなく、爛々と燃え盛るだろう。


 それは恐らく彼女がずっと、その胸の深い深い奥底に押しやって、

 見ないように自覚しないように封じ込めていたもの。


 ――憎悪の火だ。


「これ以上、ナナを悲しませない。苦しませない。

 分かっているの? あの子はあんな思いをしちゃいけないのよ。

 知らない、もう全部知らない……!!


 ねぇ、あの子だけは……私の――」


 防護壁に、致命的な亀裂が走る。

 しかし賢者はそれより、姿が見えない弟子に意識が向いた。


(まずい、だめだユリウス――)


「――あの子だけは、誰にも渡さない!!!!」


 ついに激情を迸らせたリリィの叫び。

 彼女が伸ばした腕に最後のひと押しの力を込める――


 が、その刹那。


 それは、



「…………!!」


 リリィは、自身の腕に振り下ろされた剣身を見る。

 追って、その持ち主の顔も。


 賢者が舌打ちし、そして吐き捨てるように言った。


「……馬鹿、なんてことを」


「そんな事言ったって、どうしようもないでしょ。

 さすがのお師さんでも、今のはどう見ても無事じゃ済まない」


 剣を打ち下ろした姿勢のまま、剣聖ユリウスが言い返した。

 彼は目線をリリィの顔に合わせる。


「いや、ハハハ……さすが頑丈ですね、お嬢さん。

 正直ね、切り落とすのも已む無しのつもりで行ったんですけども」


 苦笑いを浮かべて正直に述べるユリウス。

 しかしリリィはそれに特に意を介さず、彼に緩く握った手を向ける。

 そして、ピンと人差し指を思い切り弾いた。


 パァン――と空気が爆ぜる音と共に、ユリウスの身体が吹っ飛ぶ。

 弾かれる小石のように軽々と、しかし猛烈な勢いで壁に激突した。


「ぐっふ…………ぁだだだだ――」


 呻きながら、壁を突き破らなかったのは奇跡だな、と剣聖は思った。

 そして、こりゃ確かにどうもこうも出来ないとも。


 ……しかし。


(……でもまぁ、甲斐はあったかな)


 剣聖が自分の意図が叶ったのを確信し、にやりと微かに笑む。

 その姿に一寸視線を移していたリリィが、それを見てハッとした。

 即座に手をもう一度かざしながら、視線を戻す。


 だが、


「…………」


 リリィはそこに一瞬だけ見えたものに、慣れない舌打ちをした。


 彼女が視線を戻したその直後、そこに立ち上がっていた光の柱が

 囲んだ二人の女の姿ごと消滅したからだ。


 賢者が展開した転移霊術が、彼女とベルを何処かへ飛ばしたのだった。



 リリィは大きく溜息を吐いて、伸ばした腕を下ろした。


 そして、パラパラ落ちる石膏の破片と共に床に降りた剣聖を、

 急激に冷えていく瞳で睨んだ。


「……行先なら、残念ながら僕は知らないよ。

 知っていても、教えないけれどね。申し訳ないんだけど」


 ユリウスはあえて軽い口調意識したが、リリィは取り合わない。

 ただ彼を見据え、何事かを考えているようだった。


 やがて何か結論が出たのか、少し首を横に振って視線を外した。


「……ひょっとして、僕を殺すか否かを迷ってらっしゃった?」


「ううん。戦闘不能にした方がいいか、否かだけ」


「わぁ……お優しい」


 引き攣った笑みをなんとか浮かべるユリウス。

 戦闘不能と言っても、恐らく生半可なものでは済まされなかっただろう、と

 彼は内心で冷や汗を垂らした。


 リリィは、ただじっと事を静観していた魔族二人を見て声を掛ける。


「スラルさん、ラナンキュラスさん。何か新しく分かった事はありますか?」


「あぁ、いくつかね」


「それは、私に話せますか?」


「話せるよ。魔王様からその制限は受けていない」


「じゃあ、教えて下さい」


「あぁ――情報を共有しよう」


 簡潔にリリィとスラルは言葉を交わし合い、

 改めて彼らは席を引いて腰を下ろした。


 座って、リリィは首を回し剣聖を見て言う。


「あなたは、帰りますか?」


「……ここにいてもいいかな? たぶんお師さんが迎えに来ると思うんだ」


「分かった。じゃあ、大人しくしていて下さい」


「あっ、ハイ」


 言われ、すごすごと自分も席につくユリウス。

 一緒に話聞いてていいのかな? とリリィを窺うが、

 特に反応がなかったのでそのまま居させてもらうことにした。


「リリィ、先にひとついいかしら」


 ラナンキュラスがリリィをじっと見て尋ねる。


「なんですか?」


「あの子は……その、大丈夫なの?」


「……たぶん、貴女が心配してるよりは、大丈夫」


「――そう。でも貴女は、もう我慢ならないのね」


「……うん」


 リリィは視線を下げ、微かに切なそうな顔をした。


 そうだ。

 ここにいるのは全て、自分の独断。



 クロウに“固有能力”の事で話を聞きに行き、そして……

 やっぱり、ナナの表情はまたひとつ曇ってしまった。


 ナナの、リリィの事を最優先とする決意は確かに本物だった。

 そのためなら父と敵対する事も、子を諦める事も、どんな悲劇も選ぼうと。


 けれど、決意を持つ事と、そこに痛みを持たない事は、当然同じではない。


 ナナは決意のもとで、結局悩み、苦しみ続けるだろう。

 焦燥、怯え、無力感。事実、それらの懊悩はひたすら、

 ナナの中で大きくなるばかりだ。


 リリィはそれがもう――耐えられない。


 触れ合った時に感じた、あの……

 いつ不意に涙を見せてもおかしくない、あの子の儚さが。



 そして一方でリリィの決意は、ナナとは異なっていた。

 彼女は己の成すべき事を、簡単に定義できる。


 ナナと、子供たち。

 彼女らの事だけで良い。


 それ以外の全てを、彼女は犠牲にする覚悟があった。

 断固とした覚悟が。


 卑人……いや霧人ミスティという哀れな同胞たちでさえ、彼女は切り離せる。

 自分の愛した者が全て。それをただただ失いたくないだけだ。


 迷いだけでなく、ナナのような葛藤も無い。

 彼女はただ、己の限られた愛のためだけに行動する。


 自分を見捨てた正義より倫理より、ナナなのだ。

 そんな己に抱く自己嫌悪さえ、リリィはどうでもよい。



「私はナナとミナ達の事しか考えない。

 今はただ、少しでもナナの痛みを和らげてあげたいだけ」


「そう。安心したわ」


 真っ直ぐ向けられた決意の瞳に、ラナンキュラスが僅かに微笑む。


「では、私から始めよう。まずは――」


 スラルは賢者から得た“蛇”についての情報を改めて語り始める。


 リリィと、魔族二人。

 ナナという少女を通じて、彼らの願う事は同じ。


 あの子が、少しでも悲しみから遠ざかりますように――。




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