《111》あなたが全てのはじまりなのね?





「何か用? お母様」


 乾いた賢者の声が、来訪者に向けられる。


 短いその言葉が指す事実に、スラルとラナンキュラスが各々の

 表情と感情をもってベルを見た。


「……お母様、とおっしゃいました?」


 ラナンキュラスは賢者に視線を移し、尋ねる。


「あぁ。彼女はマリベル=セントール、私の実母だ」


「久しぶりね、シエラ。元気そうだわ」


「ふん、お陰様でね」


 んーなんかややこしい感じになってきましたわ、と

 ラナンキュラスがスラルを横目に窺った。


 何事か考えていたらしいスラルは、賢者に問う。


「――ひょっとして、そのマリベルは君だけじゃなく……

 “蛇”の母親であったりもしないかい?」


 スラルの突然の言葉に「はっ?」とラナンキュラスは目を剥く。

 受けた賢者は、目を細めてスラルを見た。


「……へぇ。そう思う材料が何かあるのかい?」


「いえ。ただ随分似ているなと思っただけです。

 今しがた貴女が話した“蛇”の生い立ちと、かつてベルが話した

 彼女の慚悔の内容は、妙に似ていました。それだけです」


「ふぅん……何か昔話でもしたのかい?」


 賢者はマリベル……母親をじっと睨んで尋ねる。

 マリベルはそっと自分の唇を指でなぞり、苦笑を浮かべた。


「えぇ。たしかに……相違ありません。

 私はかつて、を宿し、そして諦めた母親です」


「その後しばらくして、性懲りもなくまた子供をこさえた女、でもある」


 なんとなく拗ねたような表情を浮かべながら付け足す賢者に

 マリベルは苦笑したまま目を閉じた。


「えぇと……待って下さいまし? それってベル……マリベルさんは、

 700年以上生きてらっしゃるという事よ? 人間、ですわよね?」


「なんの事ないよ。それがこの人の異能なんだもの。

 生命を存えさせる“固有能力”。とんでもないよね、不死なんて。

 でもその異能があって、“蛇”は消滅せずに転身したんだ。

 “蛇”は母親の異能を受け継いでいるからね。私もだけど」


「でも、その……お腹にいる時に、自分で手を下したのでしょう?」


「その時は、知らなかったの。自分にそんな異能がある事なんて」


 答えたベルの苦笑が、より自嘲の色を濃くする。

 賢者はそんな母の顔から目を背け、続けた。


「最初の子を失った後、酷く心を病んだこの人だけど。そのうち、

 その苦しみから逃避させてくれる極上の酒を手に入れたわけ。

 べろんべろんに酔える“恋”って美酒だよ。

 そしてその酩酊の中で、私が生まれたってワケだ」


「シエラを産んで、時が流れて……ようやく自覚したの。

 自分がシエラを産んだ辺りから、全く老いていかないこと」

 

 マリベルが一旦語り終えると、部屋に沈黙が落ちる。

 それぞれが何かを思い、そして何を言うべきかを探っていた。


 最初に問いを紡いだのは、賢者だった。


「母が“蛇”を宿してから30年位経った頃かな。

 最初の魔王が誕生した。魔王は人類を苛烈に攻め立て、追い詰めた。

 しかし必死の抵抗の末、突如出現した勇者によって魔王は斃され、

 辛くも人類は勝利を収めることができた」


「勇者……そう、勇者とは結局なんですの?

 “蛇”によって創られた魔王とは、また別の要因なのでしょう?」


「勇者、というか勇者創出のシステムは、私が創った」


「――へぁぇ!?」


 さらっと述べられた賢者の告白に、ラナンキュラスの顎が外れかける。

 対してスラルは冷静だった。


「第一子が魔素を捏ねて魔族と魔王を創り。そして第二子は、勇者ですか」


「“蛇”に唆されたんだ、まんまとね。彼女は私の異能を見抜いていた。

 自分が母の内に置き去りにした魔素以外の人間の部分……

 霊素からなる残滓が、妹に偶然与えた異能をね。

 彼女はまだ何も知らなかった私に勇者の因子、そのシステムを組ませたのさ」


「それは勇者を作り出す能力、なんですの?」


「厳密には違うけど、まぁそんな認識でけっこうだよ。

 霊素を捏ねくり回して新たな霊術を創ったりもしてたら、

 その内賢者とか呼ばれたり色々あったんだけど、まぁそれはどうでもいい」


「当初の“蛇”の目的は、今と変わらなかったのですか?」


 そのスラルの問いに答えたのは、賢者ではなくマリベルだった。


「はい。あの子の目的は昔から今まで、その根幹は変わっていません。

 虐げられる者の無い世界をあの子は望んでいます。

 ……自分や自分の母のような者が、生まれない世界を」


「それで、魔王を創って人類をボコボコにしたんですの?

 しかも勇者というマッチポンプ付き……よく分かりませんわね」


「人類共通の敵を創ろうとしたんだよ」


 賢者が答える。


「いつまでもいつまでも纏まらない世界、協調できない人間。

 けれど自分たちの理の外から強大な化け物が襲来してきたら、

 あるいはついに手を取り合って団結出来るんじゃないか……

 そんな理由さ。が魔王を創ったのは」


「そんな……それは、でも……」


「そう、馬鹿げてる。幼稚で浅はかだ。

 そんな程度でみんな隣人、仲良くしましょうなんてなるわけがない」


「でも、新たな魔王は以後も生まれ続けている」


「まぁ国家規模や、もう一段階下くらいならそれなりに団結の効果は

 あったからね。何より単純に他に出来ることがなかったんだろうさ。

 そもそも勇者のそれもなんだけど、これは自走するシステムなんだ。

 一度走らせたら、勝手に回り続ける。無責任だろう?」


「確かに……浅はかで、幼稚ですわ」


「だろう? いうなら私はずっと、その中途半端な試行錯誤の残り滓を

 ずっと尻拭いし続けてきたんだよ」


「……ひとついいかな? 引っ掛かる事がある」


 スラルが小さく挙手して尋ねた。


「なにかな」


「勇者の因子を君が創ったのなら、リリィの記憶や人格の事は?

 魔王を討って因子を失った後、勇者は皆自我をほぼ失ってきた。

 だがリリィは例外だったろう? それは君の意図なのか?

 だとしたら君は“蛇”の計画に寄与している事になる」


「鋭い。でも安心してくれ、私はもう“固有能力”をとうに失っている。

 彼女の例外に関して私は関与していないし、出来ない。

 勇者創出のシステムが今も動いている事しか、分からない」


「リリィさんを例外にした何者かが、他にいると」


「そう。そしてそれによって、私は察したんだよ。

 あぁまた、姉は……“蛇”はロクでもない事を考えているんだなって」


 この人も含めてね、と賢者はマリベルを睨んだ。

 マリベルはその視線に俯く。


「能力を失っている、というのは?」


 スラルの問いに、賢者ではなくマリベルが答える。


「昔は“固有能力”を奪う異能を持ったエトラを見出し、

 シエラからそれを奪ったの。私はそれを貸与された。

 シエラの力は、言うなればあの子の対のようなもの。

 霊素を解析して新たな霊術も創出できる。かつて私は他者の“固有能力”を

 鑑定する霊術を作り出したのよ。あの子のお願いでね」


「その霊術で“蛇”の求めに適う能力を持つ者を探し、そのさなかで……

 リリィを見出し、彼女に勇者の因子を植え込んだ」


「その通りよ」



「――じゃあ、あなたが全てのはじまりなのね?」



 皆が同時に、呼吸を止める。


 最後の一言は、そこにいる誰の声でもなかった。


 それは誰もが、想定しなかった者の声。


「あなたのせいで、ナナは苦しんでるんだ」


 声は、続ける。


 それは、微かに開いたドアから聴こえる。


「……そういうことだよね?」


 ドアが、さらに開いていく。


 そしてダイニングに足を踏み入れる。


 に最初に声を掛けたのは、スラルだった。



「――――リリィ……」



 そこに立っているのは、リリィだった。


「……ナナはお留守番。ここに来たのは私だけ、スラルさん」


 言いながら、しかしリリィの視線はマリベルに注がれていた。


 感情の読めぬ、色の無い瞳。


「本当はただ、ミナ達の様子を見たかっただけなの。

 ナナにもそう言って、少しだけ待っててねって……でも」


 微かに、笑う。

 暗い微笑だった。


 ラナンキュラスは、それに胸が絞まるのを感じる。

 不吉さや、怯えではない。


(この子もナナと同じ……追い詰められている)


「とても面白いお話、してましたね。

 ねぇスラルさん……わたし、どうしよう?」


「……今は、何も」


 スラルは首を振り、静かにリリィを諌めるようとする。

 彼には彼女が、ひどく危うい際に立っていると思えたからだ。


「……なにも?」


 しかし、それはスラルの思いに反し、彼女に拳をきつく握らせた。

 そして酷く冷たい声で、言った。


「まずナナのお父様を殺して権能を無くして、リリィを安全にする」


「…………」


 リリィの口から『殺す』という文言が出た事に戦慄し、

 ラナンキュラスがごくりと喉を鳴らす。


「記憶をどうこう出来る魔族さんも、殺すわ」


「リリィ……」


「そして、その“蛇”とかいう誰かも……私が、殺してみせる」


「――無理よ。あの子は私と同じ。何度でも転身して復活する」


「ちがう……違うのベルさん。関係無いの、そんなの。

 何度でも復活するなら……何度だって、殺すわ」


 その場にいる誰もが、微動にも出来ない。

 人間も、魔族も、ただ……


 目の前の年若い少女の言動を、固唾をのんで見守るだけだ。


「“蛇”の力は、魔王の比じゃない。リリィ、それは現実的では――」


「関係ないって、言ってるでしょう!!?」


 賢者の訴えをかき消すリリィの怒号。

 一帯の空気が激しく揺れる。



「じゃあ、どうするの!! このまま黙って何もしないでいるの!?

 ナナは今も、みんなのせいで苦しんでるのよ!!」


「…………っ」


 スラルが、リリィの初めて見せる激情に、奥歯を噛む。

 怒りに震える彼女のその顔は、

 それでもやはり年相応の少女のそれだった。


「あの子は何も悪くないのに……あんなに優しい子なのに……

 どうしっ……てッ……」


 今にも、その身から爆ぜてしまいそうなそれを。

 必死に抑え込んで、リリィは全身を戦慄かせる。



「……私達の子が大きくなるまで……何度だって殺し続ければいい」


 再び声音を落ち着かせるが、そこにある怒気は膨れ続ける。


「その子がいつか、私とナナと力で貴女達を消せる」


 スラルもラナンキュラスも、他の誰も。

 思うことは同じ。


 ――そんな事は、無茶だ。


 明らかに、冷静では無い。

 しかし、彼女の言う事もまた、真だった。


 “他に何が、出来るというのか”――。


 遣る瀬無い、どうしようも無い無力感。

 リリィは周囲の誰が思うより、とっくに限界だったのだ。


「……どうして、自分の子供を殺そうとしたの」


 リリィがベルに向けて、右手を伸ばす。

 手のひらを向け、そこに光が収斂していく――


(――まずい……!!)


 反射的に、賢者は動く。




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