《109》蛇、魔人、魔王。





「やぁスラぴゃん」


 亡国テリアにて、屋敷に再び訪問してきた賢者は、そのエントランスで

 かつての魔王の側近、スラルに遭遇する。


「リリィたんに子供達へ大事ないと伝えて欲しいって頼まれててねー。

 でも恐らく、君辺りがすでに気を回してくれているんじゃないかにゃ?」


「……えぇ、さすがにありのままを話す事はできませんので、

 方便が過分に含まれてはいますが、一応は」


「けっこう☆ ふむ、少し小生と話をしないかね?」


 スラルの言葉に頷き、賢者は彼を誘う。

 ユリウスはじっと、端正な執事を観察している。


「よろしい。では、こちらへ」


 踵を返し、スラルは屋敷のダイニングへ。

 その背中に、賢者と剣聖の二人が付いていく。


「……綺麗な男ですね。僕といい勝負ですよ」


「審美眼20点」


「僕謙虚すぎます?」


「謙虚の意味を間違って覚えてるぜ☆」


 軽口を叩く内、ダイニングの扉の前へ。

 スラルが開けると、中にはすでに一人先客がいた。


 口元のティーカップをテーブルに置き、その女性は賢者らを一瞥する。


「はしゃいじゃダメよん、坊」


 見目良い女を見ればいちいちうるさい剣聖に予め釘を刺しながら、

 クロムは女性……ラナンキュラスの向かいの席を引いて腰を下ろした。

 肩をすくめ、ユリウスもその隣に座る。


 スラルがラナンキュラスの隣の席に着いたのを確認して、

 クロムはすぐに口を開いた。


 その目は、つい先程までとは明らかに温度が違う。


「――君等はすでに魔王の権能の下にいる」


「……ええ」


 スラルが応え、ラナンキュラスも小さく頷く。

 それを見て、賢者はまたすぐに続ける。


「現状あの子達は詰んでいる。それは現魔王を打倒したとしても変わらない。

 このままただ時を流すだけでも、事の向かう先は一つだ。

 ナナは子を成すし、記憶は改竄される。それはひとえに、その思惑の持ち主が

 あまりに強大であるためだ」


 淡々と、色のない声音で賢者は述べる。


「君らはなぜここにいる? 君らに課された命令はなんだろうな?」


「ここにいるのは、私の意思です。子供達と、この特区を気に掛けています」


わたくしもですわね。まぁ私は彼と違い人間の様子などには

 別に興味はありませんけれど。なんとなくですわ」


「君達は彼女らの居場所を知っているかい? 知りたいかな?」


「ナナ様とリリィ様は、転移術によりいつでもここへ帰る事が出来ます。

 しかし今ここにいらっしゃらない。彼女らがそれを今は必要としていない

 ということ。よって我らが知る必要はないでしょう」


「右に同じ」


 クロムと同様、魔族二人も淡々と述べる。

 クロムは椅子の下で足を組み、しばらく彼らを眺めた。


 想定していたように、この魔族たちはその自由意志をほとんど

 そのまま維持しているように見えた。

 もちろん全く何の制約も受けていないという事は無いだろうが。

 しかし魔王の権能は、彼らをさほど縛ってはいない。


(……誠意、か)


 ナナが教えてくれた、相手方の言い分を思い出す。

 クロムは、それの意図を知っていた。


「魔王のさらに上に立つ者。ナナとリリィ、そしてその子供を求めている者。

 それを私は“蛇”と呼んでいる。……もうずっと昔から」


 クロムがおもむろに述べたそれに、ユリウスが彼女を横目に見る。

 スラルは微かに眉を動かし、尋ねた。


「……“蛇”。それは魔族ですか?」


「魔族……あるいは、魔物だよ」


「魔物? 魔物が、魔王の上に? そんな事が……」


 ラナンキュラスが怪訝な顔を向ける。

 彼女とスラル、二人を交互に見て、クロムは続ける。


「君らは、自分たち魔族の成り立ちを知らないだろう?」


「我々の成り立ち……起源という事ですか?」


「そう。魔族の歴史は、人族のそれからしたものだ」


 テーブルの上に編んだ手を置き、目を瞑るクロムは静かに語る。


「かつて、世界において魔素が占める割合は一割にも満たなかった。

 魔物の種類も今よりずっと少なく、数自体も多くなかった。

 しかし七百年前のある時を境に、それらは爆発的に増えたんだよ。

 そして、魔族という存在もその頃誕生した」


「それ以前は、魔族が存在していなかったと? 少し眉唾ですね」


「人族の中でもこの史実が伝わっているのはごく一握りだ。

 先に言うが、この魔素が爆発的に増えた要因、その元が“蛇”なんだ。

 は【魔素編纂】とでも言うべき“固有能力”を持っていた。

 言うならそれは、魔素のスペシャリストたる異能だよ」


「魔素の、スペシャリスト?」


「“蛇”は魔素を用い、実に様々な現象を体現できた。

 霊術のコピーのようなもの、つまり魔術を創り出す事や……

 魔物の内にある魔素に働き掛け、その組成を換えてしまうことも出来た」


「……まさか、それが魔族の起源と関係がありますの?

 魔族は元は魔物であったとか、そういう話かしら?」


 ラナンキュラスが目を大きくして割って入った。

 クロムは首を横に振る。


「あぁ。魔族の起源は……魔物だよ。

 そしてその発端を作ったのは、人間だ」


「えぇ……?」


「“蛇”は元々人間だった。しかし少し特殊な成り立ちを持った人間だ。

 彼女はいわゆる“卑人”と呼ばれる人間として生まれ……


「卑人……。生まれかけた、とは?」


「母親の胎内で、一度死んでいるんだよ」


 スラルとラナンキュラスが、各々表情を変える。

 スラルがクロムに問う。


「彼らが卑人と呼ばれ差別を受け始めたのは百五十年程前からと聞いた。

 七百年以上前から、卑人という呼称があったと?」


「いや、違う。七百年前彼らはこう呼ばれていた。“魔人”と」


「魔人……」


「特殊な成り立ちと言ったな。魔人の特殊性とはずばり“魔素”を有していた事。

 人間でありながら、魔素をその身に宿していた。まるで魔物のようにね。

 それによって彼らは当時迫害されていた。害意を彼らが持っていなくともな」


「魔素を有し迫害された人種……母親の胎内で死んだ、胎児」


 スラルは、ある一人の人物を想像した。


「魔人との間に子を設けた一人の女がいた。

 しかしやがてその子が魔人として産まれる可能性を悲観したその女は、

 お腹の中のその子……つまり“蛇”の出産を諦めることにしたんだ。

 だけどね、その子は……生き返ったんだよ」


「……【魔素編纂】の、“固有能力”」


「正解――そう、お腹の中で母親の霊術に曝されながらも、彼女はながらえた。

 自分の魔素に己を託し、それで“蛇の魔物”の死骸に乗り移ってね」


「そのまま、魔物として成長したんですの?」


「しばらくはね。けれど、それは所詮少し大きい程度の蛇型の魔物だ。

 脳は小さく、ほとんど本能のようなものしか持っていなかった。

 しかし本能は彼女を少しずつ導き、蛇としての彼女はいつしか、

 チルファングという素晴らしい宿主を見つけ出した」


「ウ、ウサモフですか?」


「ウサモフはあれでかなり高い知性を隠している魔物なんだ。

 "蛇”はかつて母親の胎内からそうしたように、己を転身させる。

 成長する知性を獲得し、さらに本領を得ることになった。

 進化したそれはやがてウサモフを元にあるものを創り出す事に成功する。

 それこそが、魔族の起源となる存在だ」


「え"、私たちのご先祖様がウサモフとでも言うんですの?!」


「そうだよ。君ら魔族が懐妊した時、その子はお腹の中で成長する過程で

 一度ウサモフの姿を経てるんだよ。賢者の知見さ」


 そんな馬鹿な、と半笑いのような表情を浮かべるラナンキュラス。

 さすがにスラルも少し顔が引き攣ったが、「それで?」と先を促した。


「”蛇”は魔人と呼ばれた元人間。“固有能力”を用い魔族を創り出した。

 そして……どうだろう、想像がついたんじゃないかな?

 そうだ、魔王という存在もまた、その“蛇”が創出したものなんだ」


「……なんの、ために?」


 問うスラルの顔に、自然と憎悪が滲んだ。

 彼の内にある、魔王という宿命への憎悪が。


「それは――」


 言い掛け、しかし賢者の言葉はぴたりと止まる。


 そして、ダイニングの入口のドアに彼女の視線が移った。


「……割と大事めな話をしてるトコなんだけどな」


 さっきまでの抑揚の薄いものから、若干口調が変わる。

 しかしクロムのその表情は、むしろ険しくなった。


 傍らで眠るように目を瞑って存在感を消していた剣聖も、

 開いた目を細めてドアを見据えていた。


 四人の視線を受けたドアが、ゆっくり開いていく。



 そこから現れたのは、人間の女。

 ベルだった。


 予想だにしない人物の登場に、ラナンキュラスは驚愕し、

 スラルは苦い顔を浮かべる。


 一瞬の静寂のあと、

 最初に言葉を発したのは、賢者だった。


 ドアの前で、ベルもまた彼女を見つめる。


「……いらっしゃい」


 クロムの声は、おどけたものとも、淡白なものとも違う。

 どこか乾いたものだった。


 そして躊躇いながらも、言った。



「何か用? お母様」




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