【105】最後の背中を押して。





 掛かっても2時間かなぁ、まぁひとまずゆっくりなさいよ。

 そう言い残し、クロウはプニャーペと共に退室していった。


 何のことやら分からぬが、余とリリィは素直に従う。

 この先達の言うことに、我らはもう何を言う気も起らんかった。


「……魔王、勇者と言っても。しょせん余らはまだ子供よな」


 言って、苦笑する余に、リリィもそうねと返す。



 分かっておった。

 リリィに話を聞いた時から、クロウがどう応えるのか

 予測は付いておったし余はそれに、どこかで期待しておったのじゃ。


 いいんだよ、気にしないでいいんだよ。

 僕が引き受けるから、君は悩まなくていいからね。

 これでいいんだよ、と。


「狡いな、余は」


「私たちは、ね」


 リリィが訂正する。

 ふっと笑い、余はリリィの手を引いて二人でテーブルに着いた。

 向かい合った彼女に、余は首を振って言う。


「お主よりずっと。余の方がよほどタチが悪い。これでいまさら思い知ったわ。

 余は霧人ミスティや奴隷を開放したいなどと息巻いておった。救いたいなどとな。

 だが所詮、それも利己よ。己の胸がすけばそれでよかったのじゃろうな」


「……ナナ」


「自分を犠牲にしてまで、施せる気概や覚悟なんて無かったのじゃろうな。

 己の余った分だけで施して、見て見ぬ振りはしていないのだと思おうとした。

 もし家族やスラル達のほんの少しの不幸と引き換えに、それ以上の不幸を

 救えたとして……余は出しゃばったりしただろうかの」


「よして、ナナ……そんな風に自分を責めちゃだめよ。

 あなたがしてくれた事は、間違いなく私たちを救ってくれたの。

 無条件だったり自己犠牲を厭わないと正しくないなんて、違うわ。

 ねぇ、仕方が無いの。皆自分の家族や仲間が大切なんて、当たり前よ」


 テーブルの上で編んだ余の手に、リリィが左手を重ねて言う。


「分かってる……分かってるけど、気持ちが悪い。腹が立つのじゃ。

 どこまでなら、仕方ないのか……仕方なくないのか。

 そもそも本当に仕方ないなんてあるのか? 余ごときが決める事か?

 自分の幸せを守るためなら、人の不幸を見過ごしていいのなら……

 余と、余が嫌悪した者との違いはなんだ? 程度だけの話なのか?」


 散らかった頭で、余は思うままに喋っておる。


 そうして、己に嫌悪して見せて……それさえ、逃げの口実なのじゃ。

 この期に及んで、まだ自分が汚れる事を忌避している。


 もうたくさんじゃ、こんな気持ち悪い甘えくさった自分は。

 余はもう、逃げんと決めたろうが。


「……ふっ。一夕一朝、言葉ひとつで弱虫がいきなり強くなれんわのぅ。

 すまん、たわごとはこれっきりにする」


「いいの。誤魔化さないで話してくれて、私は嬉しい。

 ナナ、私も……ずっと前に同じように自分が嫌になった事があるよ」


「……リリィも?」


 ずっと前、とリリィは言った。

 それは言うまでもなく、彼女が卑人などと虐げられていた頃の事じゃろう。


 言葉を続ける彼女の、余に重ねた手に少しだけ力がこもる。


「“あの頃”……自分の悲鳴を笑う声と、大声で泣くミミ達の声を聞いてね。

 ふと思ったの。『なんで自分なんだろう。他の誰かだったらいいのに』って」


 リリィが遠くを見るような目で、かつての自分を振り返り言う。


「あの時、私の前にを叶える術が与えられていたら……

 きっと、私はそれを願ったんじゃないかって思うの。

 それが例え……ミミたちを救うために、自分の知らない他のミミみたいな子を

 差し出すことだと知っていても。

 自分の絶望と、誰かの平穏を交換してしまえたわ、きっと」


 リリィは、余を見据えて告白する。


 ……その目は余が逸らしたものを、しっかりと映しているように思えた。


「私たちはいつだって、汚れうる。卑怯で、醜くなりえる。

 その機会がすでにあったか、今はまだ無いかだけ。

 悲しくても、あんまりでも、誰もがそれを受け入れないわけにいかない」


「うん……」


 余はリリィの言葉を嚙みしめる。


 自分が失いたくないもののために、子の犠牲を受け入れるのか。

 自分と大切な人のために、他の大切な誰かの死を見過ごすのか。

 両親のこと、仲間のこと。それを天秤に乗せること。


 何かを選んだ先にある、汚れた未来の自分。

 今まで無かった機会が、今こうして余にやってきたのだ。


 リリィは優しくも、厳しさを含めた声で、最後に言った。


「それが出来ないならきっと、私たちは大人しく“相手”に身を委ねるべきなの。

 ナナも気づいているでしょ? 私たちを利用して、何をしようとしてるのか。

 誰の意思も損得も関係なく、ただ身も蓋もない裁きをする者を作り出す事。

 “これくらいならいいじゃない、これは仕方がないじゃない”――

 そんなの全部無視して、悪意を全て裁くものを作ろうとしているって」


 "何か"が作り出そうとしているもの。 


 痛みには痛みを、あらゆる簒奪を許さず、罪を何ひとつ隠させない判官。

 実行された悪意に、逃げようのない報いを。


 あるかどうかも分からぬものではない。

 


 それは、世の悲劇をどれだけ消し去れるだろうか。

 余のような生ぬるい偽善とは違う。

 見えざる神の、徹底した独善。


 余たちの子は、きっとそれを作り出すための最後の贄。


 差し出すのか、拒むのか。

 選ぶのか、選ばないのか。



 余は大きく息を吸って、そして吐いた。

 そしてリリィに、求める。


「リリィ、お願いを聞いてくれるかの」


「なあに、ナナ」


 リリィは余の手をまだ握ったまま、微笑んだ。

 余は少しだけ、自戒のために目を瞑る。


 …………


 余は罪なき誰かを殺すかもしれない。

 余は誰かの想いを踏みつけにするかもしれない。


 余は親を、あるいは我が子さえ、

 犠牲にするのかもしれない。


 全ては、機会があるか無いか。

 それならば覚悟を決めるという事は、すでにそれらをにも等しい。


 振り下ろした剣が、命を奪うことが罪なのではない。

 命を奪うために振り下ろした意志が、罪なのだ。


 魔性から逃げ続けた魔王。


 今こそ、真に名乗りを上げよう。


 ……リリィ。


 ずっと口ばかりでいつまでも弱い余の決意に、

 背中を押させておくれ。



「リリィ、余と一緒に汚れてほしい」


「うん」


 余は目を開ける。


「……体のこともある。数日は待とう」


「……、……うん」


 余は立ち上がり、リリィの傍へ。

 彼女も立ち上がって余と向かい合う。


 意外なほど穏やかな心持ちで、言った。



「余を、抱いておくれ」


「――はい、よろこんで」



 どちらともなく、顔を寄せた。

 今までの少し控えめなものと違う、つよく触れ合うキス。


 たずねるように、余の唇をリリィの舌が軽く触れる。

 ぴくり、身体が震えるが、余は素直に口を小さくあけて

 それを迎え入れる。


 ぎこちなく絡めあう温かさに、

 リリィが余に伝えたい想いを感じ取る。


 余も拙いながら返した。



 選ばない。

 迷わない。


 私はもう、あなたを選んだから。



 たかが恋のために許される事はどこまで?

 魔王はそんなこと、聞かぬ。




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