【104】いささか、疲れた。





 二人、揃ってウサモフシティの広場へやってきた。


 相変わらずたくさんのウサモフ達が思い思いに跳ね回ったり

 キューキュー何事か鳴き合ったりしておる。

 明り取りを見上げると、昼の陽光が線になって差し込んでいる。


「やぁ、お二人さん。おでかけかな?」


 大勢の白いウサモフに囲まれる中年が、手を挙げて余らに言った。


「重ねて世話になったの。毎度感謝しておるよ」


『ぜんぜん気にしないで。どうせ、いつも一日中こんな感じで

 時間を垂れ流してるだけなんだし……この男は』


 プニャーペが言って、もふもふに囲まれるクロウを見る。

 わしゃわしゃと毛玉のようなウサモフボディを撫でながら、

 よーしよしとおじさんは楽しげじゃ。


 しかし、余達にとってはやはり頼れる大人の一人。

 このクロウという男との付き合いは時間にすれば全く大したものではないが

 それでも余はすでにこの魔族をそれなりに慕っておった。


 だからこそ。

 余は少し、彼とこうして向き合うと怯んでしまう。


 ……伝えるべき事があるからの。


「おでかけ、というかな。来て早々じゃが我らはもうここを去るぞ」


「おや……それは慌ただしいね。お茶の暇もないなんて。

 むしろ泊まってってもいいんだよ? 部屋をお貸しするから」


「そしたらお主が困るじゃろ。石畳の上で寝るのか?」


「フフ……ウサモフの藁敷ベッドのご相伴に預かるから心配ないよ。

 フワフワぬくぬくに囲まれてそりゃもうパラダイスさ」


『キュキュー、まかせんしゃいー』

『もふぁもふぁにしてやんよー』


 ウサモフ達がぽよぽよと跳ねる。

 それは結構じゃが……


「いや。気持ちはありがたいが遠慮する」


 余は首を振って、そしてクロウを見据える。

 ふむ、と首を傾げ、余の視線を受けるクロウ。


「そうか。残念だけど引き止めはしないさ。気を付けるんだよ」


「何も聞かんのか?」


「言いたい事があれば、聞くよ。

 それとも、僕から聞いて欲しいかい?」


「その方がええのぅ」


「はは、素直でいいね。わかった、いいよ」


 クロウはウサモフ達に散ってもらうと、

 それから余達が今しがた出てきた通路の方を指で示した。


「ここで立ち話ってのもなんだ。すぐ終わるとしても、

 一旦僕のお部屋に移ろうじゃないか。座って話そう」


 余とリリィは了承し、彼らに付いて再び引き返す。

 部屋に入りクロウは自分の立派な玉座に腰掛けるが、

 余とリリィは立ったまま彼の正面に。


「そこのテーブルにちょうどニ脚、椅子があるだろう?」


「いや、このままで良い」


「あら……そう? なんかちょっと僕が偉そうな感じでイヤだけど……

 じゃあ僕だけ失礼してこのまま聞こうじゃないか。じゃあそうだね」


 クロウは肘掛けに片肘をついて、余らを見つめて切り出した。


「君らはこれから、どうするのかな?」


「魔族領は論外として、テリアという亡国に一応の拠点があるのじゃが

 そこもさすがに危険に思う。エル・フローラに戻るというのも考えたが、

 こちらも不安が少なくない。となるとまぁ、仕方無しという事で……」


『まさか、貴女達みたいな女の子二人で野宿なんて言わないでしょうね。

 私たちウサモフみたいな魔物や動物じゃあるまいし。

 この辺の夜はまだけっこう冷えるわよ』


「プニャよ、心配してくれるのはありがたいが、これは余らの問題。

 余たちの置かれた状況は非常に切迫しておる。

 姿を隠す事が相手方に対してどれだけ意味があるか分からんが……

 出来るだけ、安易な事はせんようにしたい」


「ここは、そんな君らになかなか都合の良い場所だと思うけれど?」


 少し微笑んで、クロウが余に言った。

 余はそれに、言葉は返さず首を横に振って返す。


「ふむ。ここを出ないわけにはいかない理由を聞こうか?」


 クロウは表情を変えず、次の質問をする。

 きっと見当が付いておるのだろうが、余は答えた。


「あるいは余は、お主に……」


「僕に?」


「…………」


 この期に及んで言葉に詰まってしまう。


 ……しっかりせんか。決めた事であろうが。

 余は改めてクロウを真っ直ぐ見て、口を開く。


「――お主に、」


「死を選んでもらうかも知れないから」


 …………


 クロウが、先に言ってくれた。


 くそ。情けない。


「……そこを、お主に詳しく説明して欲しい」


 苦い顔をする余に、クロウは穏やかに微笑んだまま「いいよ」と言った。


「あのね、僕はずっと――それこそ300年以上前からかな。

 死を取り上げられていた。リリィから聞いたと思うけど……

 かつて勇者に倒されて、ウサモフの姿で再生してからずっとだ」


「……本来魔族の寿命は、人間よりむしろ若干短い位じゃな」


「そう。僕はあの日から、ずっとこの姿でこれ以上老いる事もなく、

 そしてあらゆる内外的な要素……外傷や病気によっても死ぬことなく、

 こうして生き続けている……いや、生かされ続けているんだ」


「それは恐らく、我らを魔王に選定した何者かの手によってなのよな?」


「恐らくだけどね。僕は記憶を取り戻すのに君より遥かに時間が掛かったし、

 魔王も僕から数えて3世代交代していた。でもやはり僕は魔族なのだし、

 当然自分の故郷に一度戻った事はあるんだよ。記憶が戻って間もない頃に」


「でも、今はこうして人間領のこんな洞窟で隠遁生活をしとる」


「魔族領の土を再び踏んだ時――現れたんだよ」


 クロウが、目を細める。


「現れた?」


「僕を不死にした存在が」


「え、本当に? それは……」


「あらかじめ言っておくけど、正体は分からなかった。

 魔族領に入って間もなく、何者かが念話を通じて僕に語りかけてきたんだ。

 一言目に、なんて言ったと思う?」


 余とリリィはお互い顔を見合って、そしてクロウに向けて首を傾げる。

 分かるわけなかろう。


「……“”だってさ」


「……はぁ?」


 余は顔を顰める。


 なんじゃ、それは。


「はは、僕もたぶんそんな顔をしたよ。いきなり正体不明の誰かに念話を

 ぶち込まれたかと思ったら、ごめんなさいって……ねぇ?

 僕もそこまで馬鹿じゃないから、その声の主が自分の置かれた状況に

 少なからず噛んでいるのはすぐ分かったし、そんな相手からの第一声が

 謝罪だったんだもの。さすがの僕もとても苛立ったのを覚えてるよ」


 記憶を失ってウサモフ姿で彷徨うさなか、クロウがどんな境遇にあったのか

 余には想像も付かんが、決して安穏としたものでは無かっただろうと思う。


 余はせいぜいひと月程で記憶も姿も取り戻したし、

 帰りを待つものが多くいてくれた。


 間違いなく余は幸運であったが、クロウはそうではなかったのだ。

 帰った魔族の地に、すでに彼を知るものはほとんど……

 あるいは全く残っていなかったのかも知れない。


「その時にはすでに、僕は自分の不死性に気付いていたからね。

 一体何のつもりでこんな事をした、お前は誰なんだ!!ってさ、

 姿を見せないそいつに声を荒げて問い詰めたのさ。

 そうしたらこう答えた。、と。」


「協力……それは、お主の“固有能力”でか」


「もちろん尋ねた、何を言ってる、何をしろっているんだ? ってね。

 でも、それは答えてくれなかった。……どころかさらに、

 “いつか迎えにいくと思うから、それまで待っていて欲しい”なんて言うんだ。

 ふざけた話だろう?そうまったくもって、ふざけている」


 言いながらクロウは、それでも表情に怒りを滲ませるでもなく、

 呆れたような苦笑を浮かべるだけだった。


「そして、それに全く納得も了承もしてないまま、僕は魔族領を後にさせられた。

 出ないわけにはいかなかったんだよ。人質を取られちゃったもんだから」


「人質じゃと?」


『わたし達よ。彼がウサモフ時代に出会った子たち。

 魔族領に近寄ったら、ウサモフ達をに合わせるって』


 プニャーペが代わりに説明する。


 クロウは記憶だけでなく姿を取り戻すのにも時間が掛かったのじゃろう。

 長いウサモフ時代で生まれた関係や絆を盾に従わされたと。

 なるほど……酷いのぅ。


「僕という特例を、まだ魔族に周知したくなかったんだろうね。

 正体が分からぬとはいえ、当時魔王だった僕にあれだけの事をしでかしたんだ。

 そこに言い知れない強大なスケールの存在感を感じずにはいられなかった僕は、

 大人しくそれに従った。だいたい今更帰るべき家なんて魔族領には

 無かったしね、それからはずっとウサモフ達と隠居ライフさ」


「そしお主は、かの存在が言った“いつか迎えにいく”時が今だと……

 そう思っておるんじゃな?」


「そうだね。言うなら、僕はキープされていたんだ。300年もの間ね。

 そして君たちが現れた。君たちの話を聞いて、確信に近いものを抱いた。

 きっと、はまた僕の前に現れるだろう」


 クロウの言葉を聞いて、リリィが一気に不安げな顔をする。

 もちろん余もにわかに緊張する。


「そやつには、クロウの現状……というか現在地が分かる、のか?」


「そう思ってる。じゃないと、利用したい時に出来ないだろう?」


「では、余の事も……向こうはやはり、把握しておる?」


「分からない。でも、可能性は低くないと思う」


 ……


 ……まぁ、もちろん考えてはおった。


 今この瞬間にだって、“それ”が余達の元に現れるのではないかと。


 ならば、どこに居っても……


 リリィが、余の手をぎゅっと握る。

 それを、余も握り返した。


「リリィにも言ったけれど……ねぇナナ?」


 クロウが余に言う。

 優しい声音じゃ。


「僕は意図せずこれだけ長く生き永らえた。そしてそれ自体は結果的に、

 僕にとって幸運だった。ウサモフ達と過ごす日々は素晴らしいものさ。

 だけど同時に、それでも僕はずっと……胸の内で思っていたんだよ。

 いつまで、僕は先立つ彼らを見送り続けないといけないのかって」


『…………』


 プニャーペが、僅かに目線を下げる。


 先立つ……確かにそうじゃ。

 ウサモフの寿命までは余は知らんが、数百数千年と生きる事はなかろう。

 ウサモフだけではない。彼はあらゆる出会いに、先立たれる前提があった。


「まいるよね。必ず取り残されると知っていても、失意が待つと知っていても。

 僕は一人になれなかった。ウサモフだけじゃない、人間の友も何度も作った。

 あまつさえ、恋すらしてしまうんだ」


 もふもふ、と傍らのプニャーペを撫でる。


「ナナ、あのね。誰かの今際に、僕も言いたい。

 “僕も、いつかそっちに行くからね”……ってさ。

 本音を言うと……いささか、疲れた。」


「クロウ……」


「僕は、死んでもいい――いや、死ねるなら、ここらで死にたい。

 いいんだよ。後ろめたさなんて感じなくていいんだ、子供たち。

 僕の死を望めとまでは言わない。でも負い目はいらない」


「……クロウ、余はお主に死んで欲しくない。お主は良い奴じゃ。

 だが、同時に余はどこかで……それでリリィや両親が解放されるなら、

 お主が死を選ぶ事を期待しているのじゃ。

 負い目は感じる。自分を浅ましい、醜いと思う。

 しかし余はそれを、誤魔化したくない。自分だけ綺麗でいようなど……」


 真っ直ぐ、クロウを見て言う。


「この思いもきっと、しょせん利己的なものかも知れぬ。

 覚悟と言って、都合よく開き直っておるだけかも知れぬ。

 だがもう言い訳だけはせん」


「うん」


「……探すぞクロウ。余はお主を殺す手段を探す」


「私も探します。ナナと一緒に……安心して暮らすために」


 余とリリィは、はっきりと宣言した。


 自分たちのために、あなたの死を望みますと。


 クロウが、ふっ……と笑い。

 プニャーペはただ、じっと目を瞑る。


「ほんとはね。君らみたいな子供に決めさせる事じゃないんだ。

 全く、運命ってやつはしょーもないよな。形あるなら引っ叩いてやりたいよ」


 クロウがわざとらしい怒り顔をして言う。

 そしてもう一度微笑んで、父親のような面持ちをして告げた。


「野宿なんてさせないからね。気まずいなら、大丈夫だよ。

 二人だけでゆっくりできるよう、手配しようじゃないか。

 おじさんが頼れるところを存分に見せてあげよう。

 フフ、ウサモフ達のポテンシャルは凄いんだぜ」


 そんな事を言い、半ばケジメとして出て行こうとしていた我らを引き止める。


 余もリリィも……頷くしかない。

 圧倒的な器の違いを見せられて、改めて余達はまだ子供なのだと思い知る。


 何も表情に出さずにいるプニャーペを見る。

 その心中を慮る資格など、余にはない。


 余は己の覚悟の杭を打ち直すために、

 リリィの手を強く握った。




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