《103》私は魔の王。





 石扉の前、リリィは深呼吸をする。

 したあとで、ほんの少し嫌な気持ちになった。


 この深呼吸は、愛しい子と会う前にするようなものではない。

 けれど、扉を開けた先に彼女の沈んだ顔を想像すると、

 どうしても胸の辺りが苦しくなってしまう。


 離れていたのは、時間にして20分かそこらだ。

 それでも、本当なら5分だって、今のナナを独りにしたくない。

 早く開けるべき、と分かっているのだが……


 そうして数十秒躊躇った後、ようやくリリィは扉に手をかける。

 しかしそれと同時、扉がいきなり奥に向けて開いた。


「……やっぱり、おったの」


 扉を開けたのは、もちろんナナだった。

 リリィは突然の事で、目を丸くして固まった。


「――ぁ、た、ただいま」


 咄嗟に言葉を探すが、なんとかそれだけ口に出した。


「ん……おかえり。もしかして、しばらくそこにおったか?」


「えっ?! う、ううん。今来たところ……だよ」


 いけない。入るのを躊躇っていたなんて、嫌な気持ちにさせてしまう。

 リリィは慌てて、言い繕った。

 けれど。


「……ふふ。いいんじゃ、逆の立場なら余もきっと同じじゃった」


 ナナには、お見通しのようだった。

 リリィは、あぅ……と落ち込んでしまう。


 その、少し下がった顔にナナが顔を近づける。

 リリィの頬に、柔らかな唇が触れた。


「――さっきは、やり逃げされたからの。余もしたいというに」


 言って、にこ、とはにかむ。

 リリィはその笑顔に、逆に慰められてしまう。


 だめだな、私は。

 リリィは心の中で自分を叱る。


「ご、ごめん……逃げたわけじゃ」


「ゆるしません。こっちに来なさい」


 言って、ナナはリリィの手を取ってベッドに連れてゆく。

 そして、その中央辺りをぽんぽん叩いて、リリィを促した。


「……横になるの?」


 こく、とナナは頷く。

 素直にリリィはその柔らかいベッドの上に横になった。


 その隣に、ナナも同じようにして寄り添う。

 それから身体を下にずらして、顔をリリィの胸の少し上辺りにうずめた。


 ぴく、とリリィの身体が動く。

 でもそのまま、ナナの頭に手を添えてふわふわの髪を撫でる。

 少しの間、そうしていた。


「……このまま、話して」


 やがて、顔を埋めたまま、ナナが言った。

 リリィはくすぐったくてまた少し、ぴくりと動いた。


 話……先ほど、クロウ達とした話の事だ。


 リリィは彼女の頭に手を添えたまま、そして時にまた撫でながら、

 クロウらと話し合った内容を順に伝えていった。



「……“固有能力”と通常の魔術や霊術との明確な違いはの」


 ナナがリリィの胸から少し顔を離して言う。


「魔術などは、場の魔素や霊素と己のそれを結合させて使用する。

 対して“固有能力”は、己の内から直接取り出して行使される。

 己の内……魂の内からじゃ。それは魂に根ざしておるのじゃ」


 ナナの説明に、リリィは透明なガラス玉に根を絡めたものをイメージした。


「子は親の魂を僅かに引き継ぐ。だが能力そのものは受け継がれない。

 親の魂から“固有能力”の根っこが繋がっておる故に仮初で扱えるのじゃ。

 クロウが言っておるのは、おそらく無理にその根を引き剥がしてしまうと

 その子の魂に甚大なダメージがあるという事じゃろうな」


 能力の簒奪があった例は聞いた事が無いが、しかし“固有能力”を

 無理やり引き剥がして無効にしてしまうだけなら、呪術の領分で

 昔から可能だし例はあるのだ、とナナは続けた。


「そして、引き剥がされた者は子供大人関係なく……絶命する」


 言って、きゅっとリリィの袖をつかむ。

 その手を握り、リリィは表情を暗くして言った。


「その根っこの繋がる先を、自分の魂に替えてしまうつもりなのね」


「原理は分からんが、そういう事が可能な能力を持っておるんじゃろうな」


 子を取り上げ、その命を奪うだけでなく……

 概念上とは言え、私達とその者の魂が、根で繋がり合う。

 そのイメージに、リリィは激しい嫌悪を抱いた。


「そんなの、絶対させたくない」


「そう……じゃな」


 リリィの静かな怒りに、しかし応えるナナの声は弱々しかった。


 仕方がない。どんなに嫌だと言っても、現状自分たちが逃げ隠れする以外

 何も打つ手が無いのだから。

 リリィだって、本当は弱気になってしまいそうだった。


「クロウのことは……」


 ナナが話題のポイントを変える。


「あやつもこの不届きにおいて不可欠な要素であるというなら……

 それが欠けても、あるいはこの事態は頓挫するのやもしれんが。

 しかしあやつ、その【C】とやらにあたりそうな異能が何なのか、

 結局言わんかったんじゃよな?」


「うん……」


「ふむ……いやまぁ、」


 ナナはゆるく首を振った。


「まぁ何であったとて、あやつを犠牲にするわけにはいかんしな……」


「――わたしは」


 ナナの言葉に、僅かに被せるように。

 リリィが、ぽつりと言う。


「私はきっと、それを……選べる、と思う」


「え……?」


 思いもしない言葉に、ナナが驚いてリリィの顔を見る。

 そして、そこに浮かぶ表情を知った。


 なんて……


 なんて、力の篭った目。


「選びたくはない。でも……それを、私は選んじゃうと思う」


「リリィ――お主……」


 ナナは、言葉を続ける事が出来ない。


 自分に言える事なんて、無いと思った。


 彼女の表情、そして眼差しに。

 ナナは初めて、リリィと自分の違いを見る。


 覚悟だ。

 彼女は自分の想いに、確たる覚悟を抱いている。


 それはあるいは、奪われ虐げられてきた彼女と、

 宿命を置けば少なくとも平穏には生きてきた自分との差なのか。

 わからないけれど。


「あなたを、誰にも渡さない。私も、あなた以外のものにならない」


 ぜったいに。


 ごくり、と喉を鳴らすナナ。


「後悔、しているの」


 リリィがナナの目を真っ直ぐ見て、ゆっくり言葉を紡ぐ。


「後悔……?」


「あなたのお父さんと、戦わなかった事」


「……っ!!」


 ナナの心臓が、大きく跳ねる。

 しかし、リリィのその瞳から目を離せない。


 離しては、いけないと思った。


「私があなたの立場だったら、きっと選べない。私も同じ。

 だけど、いつか来るの。選ぶか、選ばずにいるか、決める時が」


 リリィの声は、

 その眼差しと裏腹に、微かに震えていた。


 だから――と彼女は言った。


「あなたの想いと、あなたの命……子供の命。お願い。私に選ばせて。

 私は必要なら、クロウさんも……あなたのご両親も、こ、殺す……わ」


「リリィ……」


「ナナに嫌われても、失望されても……私は選ぶから」


 そして、ナナは見つける。


 リリィの目端に、微かに揺れるものを。

 そして、それはきっと流れ落ちる事はないと知る。


 それが、彼女の覚悟なのだ。



 ……


 ……ばか。


 ばかものが、とナナは思う。


 余の馬鹿者。すかぽんたん。


 結局、甘えているのは自分だけだ。


 ミミが死んだ日、自分がリリィに架したもの。

 受け入れさせて、逃げさせないで、前を向かせようとして。


 ひとに強いるだけなら、なんと簡単な事よな。


 そして今、リリィは言っているのだ。


『可哀想な子。あなたは選ばなくていい。私が全部してあげるからね』


 そして頭を優しく撫でられ、背中をさすられ、

 自分を憎んでいいとまで言わせている。


 そんな彼女に対し、自分はなんだ?


 さっき石扉を自分から開けたのは、リリィを気遣ってでは無い。

 ただただ、自分が早く触れて欲しかったからだ。


 …………


 余は、なんだ?


 九つの幼女か?


 記憶を取り戻した時、心に思った。


 もっと大きい手を、強い心をちょうだい。


 それを持っていないんだから、いじめないで。



 あぁ……


 あぁ、


 馬鹿が!!!!



 お前はなんだ、かつて何を名乗っていたのだ!?


 ナナは己をなじる。


 余は――


 余は【魔王】じゃぞ!!


 因子など関係無い!!


(我は魔王。ナナ=フォビア=ニーヒル様なのだぞ!!)


 それがなんという体たらく。


 分かっていた、自分は言い訳を探していると。

 心のどこかに、ずっと“仕方が無い”の一語を探していた。


 これから自分が受け入れねばならないかも知れない、罪の予感。

 何かを選ばなければならない時、振りかざせる“仕方が無い”が欲しい。


 リリィのため。子のため。

 父が望んでいるから。相手が強大だから。

 運命だから宿命だから。


 どうしたら、仕方が無いと言えるのかを探している。

 どうしたら、痛くないか。救いがあるのか。

 今この時にも選ぶ瞬間が来るかもしれないのに。

 見つかる気なんて、全くしてないくせに。



 父は自分の記憶を消そうとした。

 その手間がなければ、とっくに事は済んでいたのに。


 親の愛も、リリィの愛も。


 余はなんだ……全て自分の都合に沿うか否かで求めるのか?


 余は――



「――余は、あんぽんたん!!!!」


「ひぅ!?」



 すぐ間近での、突然の大声にリリィは思い切り身を竦ませる。

 しかし、その身体を思い切り抱きしめられた。


「リリィ、好き!! 大大だいすきじゃ!!!!」


「ひ、ひゃい!??」


 ぎゅぅぅぅ……!! とナナの腕に力がこもる。


「余は嫌じゃ!! 何も選びとうない!! 今すぐ逃げ出したい!!

 嫌じゃ嫌じゃいやじゃ、何も見たくないんじゃ……!! でも、」


 でも、とナナは身体をバッと離し、リリィを真っ直ぐ見た。



「全部、受け入れるから……頑張るから……」


「……ナナ」


「だから、置いてかないで。リリィだけで選ばないで。

 暗い道でも辛い道でも……悪い道でも、私を一緒に連れていって」



 リリィを忘れたくないの。

 リリィに忘れられたくないの。


 それがどんなに難しくても、

 誰かを犠牲にするしかなくても、


 もし残った道が、罪悪しかなくても。



 私は、魔の王。


 どんな選択が待っていても。

 それは、私とリリィで選ぼう――。




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