《102》スラルと義父。





 そろそろ夕刻に差し掛かる時分、スラルは特区……亡国テリアの一角、

 先日も利用した元地方豪族の館に戻っていた。


 玄関をくぐり、エントランスの中央でスラルは大きく溜息を吐く。

 その姿をミナが見掛け、トントンと階段を降りてきた。


「おかえりなさい執事さん。ご用事は終わったの?」


 背の高いスラルの顔を見上げ、それからミナは彼の後ろ……

 閉まった玄関の扉の方を見やった。


「お姉ちゃん達は? 一緒じゃないの?」


 ミナの問いに、スラルの表情が微かに揺れる。

 しかし、すぐにスラルは微笑みを作って答えた。

 子供達と接する時、彼は無表情を解く。


「あぁ……その事で、君たちにもお話があるんだ。

 他の子たちも、そうだな……ダイニングに呼んできてくれるかい」


「うん……分かった」


 リリィ達の姿が無い事に、少し残念そうにしながらミナは素直に頷いた。

 そして、階段を再び上がり部屋に戻っていった。


 それを見送り、スラルは目を瞑り気を落ち着ける。


 やがてダイニングに向け歩き出そうとした彼だったが、そこへ

 想定していなかった声が掛けられる。


「……戻ってましたのね」


「――君も。ラナンキュラス」


 声の元へ振り返り、スラルは魔貴族の令嬢に応える。

 彼女の表情には少し翳りが見えたが、それでもいつものように、

 執事に対し『貴方の事なんてどうでもいいですけど』というような

 不遜な面持ちで腕を組んでいる。


「ナナとリリィさんは?」


「行方知れずだね」


「……そう」


 ふっ、と鼻を鳴らすラナンキュラス。

 不敵な笑みを浮かべる。


「一応確認しておきますけれど、貴方“も”グラード様とはお会いに?」


「あぁ、先程魔王城でを賜ったばかりだ」


「そうですか……ナナは?」


「権能が発動される前に、リリィ様が連れ出した。

 行先の見当は、今のところ誰もついていないね」


「それはそれは。はさぞ、ご息女が心配でしょうね」


「……そうだね」


 スラルは僅かに微笑する。苦い笑みだ。


「これから、ダイニングで子供達に色々伝えないといけないんだ。

 良かったら君も一緒に来るかい」


「そうね、ご一緒しましょう」


 言って、ラナンキュラスはスラルを追い越してさっさと歩いていく。

 それを追って、彼も続いた。ちょうど後ろから、子供達の気配もする。





 ナナとリリィの姿が不意の転送霊術で消失した後。

 スラルは魔王とエトラに伴われ、魔王城へと赴く事となった。


 エトラは魔王に後を任せ、何処かへと去っていった。


「……彼女の事は、私も驚いたよ」


 グラードは苦笑しながら言った。

 スラルはその顔に、紛れもない憔悴の影を見た。


「ルシオラ殿の件は、方便だったのですね?」


「勝手に彼の名を用いて、悪い事をしたよ。

 彼は確かにナナの在り方に不満を抱いてはいたが……

 それでも、ナナ自身の事はあれで意外と気に掛けていたんだよ」


「……そうですか。魔王にはっきりと邪念を抱くのは、魔族には

 難しいですからね」


「魔王云々抜きにしても、だよ。スラル、君もきっと知っているだろうけど、

 ナナは多くの魔族から慕われていたんだ。その多くは半ば親心のような

 ものだったろうね。あの子は、ちょっと頼りない魔王様だったから」


「ルシオラ殿の人族に対する害心も、彼女を慮っての事と」


「きっとね。あの子は……ナナは純真だ。故に脆く、危うい。

 彼女に人族の抱える暗鬱とした習性は、毒が過ぎる」


「それは、同意します」


 そこで、少し会話が途切れる。

 お互い、相手の目を片時も逸らさず見つめていた。


 再び、グラードから口を開く。


「あの子は今とても……とてもとても、苦しんでいる」


 あの子。言うまでもなく、彼の娘の事だ。


「あの時、間違いなく天秤卿の魔術は適っただろう。

 あの子の絶望をすぐに消し去るはずだった。しかし……」


「今も、彼女はそれを抱え続けて、どこかにいる」


「私は、どこまで子不幸な父親なのだろうね」


 グラードは深く俯く。

 スラルは、ただ黙って彼を……義父の姿を見ている。


 果たして、そうだったろうか、とスラルは思う。

 確かに、あの時点でナナは深く甚大な失意を抱いただろうが。

 それでも、とスラルは思う。


 それでも、あの子は両親を忘れたいなどと、簡単に思っただろうか。

 耳を塞いで、かぶりを振って、逃げ出したいと思ったかも知れないが。

 彼女はそれでもきっと、天秤卿の術理を跳ね除けたのではなかろうか。

 スラルはそう思っている。


「貴方様は、ナナ様の貴方がたへの愛情を少々見くびっておられるかと」


「……スラル。……そうかも知れないね」


 義父は、自嘲の笑み。


 それでも、そうするしか無かったのだろう。


「エトラは記憶処置の後も私の事も覚えていると言っていましたが。

 実際そんな事はないでしょう。全てすっぱり消すはずです。

 彼女らのお互いの事、その慕情以外の全てを」


「……あぁその通り。それこそ、知識を含めた全てだよ。

 魔族の繁殖に纏わる知識も。子を成せるという事も知らず、

 あの子達はただ事を行う。魔王の権能の元にあるナナの主導でね。

 そこに残っているのは、お互いへの愛だけだ。

 なぜ相手を愛しているのか、大切なのか、理由さえ分からぬまま」


「……残酷ですね。ただ、優しいと言えなくもない。

 どこまでもエゴがちらつきますが。ですがそれでも、どのみち

 子を取り上げてしまえば彼女たちの失意は避けられないのでは?」


「懐妊の兆候が見えてから出産まで、我々魔族は21日前後しか掛からない。

 肉体先行の人族と違い、魔素先行で成り立つ我々は萌芽が早いからね。

 兆候が見え次第、一時二人はナナののため隔離させてもらい、

 ナナには出産を終えるまで……ある種の無我状態になってもらう」


 グラードは淡々と説明する。

 しかし、それは必死に努めた態度だと、スラルは知っている。


「彼女達は、自分らの間に子が産まれた事も知らないままだ。

 そして以降、二人はただ穏やかに、思うように寄り添えば良い」


「なぜ、そこまで回りくどい事を……貴方を魔王とした何者かは、

 一体どういう心積もりでいるのですか?」


「誠意……だろうかね」


 グラードの言葉。


 エトラも『誠意』という言葉を持ち出していた。

 彼女の言う誠意とは、何だったのだろうか。

 あるいは、彼女を動かす存在にとっての誠意とは。

 スラルはそれを考えていた。


 しかし、なんにせよ……だ。


「それは、これからやってくるかも知れない可能性の話です。

 今はまだ、あの子は酷く苦しみ、きっと助けを求めている。

 だから私は貴方がたの計画を必ず頓挫させます」


 魔王、そしてその権能を前に、それでもスラルは啖呵を切る。

 それはもちろん、何の意味もない、ただの強がりでしかないかも知れない。


 だが、意志を示す事は、無意味ではない。


「二人の出会いも、それからの事も、そしてひと月前のあの夜の事でさえ……

 掛け替えのないあの子らの記憶なのです。ただ愛すべきだから愛している、

 由縁も何も知らない、ただ意味不明の思慕だけが残るのですか?

 ただの整合性の問題では無い。それでは今の彼女たちの想いとはまったく違う」


 スラルは、恋慕に関しては疎い。己に覚えがないから。

 それでも、例えば自分がナナとのこれまでの思い出を全て失い、

 ただそこに忠義だけが残ったとしたら……


 それで彼女の横に並ぶ自分は、今の自分とは絶対的に違う。

 なぜ彼女を想うのか。その理由こそが、忠義の意味で、価値なのだ。


 愛情もきっと同じ。

 スラルにとっての義父と義母もそうだ。

 親だから愛すのではない、愛するから親なのだ。

 その愛を創り出しているものこそ、記憶で、思い出なのだ。


 あの子達の想いを、誰がいじくり回していいものか。

 たとえ、そうする事が現状の最良であったとしても。

 そんなものを最良とする計画自体を、自分は絶対容認しない。


 グラードも、本来は間違いなく自分と同じ。

 彼には愛する妻と、その記憶がある。

 同じはずなのに……


 それでも、如何とも出来ぬのか。

 それほど、は強大で、絶対のものなのか。



 ……ならば、義父の代わりに私が代弁しよう、とスラルは思う。

 全てを知った義父には言えぬ事を、代わりに。


「ナナは、あの子はちゃんと幸せになるべきなんだ。

 何だったらマシ、何だったら救いがある、ではない。

 例え今から貴方にどんな枷を掛けられても、僕は絶対に諦めない」


「それが、あの子の苦しみを引き伸ばす事になっても?」


「そう。私はね魔王様。あの子に甘いばかりではありません。

 それがあの子に必要なら、尻だって叩けます。そういう執事です。

 何より今のあの子の傍には……リリィ様がいる」


 大丈夫。


 あの子の心はリリィに任せて、

 自分は遠くからあの子のために戦おう。



 ――今は名付け得ぬものよ。

 魔王ナナいちの執事の忠誠を舐めない事だ。


 魔王グラードがスラルに歩み寄る。


 そして、権能は発動した。


 魔王の魔族に対する、絶対命令だ。



 …………


 ……



 そして彼は今、特区にあった。


 すでに魔王の支配は、確実に彼をとらえている。

 スラルは自身の胸に手をあて、小さく息を吐いた。


 ナナ、きみは今どこにいるだろう。

 リリィ、すまないが彼女をよろしく頼む。


 ダイニングで席に座り、集めた子供達の視線を受けながら。

 スラルは一人、これからの事を考えている。




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