【98】いるはずのないもの。





 余はむかーしから、それはもう寝起きが悪い。

 寝とる間に脳みそが溶けてしまっとるんじゃないかと思う程じゃ。


 目が覚めてから小一時間かけて徐々に脳みそが復元されるんじゃ、きっと。

 それくらい朝の余はフワっフワしとる。


 しかし、そんな余がどうした事でしょう、目覚めと同時に頭冴えとる。

 おめめぱっちり、とまではいかないが自分で驚くほどグッドな目覚めじゃ。


 理由を自分に問うまでもない。

 横を向けば、そこにおるからじゃ。


「…………」


 枕の上で、頭をニュっ……と横に向ける。

 そこにはこちらに顔を向けて、すやすや寝息を立てるリリィの顔。


(……ち、近ぁ)


 こりゃえらいこっちゃじゃ。

 可愛すぎか。なんだっちゅーのだ。


 余の片腕を抱くようにして、身を寄せておる。

 ほんのちょっと顔を寄せたら、ちゅーっと出来てしまうぞな。


(……してもいいのよな?)


 いいのよな?

 恋人なんじゃもんな?

 昨日もしたもん、いいんですよな?


 そーっと、顔を近づける余さん。

 し、失礼しまーす……?


 あとほんのちょっと……

 という所で。


「……ん……ぅ……」


(ほきょ?!)


 リリィが微かに声を出し、身じろぎした。

 なぜか余は、咄嗟に天井に向き直って目を閉じる。


「…………」


 もぞ、と隣のリリィが身体を起こすのを感じる。

 なんでか知らんが、狸寝入りを続ける余。


「ナナ……」


 リリィが、余に小さく声を掛ける。

 余は……


 余は、狸寝入りを継続する。


 ひらめいたのじゃ。

 このまま眠ったふりをしておったら、リリィに起こしてもらえるかも。


 “おきて、ナナ…………ちゅっ♡”


 ――とかあるかも知れん。


 あるかも知れんぞ。

 ふふふ……


「……ナナ、起きてる……?」


 起きてませんー。


 リリィは、ほんの軽く余の肩に触れ、それを小さく揺すった。


 いやぁ肩とかちょっと揺すられたくらいじゃ、起きぬっぽいなー。

 のぅー? たとえば目覚めのキスとかのぅ? あったらのぅー?


 余が頭ん中で不埒な事を念じておると……

 こくん、とリリィが小さく喉を鳴らした。


 ……こ、この気配……もしや。


「…………」


 ベッドが微かに軋んで、リリィが居住まいを変えたのが伝わる。


 これは……勝ったな(?)。


 リリィが動いた。

 さぁどんと来い、と余は唇に意識を集中する。


 ――しかし。


 リリィのしたそれは、余の予測しない……

 完全に意識外からの、一撃であった。


 ふに。


 …………


 ……


 ……え、


「――ひゃん?!」


「ぴっ!?」


 余は思わず身体を起こす。

 余の変な声とリリィの驚きの声が順番に部屋に響いた――


 いや、ていうか、いま、


 お、おっぱ……ぃ、触られた?

 というか、揉まれた?


「リ、リリィ……?」


 呼ぶと、目をぱちっと見開いて固まるリリィ。

 そしてみるみる、顔が赤くなってゆく。


「も、もしかして……ぁの、起きてた?」


「あー……じ、実は」


「~~!? ごっ、ごめんなさい!!」


 ぺこーッ!! と勢いよく頭を下げる。


「い、いや、まぁなんじゃ、なんていうか……」


 余は戸惑いながらも、なぜか舞い上がってしまいつつ。

 身体を縮こめるリリィに、ちょっと意地悪な気持ちが芽生えて、

 わざと胸を腕で覆ってみせてから言った。


「……リリィの、えっち」


「ぁ、ぁう……!!」


 子犬の鳴き声のような声を出して、さらに茹で上がってしまう。

 可愛い……が、ちょっと可哀想か。

 余はすぐに言った。


「なんての、冗談じゃ。リリィなら、その……余は全然うぇるかむじゃ」


 言ってからちょっと恥ずかしくなって、にょほほ……と笑って誤魔化す。


「へ、減るもんじゃなし、こんなんで良ければ好きなだけ触ってよいぞ!!

 はっはっは――」


 あかん、なんか言う程恥ずかしいな?

 と、とりあえずベッドから降りようそうしよう――


「……ほんとに?」


 身体を動かしかけた所で、リリィが何か言った。

 ……む?


「ほぁ?」


「ほんとに、いい?」


「え、えと…………う、うん」


 顔を真っ赤にして、しかしやけにマジな顔で尋ねるリリィに、

 余は気圧されつつ、うなづく。


 えと……リリィさん?


「…………」


 そーっと、リリィが手を上げる。

 そして、余の胸にそれがゆっくり伸ばされる。

 リリィの目は、なんだかぐるぐるしていた。


(……こ、これは予想外じゃぁ……)


 そう来るか、としかし余は当然引かぬ。

 リリィならなんぼ触っても良いのはまことじゃ……


 か、かかってこい!!


 余は、きゅっと目をつむって胸を突き出す――



「ナナ様? 起きていらっしゃるのですか?」


 コンコン、というノックの音がして、次にスラルの声。


 ――余とリリィ、めちゃ跳ねる。


「ほぁぁあ起きてますけどぉーー!!?」

「お、おはようございますぅーー!!?」


 二人同時に、でけぇ声でドアの向こうに返事をした。


 …………


 ……身支度を整え、はい、食卓につきました。





「しかし遅いのぅ、賢者の奴」


 なんとか気を入れ替えて、食事を摂りながら余は言った。


「そうですね。日が改まるとは」


「なんかあったんかの? まぁあやつの行動とか予測付かんしな。

 どうせまた何の前触れもなくニョヒャーとか言って出てくるんじゃろうが」


「パスラは、魔族領に近いですからね。何事も無ければ良いですが」


 ふむ……いまいち彼奴がシリアスな事態で泡食ってる姿が想像できんの。

 奴には転送霊術もあるし、まぁ大丈夫じゃろ。


「それより、スラル……ちょっと、食事が済んだら話がある」


「はい。了解しました」


「二人で、おはなし?」


 隣のリリィが、ぷちトマトを摘んだまま余を見て尋ねた。


「ふむ……身体の具合はどうかの?」


「ん……大丈夫よ、ありがとう」


「じゃ、リリィも一緒じゃ」


「……うん」


 にこ、と笑う。

 ふふ……ういやつめ。


 フローリアとフレイは、リリィの件が済んだら自分たちの住まいに

 帰っていったので、今はいない。


 食事後、余とリリィとスラルの三人で、一応談話室に場を移す。



「スラルには、出来るだけ情報を伝えておきたいと思っての」


 余はそう切り出した。


 昨夜、また改めて万難を排したいと強く思った余じゃ。

 リリィと平穏に睦むために、悲しませないために。

 頭が回らん余でも、出来ることはしっかりやらねば。


 なら、先ず余の優秀な執事に意見を仰ぐべきと考えた。


「ええ、お願いします」


「んむ、まずはそうじゃのー」


 とりあえず、余はひと月前、ウサモフとして目覚めた辺りから、

 順に我が身に起こっていた事を共有した。


 フローリアとフレイの事も、そして……クロウの事も詳らかに話した。

 一応、クロウの事は他言せんでな、と前置きしておいた。


 スラルは口を挟まず、じっと余のちょっと拙い報告に耳を傾ける。


「――まぁ、とりあえずこんな感じかのぅ」


「なるほど」


 聴き終えて、スラルが少しだけ黙考する。

 そして口を開いた。


「そのクロウという元魔王が、ナナ様とリリィ様の“固有能力ユニーク・スキル”を知りたがった

 理由は言っていましたか?」


「いや、ただの好奇心とかってはぐらかされたような」


「ナナ様とリリィ様にまつわる例外的な事象に、何者かの意図がある。

 それは私としても、単なる偶然とするより余程胸に落ちる思考です。

 そしてもし仮にそうであるなら、最も理由としてありそうなのも

 確かにお二人の“固有能力”ですね」


「余と……リリィの」


 見えざる天秤で、人の業を計る異能。

 そして、あらゆる特性を無視して能力を適用する異能。


 スラルが、独り言のように呟く。


「……なるほど。確かにそれは、十分あり得るか」


「何がじゃ?」


「これは仮に、の話です。

 もし仮に、お二人の間に子供が生まれたとしましょう」


「――へぇ?!」


 いきなりな話に、素っ頓狂な声を上げる余。

 リリィも、びくくっと体を振動させた。


「か、仮に、な?」


「はい。その場合、その子はお二人の“固有能力”を併せ持つ事になります」


「うむ。我らが存命の内に限るが」


「――例えば、“巡悔の揺籠ヘル・クレイドル”」


「……なに?」


 魔王禁制の呪術が、どうした?


「お二人の“固有能力”を合わせて何かを為そうと言うのだとして……

 私なりに、軽く想像してみましたが、この呪法と組み合わせたとしたら」


「それは――」


 ……そういえばクロウも、そんな例えをリリィのスキルに対し挙げていた。


「呪法? それは、ナナの?」


 リリィが余に聞く。


「うむ……対象の業の深さ、大きさによって異なる痛苦を与え、

 後に絶命させる歴代の魔王に継がれる大呪法じゃ。

 ある程度強力な呪力・霊力を保有する者には通用せん事もあるがの」


「……そんなのが、あるのね」


 リリィが僅かに慄きつつ言って、そしてやがて思い当たった。


「クロウさんがあの時言ってたあれ……」


「うむ。もしリリィがコレを扱えたら、間違いなく手に負えんものになる」


「ナナ様とリリィ様の定めに手を加えたものがいるとして……

 あるいは、魔王や勇者の選定自体がその者による所業である可能性も

 あるかも知れませんね」


 全て想像と仮定でしかありませんが……とスラルは言うが、

 表情は明らかに暗くなっている。


 そして、余の鈍い頭もようやくそれを想像する。


「余とリリィの……こ、子供を魔王にする事も、出来ると?」


「もし出来たとしたら、過去類を見ない絶対的な魔王が誕生しますね」


 スラルが淡々と言う。


「でも、そんなの……赤ちゃんを魔王にしたってそれは――」



「大きくなるまでぇ、待ったらいいのではぁ?」



 ――不意に。


 その声は、我らの耳に届いた。


 三人、一様に驚愕の表情を浮かべる。

 珍しく、スラルも大きく眉を顰めている。


 それはそうだろう。

 これは余とスラルにとってよく知った声で、


 そして、今ここにいるのがあまりに不自然なの声だったから。



「何百年も待ったんですからぁ……そんな、十年二十年くらいねぇ?

 ぜんぜん待ちますよぉ、ぁ……」


 やたら、間延びした……眠くなるような声。


「……なぜ、お前がここに? というか、どこじゃ?」


 声は聞こえど、その主の姿は見えない。

 三人で室内に目を配せるが――


 突然、談話室のドアの前……その空間に、縦に線が入った。

 その線を割り開くようにして、そこから腕が伸びる。


 その腕が空間を裂き、中から現れたのは……



「……エトラ」


 そう。


 そこに居るのは、間違いなくあの、エトラじゃ。

 パスラに配された、魔族の諜報係。人間領への斥候。


「……何ともなタイミングでぇ……面白いお話をされてましたね~?

 エトラも、ちょこっと混ぜていただいてもいいですかぁ?」


 朗らかな声。


 しかし、我らを見据えて浮かべたその笑みは……


 余ですら、ぞっとする程の冷笑であった。




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