《97》賢者の失態。





 時は少し遡る。


 ナナとリリィの二人が、エル・フローラ保健体育の授業を受けていた頃。

 東都パスラの中心、グラム伯爵の居城、その執務室にて。


「はぁい、こんちゃーっす☆」


 室内に、少女のお気楽声が突然響いた。

 中は剣聖ユリウスとグラム伯爵の二人が居たが、

 どちらも当然驚いた驚いた顔を浮かべ身体を強張らせる。

 特にユリウスはそれから、大きく顔を顰めた。


「……白昼夢じゃないよねぇ?」


 ユリウスがグラムに訊ねるが、すぐにそれは否定された。

 部屋の中央の空間が、ぐいっと割り開かれ、そこから長い袖が

 にょっきりと生えてきたためだ。


 果たして、ひょいっとその人物は飛び出してくる。


「やーやー、お久しぶりだねご両人☆ ちょっとお時間いーい?」


「ちょっと取込み中でぇ……日を、いや年を改めていただけると~……」


 賢者クロムの言葉に、ユリウスが引き攣った笑顔で応えた。


「おっとゴメン一瞬耳が遠くなったわ☆ もちろんいーよね? ね?」


「……うっす」


 言い知れない圧に押されて、結局頷く剣聖。


「つっても、グラムくんは席を外していただきたいんだよねー」


「……了解しました、賢者様」


 グラムは深く一礼すると、何も問わず言われるまま退室した。

 残されたのは、賢者と剣聖の二人。


 ユリウスはこの上なく気まずそうに伯爵が出ていった扉を見ていたが、

 やがて観念したように息を吐いて賢者に向き直る。

 まだ顔は俯いたまま、へらへら笑う。


「あ、あはは……そういやグラムとクロムって響き似てるっすよね、

 だからなんだって話なんで……す、けど……」


 気まずさを誤魔化すために適当な戯言を口にするが、

 しかしその言葉は途中から尻すぼみになっていった。

 表情も、急速に引き締まる。


 顔を上げて視界に入れた賢者の顔が、いつものニコニコあっぱらぱーな

 物ではなかったためだ。

 その表情は、そう――


「……話ってのは、“さきがけ”として、ですか?」


「そうだ」


 賢者とは、別の顔。


 それは、表向き人間領における最高権威であるはずの国王でさえ

 膝を畳む、“託宣の徒さきがけ”を冠する者達のまとめ役。


 シエラ=セントール師、その人の顔だった。


 かつて自分を扱きにシゴキ上げた、というか散々殺しかけてくれた大先生。

 彼にとってあの鬼畜教官の顔は、賢者クロムとしての彼女ではなく、この

 さきがけ・シエラ師であったのだから、一気に心身共に張り詰める。


「仕事がある。必要な情報を伝える」


「はい」


 おもむろに、彼女は導入もなく説明を始める。

 実に淡々と、要点だけを並べていく。


 話の内容はかなり突拍子もないものだったが、ユリウスは一切口を挟まない。

 ええ?も馬鹿な、も無い。それを言っているのがあのシエラ師だから。

 彼女の言葉は全てそのまま、ありのまま受け取って飲み込む。


 魔王の事も、勇者の事も、新たな魔王の可能性も。

 黙って聞く……がしかし。


 それに続く言葉には反応を返さずにいられなかった。



「今回の一連は、恐らく――“”が絡んでいる」


「蛇……それは、例の?」


 シエラが、静かに頷く。

 ユリウスは固唾を飲んだ。


 そして心中で、参ったな……とごちた。

 普段は軽薄そうな表情ばかり浮かべるユリウスの顔が、重く歪む。


 大先生が出てきた以上、ただ事ではないと覚悟はしていたが……

 思っていた以上に、スケールが大きいようだ。



 "蛇”。


 いつか賢者に聞かされた、それは。

 初代魔王、ひいては魔族種を産み落とした……

 始まりの、大罪人とされる。


 今では人の世に知る者のほとんど無い、半ば伝説上の存在だ。

 しかしそれは、確かに実在した……いや、するのだという。



「今から、エル・フローラへ向かう。

 当事者達を交えて、改めて状況を周知する必要がある。

 あとは……も」


「……はぁ。分かりました」


 ユリウスは溜息をついて、観念する。

 剣聖を冠していても、彼は元々荒事を好む男ではない。


「んで、元魔王の対処って? なんとなく不穏なモノを感じたんですけど」


「一時、封印する」


「え、封印? なんでまた、もう魔王じゃない上、割と良い子なんでしょ?」


 パスラで見掛けた、ナナの事を思い出すユリウス。

 邪気も害意も、確かにまるで感じなかった。

 故にこそ、あの時点では彼もナナの事を人間と誤認したのだ。


「それに関しても、後でまとめて話す。今は時間が無い。

 早速移動を――」


 言いながら、シエラが転送陣を展開しようとする。


 しかし。



「――これは」


 眉を顰めて呟くシエラ。


 転送陣が、開けない。


「……誰かな、こんな悪戯をするのは」


 シエラがどこともなく、尋ねる。

 ユリウスは無言で、腰に下げた柄に手を添えた。


 周囲の霊素濃度に問題は無い。

 シエラは試しに、指先に軽く低級霊術で光源を灯そうとする。

 問題なく行使できた。転送霊術のみを取り上げられたか。


 ……自分は腐っても賢者、霊術の最高峰。

 そんじょそこらの封印術で御せる程ヤワではないつもりだ。


 “蛇”――。


 シエラは、軽く舌を打つ。


 ユリウスも、微かとは言え珍しい師の焦りを感じ取り、

 彼女を護るように立って目を配せた。



「……見張られてた、ってコトかにゃ? それともたまたま?」


 普段の軽い口調で、シエラは近くにいるはずの何者かに声を掛ける。


 ……反応は無い。


 “蛇”自身か、それとも手の者か。

 分からないが、なかなかに困った展開になった。


 じっと気配を探りながら、相手の出方を待つが……

 しかし、一向に何の反応も無い。


「……やられたぁ」


 ぺろ、と唇を舐めて呟くシエラ。


 転送術式は、相変わらず発動出来ない。

 これは恐らく、文字通り取り上げられたのだろう。


 魔力および霊力反応は無かった。

 これはほぼ間違いなく、“固有能力ユニーク・スキル”によるものだ。


「小生としたことが……良くない。これは、だいぶ良くないですぞぅ」


 これがただの封印であったならまだ良い。

 しかし彼女には、これはそうではないという感触があった。


 恐らく、


 そうであるなら、まずい。

 "蛇”にしろ仲間にしろ、いつでもエルフ領へ飛べる。


 ……魔王を、ナナの元へ即座に連れてゆく事も。



「……坊さぁ、ここに魔封剣を持ち込んでいたりはするかな?」


 シエラは落ち着いて、最も重要な事をユリウスに確認する。

 それは、彼をエルフ領へ連れていかねばならない最大の理由だ。


「いや。今は中央王都に……」


「まぁ、そうだろうと思ってたよん」


 “魔封剣”……字の如く、魔に連なる者をその刀身に封じる大剣。


 封じた者の魔力を纏い力とする聖剣あるいは魔剣の一振りだが、

 今回はその強力な特性が肝だった。


 霊素濃度の濃いエル・フローラで、賢者・聖女・剣聖が力を持ち寄り。

 かつ魔王因子を失ったナナであれば十分に封ぜられる算段があったのだが……


 魔封剣の性能も、剣聖ユリウスが行使してこそ最大限引き出される。

 剣に疎い自分などが使って、失敗するわけにも行かない。一度でも。

 思惑を知れば、リリィが阻止しようとしてくる可能性が高い。



 ユリウスは、飛翔霊術が使えない。

 急ぎパスラの転送局から王都へ行き、魔封剣を回収してそこからまた

 転送局で西都へ向かい、早馬を手配したとして……

 それでも、大陸の西端に近いエル・フローラへは一連の行程を鑑みれば

 一日以上は掛かる。


 しかしともあれ、動かないわけにもいくまい。

 シエラはユリウスに言う。


「しゃーなし、急いで転送局へ向おっか」


「今すぐ?! ……はーい」


 若干戸惑うユリウスを伴い、部屋を飛び出していく。

 走るのは得意ではないのに……と苦い顔をしながら。


(しかしたった一手で、ここまでしてやられるとはねぇ。

 こりゃ、賢者返上案件かなー?)


 自嘲する。完全に慢心だ。


 しかしさておき、シエラは考えた。



 他者の能力を取り上げる"固有能力”か。

 もし、取り上げたものを自分が行使出来るスキルだとしたら……

 やはりこれは、なのだろうか?

 もしそうだとして……


 ナナとリリィの固有能力を欲しているのは、恐らくこの者だ。

 彼女らのそれを別個に取り上げないのは、一度に奪い保有できる能力に

 制限があるからだろう。


 きっと、新たに獲得するには現在保有しているものは捨てねばならない。

 そんなところだろう。でなければ、とっくに二人から固有能力を奪って

 我が物としているはずだ。


 なればこそ……。

 この者は、彼女達の能力を併せ持った者を手に入れようとしている。

 クロウも考えていたように……


 だとすればやはり、新魔王の権能の下にナナを置かせる理由は。

 彼女にリリィと子を成させ、それを手に収めるためか。

 ただの推論だ。だが、そう飛躍もしていない。


 “蛇”は、魔王を創出した。

 以降の魔王覚醒も、偶発によるものではない。

 彼奴が、意図して選出していると、シエラは識っている。


 新魔王は、“蛇”と対面している可能性が高いだろう。

 きっと“蛇”の意図に沿うよう、新魔王は権能を行使する。

 魔王の因子を取り上げる事も、“蛇”の意のままなのだ。

 逆らう事は出来まい。



 ナナの異能、そしてリリィの異能。

 その二つと、魔王禁制の


 “蛇”の……あるいはまた別の誰かかもしれないが、

 そこにある意図を、シエラは確信めいて予測していた。



 “地獄”を――創り出したいのだ。


 生きる者の目に見える、

 地獄を。



 シエラは分かっている。

 もしその意図が真実だったとして、ナナやリリィがそれを知った時。

 彼女らが、それを拒否しない可能性が低くない事を。


 シエラでさえ、実は迷っているのだ。


 本当にそうなら、この意志を止める必要が……

 果たして本当にあるのか? と。


(確信を持つまでは、やっぱりナナぴゃんは先に確保したいなぁ……)


 えっほえっほと走りながら、彼女は何となく天を仰いだ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る