【96】誰にも渡さない。





 あの後、フローリアに診てもらいに二人で部屋を訪ねた。

 そこで下された診断は、まぁ、所謂……“月のもの”じゃった。


 フローリアとそれからフレイは、初めてだと言うリリィに、

 めでたい事だと励ましておったが、リリィは非常に落ち込んでおった。


 症状自体の内容や体の不調の故だろうと余も心配で声を掛けたが、

 リリィはゆるゆると首を振って否定したのじゃった。


 とはいえ平気って事はあるまいと、手など取ってみたのだが、

 その時……ぽつりと、リリィが口にした。


「……また……おあずけ」


 ちっちゃな声で言って、ぎゅっと余の手を握りかえす。

 少し驚く位、それははっきりと悔しさを感じさせるものだった。


 余をちらりと見たその目に、とても未練が滲んでおるように見えたのは

 余の自意識過剰……ではないと思う。


 不謹慎を承知で正直に言うが、もしそうなら……

 余は、とても嬉しいなと思ってしまった。



「あんま立場的にカミサマの悪口は言いたかねーけどよ……これに関してだきゃ、

 マジで200発くらいぶん殴らせていただきてぇよな」


 壁にもたれたフレイが、苦い顔をしてなかなかラディカルな事を言うとる。


「しかしそっか、魔族はアレがねーんだよな。シンプルに羨ましすぎるわ。

 オレもなんとか魔族に転向できねーかな……」


 言って、フレイが余をじーっと見おる。

 そんなん言われても……な、なんか肩身狭くなってしまう。


「そ、そんなにか」


「個人差はありますけれど……フレイは毎回、とても辛そうですから」


 フローリアが、苦笑して言う。


「そなのか……」


 むぅ……そういうのと無縁な立場から安易に「大変じゃのぅ」と言えぬ……。

 しかしそんな大変なものをリリィもこれから毎月……


「……余はその、どうしてあげたらいいんじゃろのぅ?」


「まぁ、どうもこうもなぁ……こればっかりは文字通り生理現象だしよ。

 求める対応も時によってまちまち、とりあえずそういうのがあるって

 最低限の理解はしといてやんなよ、ナイーブな話だけどよ」


「ええ、意識しすぎず、少し優しくしてあげて下さい」


 んむ……しっかり気に留めておこう。

 ずぅっと隣におるつもりなんじゃからな、余は。


「余にして欲しい事があったら、なんでもするぞ」


 余はリリィの手を軽く持ち上げて言った。

 それに、ほんの少し笑って返す。


「ふふ……何でもするなんて簡単に言っちゃダメって、

 ナナが言ったんだよ」


「あ……い、いやまぁ、そうじゃけども。

 こほん、出来ることは遠慮なく言ってくれ」


「ん……大丈夫、ありがとう」


 にこ、と微笑むリリィ。

 するとフローリアが余達に向けて言った。


「では、少しリリィ様にお渡ししたいものや簡単なお勉強があるのですが……

 少々センシティブなものなので、ナナ様は一度外していただけますか?」


「う、うむ? ……分かった、では余は部屋に戻っておるよ」


 言ってリリィの手を放そうとするが……きゅ、と握ったまま

 彼女が余に窺うように訊ねてきた。


「……あとで、お部屋に行ってもいい?」


「もちろんじゃ。待っておるよ」


 余の言葉に頷いて、リリィは手を放した。



 …………


 ……



 すっかり夜も更けた頃、余の居る部屋のドアがノックされた。

 現れたリリィは、遅くなってごめんね、とすぐに詫びてくる。

 もちろん、気にせんでよいと返した。


 余とリリィは、二人並んでベッドの縁に腰掛ける。


「その、身体は……大丈夫かの。あまり無理するでないよ」


「大丈夫。お話の後でフローリアさんがよく効く薬草を出してくれて……

 あと、あったかい豆のミルクも作ってくれたの。

 今はだいぶ、落ち着いてるよ」


「んむ……なら、良いが」


 そこから、しばらく会話が途切れた。

 夜の静けさも、エルフ領では特にしんと際立っておる。


 けれど、そんな沈黙も……居心地の悪さは無い。

 肩が触れるくらい近くに寄り添って、お互いを感じておった。


 やがて、揃えた膝にちょこんと載せられたリリィの手に、

 余はそっと自分の手を乗せる。

 すると彼女は手のひらを返し、手を繋ぐように握ってきた。


「……すこし、もどかしい」


 余の方を見て、リリィが小さく呟く。


「もどかしい、とな?」


「ずっと、通せんぼされてる感じというか……」


 遠回しな、リリィの物言い。


 けれど、あんぽんたんの余でも、意味は分かる。

 そして、その意味に余は少し嬉しくなる。


「ふふ……」


 子供のように、少し唇を尖らせるリリィの顔に、余は少し笑ってしまう。


「もう……なんで笑うの」


「いや、うむ……嬉しくての」


「うれしい?」


「あぁ。余だけでは、ないんじゃなって」


 小さく首を傾げるリリィ。


 さっき脱衣所で触れられた感触を思い出す。

 そこから微かに、余はリリィの気持ちを感じ取った気がした。


 余だけが求めているのではと、心のどこかで思っていた。

 でも、そうじゃないのかも知れない。


 お互いにきちんと言葉を交わすのが、大事。

 そう、余はもう一度思い出す。



「余はの……リリィをけっこう、えっちな目で見とるんじゃぞ」


 ストレートに言ってしまう。

 でも不思議と、いつもより胸は落ち着いておった。


「――ふぇ……?!」


「もっとこうして……手を握ったり、その……ちゅーもいっぱいしたい」


「……う、うん……」


 余の突然の告白に、びっくりした顔をするリリィ。

 でも、俯いたり目を逸らしたりはしない。


「もっと、すごい事も……リリィと、したい。

 リリィは……わたしと、したい?」


 さすがに声が小さくなっていったけど、

 余は正直に伝えて、そして尋ねた。


 リリィは、にっこりとして答える。


「うん……私も、ナナとしたい」


「……えへへ。そっか」


 ……


 ……嬉しい。


「良かった。私だけじゃ、なくて……」


 リリィが、少し潤んだ目をしてはにかんで言った。

 胸がじんわり温かくなってゆく。


「ねぇ、リリィ」


「うん」


「目……閉じて」


「……はい」


 リリィが目をつむる。

 身体を余に向けて、少しだけ顎を上げてくれた。


 手を握ったまま、余は顔を近づける。

 そして目を閉じて……


 二人の唇を、合わせた。


 音を立てず、静かに。


 すぐに離れたりしない。

 はじめてのキスなんだから。


 この感触を、ずっと覚えておくために……

 ほんの少し、そのまま。


 …………


「…………」


 …………


 ゆっくり、離れる。


 目を開けた。

 リリィもほとんど一緒に目を開く。


「……ふふ」


「……えへへ」


 二人で、照れ笑い。

 でも見つめ合ったまま。


 余の口から、自然と言葉がこぼれる。


「大好き、リリィ」


「私もナナが……大好き」


 伝え合って、今度はリリィから唇を寄せる。

 もちろん余はそれに応える。


 重ねてから、リリィは余の下唇を軽くついばむ。

 ちゅ、と頭が痺れるような小さな音。

 余もおかえしに、囁くように唇を動かして応じる。


 感触も、吐息も、ぜんぶ……夢の中みたい。


 …………


 それから明かりを消して。

 二人で薄着になって、一緒にベッドに入った。


 ただ、身を寄せ合うだけで、それ以上の事はしない。

 求めようか、と思わなかったわけではもちろん無い。

 リリィの気持ちも、余にいっぱい伝わってきた。


 でも、今日は自分を押し留めることにした。

「大丈夫なのに……」とリリィは言いかけたけど、それ以上言わない。

 その代わり、余に深く寄り添って、身体を預けてきた。


 温かくて、柔らかい。


 とても、幸せ……


「これからも……一緒にいてね」


 リリィが言う。


「うん……きっと」


 きっと、大丈夫。


 何が待ち受けていようと。

 何があろうと、もう諦めない。


 この幸せは、誰にも渡さない。




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