【95】緊急信号ふたたび。





 晩ごはん、美味しかったのぅ。


 エルフの里の郷土料理を出してくれると聞いて、なんとなく余は超自然万歳の

 オーガニック飯、みたいなのを想像したのじゃが。


 普通に油も薬味もバッチリ使うし、むしろお肉料理とかめっちゃパンチの効いた

 ジャンキーな味付けであった。偏見はしょせん偏見に過ぎんのぅ。


 ラナンキュラスが見てたら「はしたないですわ!!」とか言われそうなくらい

 あれもこれもお腹いっぱい食べ、余は腹ごなしに少し歩こうかと宿場から外へ。

 夜風を受けながら、ぐーっと伸びをする。


「お散歩ですか?」


 不意に呼ばれ振り返ると、宿のデッキに出てきていたスラルが壁に寄り掛かり、

 風に当たっておった。


「腹ごなしに、軽くのぅ」


「リリィ様と行かれては?」


「い、いや少しじゃし、すぐ戻るでの」


「そうですか」


 言って、しかしスラルはまだ余を見たまま、少し黙った。

 長い付き合いじゃからの。何か言おうとしておるな、と分かるので、

 余はそのまま待ってやる。


 やがて、口を開いた。


「……良かったですね」


「ん……?」


「望まれていた恋が、実って」


 スラルが、まだ無表情ながらどこか柔らかな顔で言った。


「……うん」


 たぶん、スラルのその言葉は、リリィと出会ったばかりの頃でなく。

 かつて、余が短刀を己の胸に突き当てた、7年前のあの日の……

 幼い余の言葉に向けたものじゃろう。


 恋をしてみたい。

 そんな事を言ったのを、余は思い出す。


「……ありがと、スラル」


「私は、なにも」


「ううん、スラルのおかげ」


 余はデッキの柵越しにスラルに近づいて、素直な気持ちで言った。


 スラルがあの日、来てくれたから。

 余は明日という日に、仄明かりのようでも光を探せるようになった。


 ……貴方のあの言葉は、呪いなんかじゃなかったのよ。


「スラルにも、素敵な想い人が現れると良いのぅ」


「余計なお世話です」


 言って、またスラルは微かに微笑んで見せた。

 そして、余の方にやって来て、言う。


「まだ、きちんと言っていませんでしたね」


 ぽん、と柵越しにスラルは余の頭に手を乗せる。

 そして、ゆっくりと撫でた。


「おかえり、ナナ」


「……うん。ただいま」


 あらためて、実感した。


 そうじゃ。


 余は、帰ってこれたんじゃな。



 …………


 ……



 穏やかな心持ちで、余は短い散歩をした。

 どんな意図や意志があれ、こうして余は歩いておる事。

 父や母と、スラルやキューちゃんとまた過ごせる事。


 奇跡のような今日を、噛みしめて歩く。


 そして、もちろん……


「おかえりなさい」


「……リリィ。ただいま」


 この子とこうして、一緒に居ても良い事。

 余は、とても幸せじゃ。


「ねぇ、ナナ……いいかな?」


 宿場の玄関前で余を待っていたらしいリリィが、なぜだか小さな声で

 余に何かを訊ねてきた。


「ん、なんじゃ?」


 とても穏やかな心持ちの余は、微笑んでそれを受ける。

 リリィが、少し躊躇ってから、言った。


「あの、ね」


「うん?」


「……宿場にお風呂、あるんだって」


「うん。……ん?」


「よかったら、一緒に……入ろう?」


 …………


 ……ほ?


「ほぁ?」


「……だめ?」


 …………


 ……穏やかな川の流れのようだった余の心は、


 一気に瀑布に突入して吹っ飛んだ。





 …………


 ……メーデーメーデー。


 えー、こちら、元魔王様?

 脱衣所から緊急信号?

 えらいこっちゃです?

 応答願います?


「…………」


 余もリリィも、お互い背を向けたまま何も言わない。


 ただ、静かな脱衣所で後ろから聴こえる微かな衣擦れの音が……。

 たかが音なのに、なんでこんな……どきどきしよるのか。


 以前も、一緒に風呂に入った事はあったが……

 あの時と今では、大分事情というか様相が違う。


 なんというか、お互い色々意識した状態なわけじゃし……


 はぁ、どきどき……


(ナナよ、逸るな……おちつくのじゃ……)


 ふぅー……


 深呼吸も、震えちゃっとるわ。

 ぷるぷるする手で、余は外套に手を添える。


 余の召し物は、魔力で編んだお手製じゃ。

 本来はちゃんと既製品を纏っておったが、急成長したものだから

 軒並みサイズが合わんくなってしまった。

 なので、ちょいと念じてやればハイこの通り、真っ裸じゃ。


 うぅん……しかし、ひりひりしとるのぅ。

 結局一日中付けとらんかったから、さんざ擦れて……

 せめてもっとぴっちりした肌着にすれば良かった。


 ……あ、そうじゃ。


「の、のぅリリィ――」


 声を掛け、余は振り返る。

 すると、


「――っ!!」


 なんか、下着姿になったリリィが、余の方をガン見しておった。


「ごっ、ごごごめんなさい!?」


 慌てて後ろを向きおる。

 なんでか知らんが、余も咄嗟に……腕で隠しそうになった。


「な、何謝ることあるんじゃ、こんなお子様ぼでー減るもんじゃなし??

 あ、今はお子様じゃないか?? いやそんなんどうでも良い――」


 余も何か早口でわたわたしてしまう。

 お、落ち着け、余はお姉さんじゃ堂々とせんか。


「あの、ところでリリィ、ちょっとそれ貸してもらえんかの?」


「えっ……それ?」


「そ、その、胸のやつ」


「えと……これ、を? ど、どうして?」


 余の要求に、当然戸惑うリリィ。


「いやの、余ってハイパー成長期(?)を迎えたじゃろ。

 で、余って付けた事も持ってた事も無いんじゃよな。

 だから、魔力で作り出そうにもイメージが付かんくて……なので……」


「あぁ、なるほど……ね? うん、いいよ……」


 言って、後ろ手に回してそれを外す。


「私も、こんなちゃんとしたの付けられたの最近だから……

 痛いよね、はいどうぞ」


「す、すまん……にょ」


 ななめ上辺りに視線を逃がしながら、受け取る。

 そして両手に持ったそれを掲げて、ナナちゃんアイでスキャン開始(?)。


 ふむ……


 ……これが、リリィの……胸を……


「…………ほ、ほぅほぅ」


「うぅ……ちょっと、恥ずかしい」


 リリィの消え入りそうな声で、余はハッと我に帰る。

 絵面だけ見たら、しげしげ他人の下着をねめ回すただの変態じゃぞ……


 しかし、これは已む無くの事なのじゃ。

 決してよこしまな気持ちは……少ししか、無い。

 すこぉしじゃ。


 で、余はおもむろに、それを自分の胸に宛てがう。


「――ふぇ?? つける、の……!?」


「す、すまん……イメージをモノにするためなのじゃ……!!

 やましい気持ちは無い、信じてくれぇ」


「うん……大丈夫、えぇと、付け方は分かる……?」


 リリィが余のそばに寄り、胸に手を伸ばす。

 片手を持ち上げるように添えて、


「…………」


 そこで、ぴたりと止まる。

 見ると、肩までびっくりするくらい真っ赤じゃ。


「ご、ごめん」


「い、いいよ。お願い、そのまま教えて」


 余も急激に恥ずかしくなってきた……

 下着を持つ手が微妙に震えよる。


「サイズが……ぜんぜん合ってない」


「か、感じだけでも分かれば……多少無理くりでも、付けられんかの?」


「うん……ええと、大きい人はたぶん、こうやって……

 中に手を入れて支え――」


 もぞ。


「――にゅ!?」


 ウサモフの時みたいな声出た。


「ごっ、ごごごごめんなさい!?」


「ぃいや、すまん、なんでもにゃいのよ?!」


 咄嗟に二人して謝りあう。


 は、はじめてヒトに触られた……

 なんじゃ、今の感覚は……


「え、えぇと……こんな感じ、で……」


「……~~!!」


 たぶん、に触れないように気を付けつつ。

 リリィが震える手で、もぞもぞ余の胸と格闘しとる……


 余はもう、くすぐったいのか何なのか……

 とにかく変な声が出んように力んでさらに真っ赤になってゆく。


「こ、これで……後ろ、止められる? きついと思うけど……」


「う、うむ? よい……しょ、」


「難しかったら、一度前で留めてから……」


「い、いや多分留まった、と思う」


 たしかに、かなり無理くりではあるけど……

 なるほど、こういう感じなんじゃな。


 ぱち、ともう一度外しリリィにそれを返して、

 余は試しに魔力を編み編みしてみる。


 すると、リリィとお揃いの、少し大きめのものが装着された。

 少し収まりが良くない……ただ羽織るだけのものを出すより、

 ちょっと繊細なイメージが必要のようじゃのぅ。


「ま、まぁこんな感じじゃ。 ありがとの、たすかる」


 礼を言って、リリィを見る。


「…………」


 ……? なんか、リリィが余の胸を凝視しとる。


「リ、リリィ?」


 どした? と尋ねるが、リリィは何も言わない。

 すると喉を“こくん”と鳴らした後、おもむろに余の背に手を回す。


 そして、ぷちん、と今装着したばかりのそれを外してしまう。


 ……ほ、ほぁ??


 するり……と取り上げられると、余を離れたそれは解けるように消えてしまう。


「リリィ? ……っ!!」


 また露わになったそこに、リリィが震える手を添えた。

 余の肩がぴくっと跳ねる。


 そして余の目を見てから、その視線を僅かに下へ。


 ……たぶん、余の唇を見た。


「…………」


 何かを訴えるような切なげな表情に、おぼこい余でもさすがに分かる。

 これはあれか……すいっちが、入ったというか。


 朝は、ほっぺたに。


 そして、つぎは……。


 いや、


(もしかしたら、その先……も……?)


 急に頭がふわふわしてくる。


 リリィが、目を閉じた。

 余を待っている。


 ……


 よ、よし。

 覚悟を決めるぞ。


 目をつむり一度下を向いて、最後に気を落ち着けようと息を吐く。

 そして、目を開けて顔を上げると――

 

 ……


 ……リリィが、目を開けてなんだか、顔を顰めておった。


 なんじゃ? なんか、辛そう?


「ど、どうした、リリィ……?」


「え、ぁ、うん……な、なんでもない」


 言いつつ、リリィは余の胸から手を放し、お腹を抑えた。

 明らかに苦しそうじゃ。


「いや、でもなんか辛そうじゃぞ……?」


「……うん、なんだろう急に。

 ……た、食べすぎたかな……ちょっと、お腹が」


「む、いかんの。無理するでないぞ」


 余はちょっと……いやかなり残念だったけど、リリィを心配する。


「ご、ごめん……こんな……」


「よい、機会はその……いくらでもあろう?」


「うん……。……っ」


 申し訳なさそうにしながら、やはり苦しそうじゃ。

 小さな痛みではないようだの……。


「服を着よう。お手洗いか、それかフローリアにお薬でも貰おうかの」


「うん……ごめんね、ナナ」


 お腹を抑えながら、しょんぼりするリリィ。

 こんな時こそ、パートナーがしっかりせねば。


 余らは衣服を着直して、脱衣所を後にした。


 ……


 ……ちなみに。


 リリィの名誉のために先に述べておくが、それは食あたりではなかった。

 もっと、本当に已むを得ぬ……


 人間の女の子の、非常に繊細な事情のためであった。




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