【94】ナナ様、むよむよを抑える。





 すっかり、あの赤くて足がいっぱいある軟体海洋生物ばりに

 ふにゃんふにゃんに成り果てた余は客室から出る。


 それと同時、少し離れた所でも扉が開き、申し合わせたようなタイミングで

 中からリリィとフローリアの二人も出てきた。


 言うまでもございませんのじゃけど、余はキョドるよね。


「……っお、お主らも話は終わったのかにょ?」


「う、うん?! 終わった、です」


 余に負けんくらいリリィもなんか、ぽわぽわしとる。


 よ……よもやお主もなのか?

 お主も、なんかいたしたのか……っ!?


 ――ま、学びは大事よね、うむ!!


「では、このまま外へ行かれますか? それとも――」


 フローリアがやけにニコニコしながら言う。


「少し、お二人きりでなさいますか?」


 その言葉に、なぜか背筋が固まる余とリリィ。

 なんじゃろ、聖女の笑顔がやけに妖しく見える。


「あァ……いいんじゃねぇか? オレらはテキトーに茶でも飲んでるからよ。

 ごゆっくり……いいんじゃないの? くく……」


 フレイもなんか含みのありまくる笑みを向けおる。


 お、お主ら生暖かい目で何を……


「まっ、まだお日様が出とる内からそんな……のぅリリィ?!」


「は、はい!? そうだね……?!」


 二人であわあわする。

 それを見て悪い顔でニヤリとしおるフレイ。


「へぇ? 明るい内だとよろしく無いお話なんてあんだな。

 ちょっと分かんねぇや……参考までにどんな話かお訊ねしてもいーかぁ?」


「ほぁ!? いや、そにょ、べべ別にぃ? なんもありゃしまへん??

 にょほほ、余ったら何を言うとるんじゃろうね!!」


「……ぁぅ」


 わたわた弁解する余、小っちゃくなっちゃうリリィ。


 くそ、お主ら……乙女の純情で面白がりおって、それでも聖女とそのお付きか。


「――えぇい、いいから出るぞ!! 我々は今気を抜いてばかりおれんのじゃ、

 今後についてスラルとも少し話もしたいしの。のぅリリィ」


 言って、リリィを見る。


「……あっ……うん、そう……だよね」


 ……なんかちょっとがっかりしてる?


 あれ? リリィさん?


 諸々が落ち着くまで、お預けなんじゃよね?

 む?


 そんな顔したら、余さん、なんか期待しちゃうけども??


「ふふ、ごめんなさい。お二人がとても初々しくて可愛らしくて、つい。

 分かりました、恐らく執事さんはあそこにいらっしゃると思いますので……

 それでは参りましょうか」


 フローリアが言って、階段の方へと歩いてゆく。


「まぁ、焦るこたねぇわな、ガンバレよお嬢」


 小声で言い、ポンと余の肩を叩いてフローリアに続くフレイ。


「くぅ……。ふん、では行くかリリィ」


「うん……」


 何だか疲れを感じつつ、余はリリィを見る。

 彼女は何か、ネコのように指を丸めて、自分の爪?を見ていた。

 余の視線に気づいて、慌ててその手をパっと下げる。


 ……?





 宿場を出て、再び来た道を辿って歩く。

 青草の匂いを乗せた風が心地よいのぅ。


 霊素に満ちた中を歩いているにも関わらず、それすらほとんど意識せん程

 このエルフ領の空気は澄んでおってむしろ快適でさえある。


 リリィはなおの事なんじゃろう、そよぐ風に目を細めて気持ち良さそうじゃ。

 あぁ、風になりてぇのぅ。


 余がちょっとアホな事を考えておったら、視線に気づいたリリィが少し視線を

 下げて、余の手を見た。


 なんじゃろ、と思って視線を追って自分の手を見る。

 すると、その手にそっと、リリィが指を添えてきた。

 恐る恐る、といった感じに。


「…………」


 顔を上げると、ほんのり頬を染めて、はにかむリリィの顔。


 ……余、口元がムヨムヨしてしまうのを必死に抑える。

 ちょっとでも緩んだら、たぶんめちゃくちゃ気持ち悪い顔するぞ。


 それを、父兄かなんかのように微笑ましく見る視線には気付いとるが……

 んなもん、もう……好きにさせてやるわ。

 貴様らだって、初々しい時節があったじゃろーに。


 見せつけるように、余からも指を絡めてやった。

 これだけで、胸がキューってなりよるのに、これ以上があるという。

 冗談抜きで、余は大丈夫なんじゃろか……? ぽっくり死なない?



 余が割とガチめに心配しはじめておると、道すがら、向こうから歩いてくる

 スラルとルーラリアの姿が見えた。


 ふむ、女王との謁見は済んでしまったようじゃの。


「……お話は終わったのですか?」


 スラルは言いながら、余とリリィの間あたりを見る。

 そして編まれた指を見て、ふっ……と僅かに微笑んだ。


 おい……朴念仁バトラーまでそんな顔するんか?

 ミリ単位でないスラルの笑顔なんて、そう見るもんではないぞ……


「う、うむ……まぁの。貴様もか?」


「はい。皆様の元へ戻ろうかと思っておりましたが」


「そうか、ふむ……ではどうしようかの、このまま引き返してもいいが……

 まぁここは歩いておるだけで中々気分が良い。少し領内を散歩なんぞ

 してから戻るでも良いかの?」


「あぁ、好きにするがいい。女王様がすでに領内の同胞達に向けて、

 お前達の事を周知されている。あまり目立って欲しくはないがな」


 余が見て訊ねると、ルーラリアはそのように了承した。


「んむ、大人しくテクテク歩くだけじゃ。リリィも……それで良いかの」


 余の言葉に、リリィは頷く。

 そしておもむろに、もう少し指を深く絡め直してきた。


 ぅう……他の者の目がなかったら、抱きしめとるかもしれん。


 いや、余へたれだから無理か。

 自分で思い直してちょっと情けなくなる。



 ともあれ、余たちは彩り豊かなエル・フローラの自然の中を、

 たまにフローリアの思い出話などを聞きながら、ゆっくり歩いた。


 美しい植物や愛らしい小動物などが目に楽しく映ったが、

 正直意識の半分以上はずっと、しっとり汗ばんだ左手に持っていかれとった。


 ……ずっと、こうしていたいのぅ。



 しみじみ思っておったが、この時まだ余は想像もしていなかった。

 このひと時は、これからすぐやってくる大イベントの、序章に過ぎぬ事を。


「わぁ、すごい波だぁ♪」と無邪気にはしゃいでおる横から、

 さらにとんでもない大波が押し寄せておるのに気づかないような……

 海辺の子供のように、余は呑気であった。


 波濤は、すぐそこまでやってきておった。

 夜を迎え、晩飯でエルフ領の郷土料理に舌鼓を打った後にそれは到来した。


 その大波がやってくる海の名は。


 ……"脱衣所"であった。




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