【87】くねくねしたり、もぐもぐしたり。





「とりゅあえず顔洗ってくりゃ……!!」


 しぱっと右手を上げてカミカミで述べると、余は足早に部屋を出た。


 なんじゃ……あの心地良くも長居に耐えられんような

 甘酸っぱい空気は……


 洗面台の鏡の前に立ち、己の顔を見る。

 案の定ほてほて(火照っとるの意)じゃ。


 まったく……"元”となったとは言え魔王様がなんと情けない。

 たかがそんな……ほっぺたに、ち、ちゅーくらいでおまえ。


(そうじゃ。考えてもみぃ、余らはすでにお互い裸も見とるし、

 なんなら触れ合っても――)


 …………


 触れ……


 ……いつぞやの、風呂での事を思い出す。

 胸の上辺りに蘇る、あの感触……


 ……


(……ピャーーーーーー!!!!)


 あかーーん!!

 思い出したらあかん、映像を再生すな脳みそ、蘇るな感触!!

 煩悩退散!!煩悩退散!!


 必死こいて、ぴんくに染まっていく頭の中をシェイクする余。

 うおぉぉぉぉ……


「……何くねくねしてるの?」


「くねくねおねーさん?」


 すると不意に後ろから声を掛けられ、余は心臓破裂するかと思う。


「――きゅわ?! なんでもないよ!?」


 高速で振り返ると、そこには双子姉妹の姿があった。

 姉のネルと、妹のリルじゃ。


「かお、まっかよ」


「まっかで、くねくね」


 同じ声が、同じような二人の顔から発せられて奇妙な響きで耳に届く。

 薄茶色の髪色も髪型も背格好も、もちろん顔立ちも鏡像のように瓜二つじゃ。


 いつもどこか眠たげな顔をしとる姉と、瞼をぱちっと開いた妹。

 二人の区別は普段のその表情と、微かな瞳の色の差異だけ。


 姉のネルの瞳は両目とも茶色。

 妹も右目は同じ茶色だが、左目だけ若干赤っぽい色をしておる。

 つまり妹が左目を閉じて眠そうな顔をしただけで、

 ほとんど姉と区別はつかん。


「ほ、ほんと似とるのぅ、お主ら。まぁ当たり前じゃろうが」


 話を振って、余の挙動不審を誤魔化そうとする。

 双子はお互いを見合って、頷き合う。


「うん、似てる」


「でも、色々違う」


「……目の色くらいしか、分からんのぅ」


「目の色も違うし」


「見えないとこも違う」


「ほう?」


 見えないのでは区別の役には立たんが。

 何気なしに、聞いてみる。


「例えばどこらへんが、どう違うのかの?」


「……おねーさんの」


「……えっち」


「えぇぇ……!?」


 なにがー?

 ていうかやめてくれ、今の余にそのワードは効く。


 あぁあ言わんこっちゃない、また風呂場の映像が再上映されそうに……!!


「……なにか、想像してる?」


「……えちえちおねーさん」


 すっ、となぜか両腕で胸を隠すようにする双子。

 やめてぇ、余計に意識して映像が鮮明にぃ……!!


「……何してるの、あなたたち? まおうさ……ナナ様も」


 また別の声が届き、そちらを見るとミナが立っていた。

 眉をひそめて我らを見ている。


「いやっ、別に、顔をの? 洗おうとしてただけじゃて?」


 にょほほ、笑ってごまかす。

 はぁ、とミナは不思議そうに首を傾げた。


「それより、お姉ちゃんに言われたんだけど」


「……!! リ、リリィが何か――」


 そ、その名前を出されるとまた再放送が――


 ……ってもうええて。

 落ち着け、ナナ。


「うん、ナナ様、水出せないでしょ?」


「……へっ」


「お水出すの、ナナ様はたぶん無理だろうからって」


「えっと……あぁ、そういえばそうじゃの」


 ここは人間領、人間の街で人間のための住居じゃ。

 例えばこの洗面台では蛇口から水を出すことが出来るが、

 それは備え付いた霊晶石を用いて利用するもの。


 当然、余やキューちゃんら魔族には、霊晶は扱えぬからの。


「そじゃった、失念しておったのぅ。では誰かに頼まねばならんな」


 ではリ、リリィに頼むか……しかし……

 いや気まずいとかではないんじゃけど、なんていうか……

 くねくね。


「なにそわそわしてるの? はい、どうぞ」


 ミナが洗面台に近づき、据えられた霊晶石に手を添える。

 晶石が反応し、蛇口から水が出てきた。


「お、おぉ、ありがとの」


 まぁそりゃそうじゃ。

 霊晶石を起動するだけなら、法力が使えなくとも問題は無い。

 霊素を宿した者であれば良いのだ。

 晶石に魔力や霊力を込めるのに、法力が必要なだけでの。


「これには必要ないけど、実は法力だって少し使えるようになったのよ?

 ベルさんが、少し教えてくれたの」


 ほぅ、そうか……ベルに。

 そういえば、あやつはまだ魔族領におるんじゃろうか?

 ブルームハウスの事で魔王城に半ば常在してもらっておったが……

 リリィが覚醒してからは、彼女でも霊晶を運用できただろうし、

 この子らも法力の素養があるみたいじゃしな。


「ベルさん、特区が心配だからって移っていったの。

 でも半月くらい前にパスラの街の自分の家に一度戻ったみたい」


「そうか。まぁ自分の家というか医院を放ったらかしにさせてたからの」


 ……リリィがぶっ壊したらしい街の東側に彼女の家があったと思うが、

 無事だったんじゃろか……ちょっと心配。


「どうぞ、お顔洗うんでしょ?」


 ミナが身体を避けてくれたので、改めて鏡の前に立つ。

 洗面器に貼られた水を見て、しかしふと思った。

 ぴと、と先程リリィの唇が触れた頬に指を添える。


「……のぅ、洗わんとダメかの?」


「え……当たり前でしょ、せっかく綺麗な顔なんだから横着しないで」


「横着なんて、むずかしー言葉使うのぅミナ。賢い賢い」


「ごまかさないで、早く洗って。朝ご飯、みんな待ってるんだよ」


「……はぁい」


 しぶしぶ、余は水を手で掬う。

 はぁ、もう洗い流すのか……こんな残酷な話ある?


(ふふ、あとで……またちゅーしてもらおうかの……)


 若干きもいか、余?



 …………


 ……



 場を移しここはダイニングルーム。

 父を除いた面々が席に着き食事をとっている。


 余も、ちぎったバターロールを口に運んでもぐもぐしておる。

 魔王でなくなったからか、普通にお腹が減るのじゃ。


「みてー、とまとまとー」


 ピッピがトマトを両手で摘んでくっつけて何やら言っとる。


「こうしたら、とまとまとまと」


 にゅ、とリルがもう一つトマトをくっつける。


「おみごと」


 姉のネルが感心する。


 ……なぞじゃ。


「食べ物で遊ぶんじゃないの」


 年少らをミナがたしなめる。

 それを、にこにことリリィが見ていた。


「ぽけーっと口開けて、行儀悪いですわよナナ。お食事に集中なさい」


「ほ? あ、ごめんなさい」


 子供達を見ているリリィを、さらに余が見ておった。

 たぶん、呆けた顔で。


「まったく……これから大事な御用を足しに行くんですのよね?

 大丈夫ですの、そんなボケーっとしていて」


 呆れ顔でキューちゃんが余を睨む。

 そしてそのまま余の顔を眺めながら言う。


「あなた……お顔、水で洗っただけじゃありませんの?

 あそこ、洗顔剤のひとつもなかったでしょう?

 あとで私の私物を貸して差し上げますわ」


「いや、別にいいが」


「おバカ、せめて保湿だけでもなさいな!!

 恐らく貴女もう魔王のズルっこボディじゃなくなってますのよ、

 これからは人並みにケアなさらないと」


 ずるっこボディとは。

 まぁ、キューちゃんの言も一理ある。


 余も年頃の乙女、見てくれもそこそこアダルティ(?)になったし、

 気を配っていくか……。


 リリィに捧げる前に、しっかり磨いておかねばだしの……

 ふふ、ふふへ……


「……何ニヤけてますのこの子」


 キューちゃんがなんか引いとる。


 咳払いして誤魔化し、余はスラルの方をちらりと窺う。


「…………」


 音も立てず、スープを口に運んでおる。

 余の従者のくせに、なんでそんなお上品に振る舞えるのじゃこやつ。


(……いや、余の従者のくせにって、自分で言うな)


 ひとりで己にツッコむ余。


「まぁま、お仕事はまだこれからなんだし? リラックス、結構なことよん☆」


 そして当たり前のように一緒にテーブルを囲む賢者が言う。


「……今更じゃけど、曲がりなりにも上級魔族が集まっとるとこで、

 貴様よくそこまで当然のように打ち解けられるのぅ」


「誰にでも分け隔て無く、ラブリーでフレンドリー。それがクロムちゃん!!

 相手に心を開いてもらうには、まず自分がオープンにならなくちゃね☆」


 聖女と剣聖相手の云々を聞かせた後で、よく言えるな?

 そんなら一人で行け、と言いたかったが面倒なのでやめた。


 ほーらフレンドリィ☆ と賢者は隣のピッピに寄り添い頬ずりしとる。

 ピッピはニコニコ応じるとるが、頭に“?”が浮かんどるのが見えるわ。

 そもそもピッピは魔族ではない。


「それで、まずはどちらからアプローチされるのですか?」


 スラルが色々無視して問う。


「どっちでもいいんですけどぉ、まぁまずは聖女ちゃんからにしよっか☆」


 てきとーな感じで答える。


「あ、ちなみに大事な事なんだけど、スラピョンさぁ」


「……私ですか?」


 スラルが眉を微かに動かして返す。


「ナナぴゃんもだけど、付き添いの際は“擬態ミミクリー”をよろしくねん?」


「……まぁ、それはの。分かっておるよ」


 当人らに会う際はともかく、そりゃ人間領を魔族の姿のまま闊歩はまずい。

 当然の事じゃな。


「うん、特にこれから向かうトコは、魔族バレは絶対厳禁ですからなー」


 ほむ?


「なんじゃ、含みあるの。そういやそもそも、フローリアとフレイの二人は

 あれから何処におるんじゃ? 貴様が連れ去ったわけじゃが」


「エルフの里」


「へぇ……」


 ……ん?


「……エルフのさと?」


「そっすよぅ。キレーな所なんだよ☆」


「なんでまた、そんなとこに」


 エルフ族の領分なんて、魔族どころかエルフ以外の人間族でさえ、

 おいそれと立ち入れない……ある種の聖域じゃぞ。


「まぁ、結局聖女ちゃん達ってあれから半ばお尋ね者ちっくだからねー。

 一番人間の手が入りにくいし、且つフローリアたんはエルフって事でね。

 彼女らの隠遁生活にはもってこいなわけですわー」


 そっか、そういやフローリアはエルフ族なんじゃっけ。

 しかし……


「むぅ……あそこ、めっちゃ霊素密度高いらしいではないか……」


 見ると、スラルもさすがに眉を顰めておる。


「もちろん、領内に入る必要はないよん。領外に少し出たところに、

 彼女らを連れ出すつもりだからー」


「……なら、まぁよいか」


 溜息をついて、了承する。


 エルフの里、ねぇ……

 まぁどんなモンなのか、少し興味はある。




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