【84】二人はお怒り。





 窓から見える風景を、見るともなしに眺める。


 余らはすでにあのログハウスから場を移しておる。

 ここはかつて幼き余が崩壊に追いやった亡国の一角。

 今は主無き地方豪族の館、その中で一際上等な寝室の一つじゃ。


 聞くに、かつてテリア王国と冠しておったらしいこの小さな国には、

 およそ七万人強の定住者がおったそうじゃが……

 今では、二千もおらんのではないか、との話じゃ。


 窓越しに見る街並みは暗く、並ぶ建物は黒い影となって静かに佇んでいる。

 辺りに軽く感覚の根を這わせて探ってみても、人の気配はほとんど無い。


 ここへ降り立つ際、ざっとその有り様を空から眺める機会があったが……

 知っておった通り、街並みは亡国とは思えぬ程綺麗で、整然としていた。

 だがそこにはほとんど人の営みが感じられず、灯りもぽつぽつと点在する

 ばかり。時刻を考えても、暗すぎる。


 まるで何の前触れもなく一夜で湖の底にでも沈んだように、あっけなく、

 静かにそして不自然に終わった国。

 7年以上、ここは目を閉じ喪に伏し続けるように、こうして在ったのだ。



「……これが、魔王が力を振るうということか」


 余は己以外に誰もおらん、いつかの誰ぞの寝室の中で、ぽつりと独りごちる。

 上等な調度品やら家具はあらかた持ち去られたのであろう殺風景な部屋じゃ。

 物の少ない部屋だからか、独り言がいやに響いた。


 …………


 ……今でもその気になれば、これくらいの所業が出来るだろうか。


 これを成した時、余は自我を失っていた。

 恐らく、用いた術理は“巡悔の揺籠ヘル・クレイドル”に近いものだと思うが……

 しかし、あの呪術をこれだけ広範に、そして対象を選別して掛けるなど。

 正直、どうやったら可能なのか、余自身にも分からない。


 リリィが相対するつもりの魔王は、如何程のものか。

 リリィは強い。文字通り桁の違う霊力に、何より彼女が明かしてくれた

 あの“固有能力ユニーク・スキル”のでたらめさ。

 それは確かに、知識や経験の乏しさを補って余りある。


 正直に言えば、余は今のリリィでも敗北は無いだろうと思ってはいる。

 しかし、それは相手がその新たな魔王のみであった場合、じゃ。


(万が一、余が新魔王の権能に下る事があれば……)


 リリィにとって、最悪の障害となるじゃろう。

 無条件に攻めあぐねるだろう魔王並の力を持つ者を気に掛けながら

 戦うとなれば、色々と按配は変わってしまう。


(そうなれば、もしかしたら……)


 嫌な想像を、首を振って散らす。


 またなのか。

 また、余がリリィの足枷になるのか。


 ぎり、と拳を握り込む。

 やり場のない憤りが口から出ようとするが……


 不意に鳴ったノックの音で、飲み込んだ。



「……ナナ、起きてる?」


 リリィの声が、ドア越しに届く。


 ……まったく。


 正に今、この子の事で悩み沈んでおったのに。

 声を聞いた途端、喜びが勝ってしまうとはの。


「起きておるよ」


 余の返事に、ドアを開けてリリィが室内へ入ってくる。


「ミナ達は、やっぱり凄く不安そうにしてたけど……

 とりあえず少し、落ち着いたみたい」


「そうか……スラルが説明すると言っておったが、唐突に過ぎたしの。

 あの子達には出来るだけ、僅かにも不安や緊張を感じさせたくないが」


 子供達は、あの後賢者が転移でここへ運んでくれた。

 お陰で、余達は空をゆく事が出来、予定より早くこうして

 落ち着くことが出来たのだ。


 言うまでもなく、子供らは余の姿を見てめちゃくちゃ驚いておったが、

 ピッピだけは


「へんなのー、あははっ♪」


 と笑うだけだった。


 あの子、天然とか無邪気とかじゃなく、シンプルに大物なのでは?

 ていうか変って、どういう……まぁよい。


 しかし……

 救い出したつもりの先で、結局あの子らはずっと何かと気を沈ませとる。

 ようやく、元に戻ったリリィと安心して暮らさせてやれると思ったが……

 なぜこうも、ままならんのか。



「ナナ……あなたが自分を責めるのはよしてね。

 よりずっと、あの子達は穏やかに過ごしてるの。

 あなたのお陰。ね?」


「ん……」


 俯きかけた余の隣にやって来て、リリィは手を取った。


「もう、何も出来ないはずだったの」


「うん……?」


「あなたはもう帰って来なくて、ミナ達とももう本当の私は会えない。

 全部取り上げられて、終わりだったはずなの。……でも」


 持ち上げた余の手の上に、もうひとつ手を重ねる。


「ナナ、私ね。幸せになりたい……って思った。

 たぶん、自分でそう思えたのは、はじめて」


「そう……か」


「あなたが私を、好きって……許してくれた時にね。

 すごく、すごく思ったの。幸せになりたい、幸せにしたいって」


「うん」


「幸せになるために……私、今よりわがままな子になろうって」


「良いではないか。なるがよい」


「わがままに、素直になる……だから私ね、ナナ」


「なんじゃ」


 余はとても優しい心持ちで、リリィの話を聞く。

 リリィは、穏やかに微笑んで言った。



「私、いま、すっっっごく、


「うん…………うん?」


 うん?


「……ぜったい、許さない」


 リリィは、穏やかな表情のまま、


 しかし、よく見ると目が笑っておらんかった。


「リ、リリィ?」


「今日、あげるつもりだったのに……」


 リリィが何か呟く。

 余に触れている彼女の手が、ぷるぷる震えておる。


「あげる? な、なにをじゃ?」


「ぜ、ぜんぶ……わたしの、全部」


 わたしの全部?

 とは。


 見ると、なんかリリィの顔が赤くなっておる。


「私が欲しいって言ってくれて……私もって応えたのに……ごめんね」


 ……


(……えっと……)


 たしかに、言った。


 余はリリィが欲しいと。

 リリィも余が欲しいと。


 ……あれ?


 ちょっと待ってもらってもいいかな?


「リ、リリィさん?」


「お互い、こんな気持ちじゃ……ダメだと思うの。

 ナナや皆のこと、不安や心配で、もやもやしたままじゃ……」


 全部、終わらせてからじゃなくちゃ。

 ちゃんと幸せになるために……


 そう、リリィは真っ赤な顔をしたまま言う。


「だから、ナナ」


「は、はい」


「全部終わらせるまで、待って」


「……それって、」


 ぎゅっ、と手を握られる。


「わたしの……はっ、はじめて」


 ――ぎゅっ!!


「ぜんぶあげるから、待ってて!!」


 そう、力いっぱいリリィは言った――



 ……、


 ……ほ


 ほ、



 ほぁぁぁああぁぁぁ――――!!!?



「――はっ、はははじめて、とな!?」


 上擦りまくった声で尋ねる余さん。


 こくこくこく、と高速で頷くリリィさん。


 ほぁ、

 余の「欲しい」って、そういう!?


 いや待て早まるな、はじめてにも色々ある!!


「そ、そのはじめて、というのはどこまで……」


「ぜんぶ……その、恋人同士がすること、ぜんぶ」


 いっそ心配になるくらい真っ赤になるリリィ。

 あぁあもう余のばか、みなまで言わすな!!


 し、しかし……


(そっ、そんな風に受け取られていたにょか?!)


 いや欲しいけど!!


 頂きたく存じあげますけども!!


 でも正直余ってば、


『恋人同士だ、わぁい♪

 どうしよ、まずブルームハウス前の花畑で、家近デートとかして?

 お弁当を「あーん」なんつって食べさせ合いっこなんかしちゃって?

 その後そよ風に吹かれながら肩寄せ合ったりして、雰囲気しだいで

 あわよくば、ほっぺに……ちゅ、ちゅーとかしちゃったりとかもー??』


 とか一人で妄想かましておった位なんじゃけど……


 リリィは、余より圧倒的に先をプランニングしておったじゃと!?


 いきなりクライマックスじゃん!!!!



「……あ、あれ? もしかして、わたし、なにか……」


 勘違い、してた?

 リリィが、顔を赤くしたまま不安げな顔をする。


「し、してゅ……してないぞ!!」


 がし、と肩を掴んで余は食い気味に言う。


「二言は、無いな!? ほっ、ほんとに貰うからなー!?」


 余、めっちゃ必死。


「は、はいっ!!」


 目をぐるぐるさせながら、リリィが答える。



 お、おぉお……

 魔王、ぜったい許さぬ……!!


 だってもし、こんな事になっておらんかったら、今宵――


(このおあずけの代償……必ず払わせてやるぞ)



 考えてみれば、まだ別に魔王が敵対的であると決まったわけではない。

 しかし。


 なんか、余も、腹立ってきた……!!




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