【80】余は、もう。
魔王城にリリィと共に帰還する。
直接余の寝所にやってきた。
二人でゆっくり時を過ごしたかったが、その前にすべき事がある。
名残惜しくも余はリリィに部屋で待つようお願いした。
「真っ先に、会わねばならん……いや会いたい人達がおる。
少しここで待っていておくれ」
「お父様と、お母様ね」
「……うん」
そう。
まだ、あれ以来余は二人と会うていないのじゃ。
ラナンキュラスが先立って余の事を伝えているはず。
しかしそれも今日の事。
(ど、どんな顔で会ったらいいのじゃ……)
それを思うと、余の心中は複雑どころではない。
しかしどうあれ、まずは早く顔を見せてやりたい、と思う。
ウサモフシティで感じていたものとはまた違う緊張。
どきどきする胸を抱えながら、余は寝所を一人後にした。
まず最初に会ったのは、父じゃった。
エントランスから出ようとした所を、鉢合わせた。
ととさまは余の姿を見て、ただ目を見開いた。
しばらく、そのまま余を見つめる。
やがて柔らかく、微笑んだ。
「……、……おかえり。ナナちゃん」
「ただいま、ととさま」
余も微笑んで、返事をする。
予想していたものと違い、父はとても落ち着いていた。
見た目も随分変わったのじゃけど……。
父は静かに俯き、目を閉じて胸に手をあてる。
いくらかそうした後、もう一度余を見て言った。
「ママに、会っておいで」
かつての日常のひとつのように、それだけ言った。
余は父の落ち着きようにほんの少しだけ戸惑いながら、頷く。
「パパは、スラル君とお話をしてくる。
あとで、パパ達の家でまた、お話しよう」
「……うん、分かった」
余は父の優しい笑顔を見ながら、転送陣を開く。
そして、それは余を生家まで運んだ。
父の眼差し。
覚えている。
あれは、余が魔王となって間もない頃。
余に、魔王の宿命を話して聞かせた時と同じ目であった。
父として、己の責務を見据えて逸らさぬ、強い決意の眼差し。
(分かった、ととさま。あとでね)
生まれ育った家の前に立ち、余は一人頷いてから。
その扉を開いた。
母は、玄関の前で腕を組んで待ち受けていた。
余の顔を見て、口を開く。
しかし、そこから言葉は出てこなかった。
母は口を閉じて、ゆるゆると首を振る。
そして、入りなさいと言うように家の中を手を差した。
余は頷き、母のそばへ歩いていく。
ふっと笑った母に、余は言った。
「……ただいま、かかさま」
「どちらさま?」
首を傾げて、母が返した。
え。
「ぁ、あの、こんな変わり果てた姿になっちゃったんじゃけど、
私あなたの……娘の」
「……くす。冗談だよ」
ぽん、と余の頭に手を乗せる。
しばらく、そのまま黙って母は余の頭を撫でた。
母や父の気持ちを、余は想像できぬ。
余の口から出た言葉は、謝罪であった。
「……ごめん、かかさま」
「謝るんじゃないよ」
撫でていた手を離し、ぺし、と軽く頭を叩かれた。
「う……でも、先立つとか親不孝したし……」
「逆だよ。あれはどうしようも無かった。あんたのせいじゃない。
それなのに、アンタはこうやって帰ってきてくれた。
これが親孝行でなくて、なんなのさ」
母は余の顔に触れながら、優しく言った。
「まぁ確かに、この一ヶ月は地獄だったけどね」
う……
母の言葉が、胸に刺さる。
「ごめんなさ――」
思わずまた謝りそうになった口を、母が人差し指を押し付けて止める。
そして、ふん、と鼻で笑って言った。
「アタシをなめんじゃないよ。そんなヤワな女じゃないわね。
あんまりしんどいもんだから、丁度昨日これじゃいかんと思ってね。
父さんぶち犯して二人目こさえようとしてたトコなんだから」
不敵に笑うかかさま。
「そ、そか……」
……母は強し? 女は強し?
……たぶんどっちも違うな。
「まっ、父さんいなかったらサクっとアンタの後追って死んでたかもねぇ。
7年掛けて覚悟を固めて来たってもさ。脆いもんだ、ありゃ参ったね。
あっはは、ヤワじゃないって言ったそばから何言ってんだって」
あっけらかんとして、笑う母。
目端から涙が伝うのも、そんなの知らんと言うように。
その姿に、余は胸に大きなものが込み上げる。
そんなかかさまが、余は大好きじゃ。
改めて、こうして生きて戻ってこれた事を、心から嬉しいと思う。
……あ、もちろんととさまも大好きじゃ(フォロー)。
母が余に向かって、両手を広げる。
近づいた余を、かかさまはそっと抱きしめた。
それから、みるみる力がこもっていく。
正直、それは痛いくらいじゃった。
でも、きつく締め上げてもなお伝わる震えに、
余はただ目を閉じて、されるがままでいた。
「……これが夢なら、あんまりだよ」
母の呟く声は少し掠れている。
「大丈夫よ」
夢じゃない、と余は言う。
「もう……無理だよ。次は……壊れちゃう」
余の頭を抱えて、強く頬を寄せる。
余もそれに返す。
「これからまたいなくなったら、それはほんとの親不孝だもん。
ね、昔から私は良い子でしょ。大丈夫よ」
「ん……そうだね、ナナ……」
母は余を抱きしめて、静かに泣いた。
ずっと、離すことはなかった。
気が済むまでいくらでも、こうしていようと思う。
しばらく母と過ごし、魔王城に戻る頃には陽もほとんど沈んでいた。
そしてエントランスで、再び父と会う。
「おかえり、ナナちゃん。
早速だけれど、付いてきてくれるかい?」
そう言って余を待つ父に、頷いて返した。
「うむ……なにかの」
余が従うのを見て、父は歩き出した。
城内を進み、やがて我らがたどり着いたのは――
「……禁書庫?」
そう、魔王城地下にある禁書庫の扉前であった。
扉には古き魔王が施した封印魔術が刻まれ浮かんでおる。
そして、余はその意図を理解する。
魔王以外は、この扉を開く事は出来ない。
かつて余が自死を試みた時、ここにスラルが入った事はある。
しかしあれは、本心で自分を見つけてほしい、止めてほしいと願っていた
余があえて扉を開け放しておったからじゃ。
基本的には、魔王以外がこの中に入ることは出来ない。
父は余を見て言った。
「魔王以外禁制の書庫だ。ナナ、開けられるかい?」
「…………」
余は喉を鳴らし、扉に手を近づける。
……
「――っ!!」
ばちん、と空気が爆ぜる。
余の右手は、思い切り弾かれた。
余は鈍く痛むその手を、見つめる。
「……開けられない」
「そうか……」
父の静かな呟き。
余は……
余は、もう、魔王ではない。
そのひとつの証明に、余の心には様々な想いが渦巻こうとする。
しかし、それは余の肩に置かれた父の手によって、鎮まった。
「ナナ」
「……とと、さま」
父は優しく、慈しむように余を撫でた。
そしてしばし目をつむり……
ひらく。
真剣な眼差し。
「お話をしよう、ナナ」
微笑む父が、言った。
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