【77】告白。





 果たして、石扉の向こう、そこにリリィはおった。


 余はその姿を見てまたも胸に大きく込み上げるものがあったが、

 しかしもう立ち尽くす事はない。

 ぴょん、と室内に踏み入る。


 余が入り込むと、すかさずのプニャーペがこちらに飛び込んできて、

 そのまま余の後ろに回り込んだ。


 そのまるまる大きな身体が、扉の半分以上を埋めてしまう。


『ないすじゃプニャーペ。助かる』


『フフフ。プニャはいたいけな乙女たちの味方よ』


 見ると、リリィは出口に手を伸ばしかけた体制で呆然としておった。

 やはり逃げる気でおったの。


「…………」


「ニュ」


 余は仁王立ちしているつもりでリリィと向かい合う。

 彼女は口元を結び、表情を消す。


 だがその無表情は先日までのそれと比べて、随分不自然に見える。


「……あなたが、よんだの?」


 リリィがぼそりと呟く。

 後ろのクロウに向けたものじゃろう。


「そうだね。でも……謝るつもりはないかな」


 クロウは以前と同じ、低いがよく通る声で、穏やかに返した。

 ほんの微かに、リリィが唇を噛んだように見える。


 余はその様子を見つめながら、さて、と身を揺する。

 余には今時点で、ひとつ確信しておる事があった。


 きっかけは分からない。

 だが、それをはっきりと感じたのは、先程魔王城を飛び立った直前、

 親ウサモフと話を終えた直後の事じゃった。


 何かが、外れた。

 いや正確に言うなら、外された。


 例えるなら、それは余の内に施されていた何らかの錠前じゃ。

 余の奥深い所で、余の記憶を閉じ込めていた重い扉、その錠前。


 それが、何者かによって外されたのを感じた。

 何者の手によるものかは分からぬ、しかしがやった。


 恐らく、魔王に討たれた余がウサモフとなってながらえた要因、

 それを意図した何者かが。


 ゆえに全く釈然としないが、余はすでに確信を持っている。

 その気になれば、いつでも余は取り返すことが出来ると。


 記憶を。

 姿を。


 懸念が無いではない。

 だが迷いは無い。


 クロウと同じように、魔王の因子が消えたままである保証は無い。

 勇者の因子の事も、同じじゃ。何の保証も約束も無い。


 それでも余はもう迷わない。


 無責任でも。


 悪でも罪でも。


 余はどうしても、欲しいものがある。


 ね。


 リリィ。



「……ニュ」


 余は目を閉じ、自分の内に意識の手を伸ばす。


 忌々しく、そして同時に優しく全てを閉じ込めた扉。

 そこに、手を掛ける。


「……ナナ、なにを」


 リリィの声。

 不安に彩られたそれに、

 確かに、期待が混じるのを感じる。


 躊躇ったのは、ほんの一瞬じゃ。


 余は、それを一息に開け放った。



「――――!!」


 最初に感じたのは、揺れ。


 地面が揺れているのかと思ったが、違う。

 余のウサモフの身体がぶるぶると震えておる。


 やがて、余の身体を幾条もの黒い影が渦巻いて囲んでゆく。

 それは信じられない程の、逆巻く膨大な魔力の奔流。


(これが、余に封印を施したの魔力の一端か……!?)


 魔王のそれすら、ゆうに超越する……いっそ非現実的なまでの魔力。

 それに圧倒されながら、余は頭の中を掻き乱される感覚に必死に耐える。


 目まぐるしく情景が、匂いが、感触が、そして想いが。

 我先にという勢いで余の脳髄に駆け込んでくる。


「ぁ……ぁぁぁあああぁ……!!」


 余の声が聴こえる。


 余の頭をおさえる、両手の感触を感じる。


 余の足が、地面を踏みしめているのを感じる。


 渦巻く奔流が収まってゆくのが分かった。


 まるで引く波のように、急激に全てが静かになっていく。


 余は目を閉じている。


 その目を、

 開いた。



「…………――ふ、ぅ」


 ぼやけた視界が、少しずつ鮮明になっていく。


 そこに、いた。


 目の前に、立っている。


 ……あぁ。


 やっぱり、好き。


「リリィ……」


「…………ナナ」



 リリィの驚いた顔。

 小さな声で、言った。


「……ナナ、だよね?」


 驚いた顔のまま――いや、これは……不思議そうな顔?


「……?」


 なんとなく、違和感がある。

 具体的に言うと、目線の高さ。


 左に顔を向ける。

 そこには姿見があった。


 余はそれに近づき、自分の姿を確認する。

 久々だからか、少し歩き方がぎこちなく感じる。


 そして、鏡に映る自分の姿を見て……

 ぎょっとした。


「……んなっ……?!」


 そこには、予想していたものと違う姿があった。


 9歳のままで止まっておった、幼い少女の姿ではない。

 そこに映っておるのは、15か6……それ位の年頃の娘だった。


 しかし、その顔立ちや頭から伸びる角……間違いない。

 これは、余じゃ。


 そう、恐らく成長が止まっていなければ斯様であったろう……という、

 ナナちゃん16歳の姿であった。

 ご丁寧に、その丈に合った外套を羽織っておる。


「こ、これは……予想外、じゃのぅ」


 言いながら、しかしそれでも余が見たいものは鏡ではない。


 振り返り、改めて向かい合う。


「……ただいま、リリィ」


 戻ってきたぞ、と。

 余は不敵な笑顔を作って見せた。


 それに、リリィは。

 一歩、後退あとじさって、

 首をゆるゆると振った。



「……だめ」


 弱々しい声。


「だめ……来ないで…………見ないで」


 自分の身体を抱き、深く俯いて。

 震えるリリィ。


 その切なる言葉に、


「いやよ」


 とだけ、返す。


 そして、ごく普通の足取りで、彼女に近づいてゆく。


 手を伸ばせば触れられるところまで来た。

 そう、触れられる。


 だから、触れた。

 俯いた頬に。


「顔を見せて、リリィ」


 私の言葉に、さらに首を振る。


「いやいや、じゃない」


 はい、と私は両手を頬に添え直し、くいっと顔を上げさせる。


 目が合う。


 涙が伝うその顔は……

 あの日々に見た、リリィの顔だった。


 そこにはもう、張り付けられた無表情は無い。

 唇と瞼を震わせて怖がる、心ある女の子の顔。


「怖いのね、リリィ?」


 優しく問いかける。

 彼女は何も言えない。


「またあんな事になったらどうしよう。繰り返したらどうしよう」


 びくり、私の言葉に身を竦ませる。


「恐ろしい、不安だ心配だ。の事を思い出している?」


 私は問いを重ねる。

 彼女は何も言えない。


「言って、リリィ。大丈夫、私に聞かせて」


 自分の耳にも少し馴染みの無い、大人びた声。

 私はリリィの肩をそっと掴んで、引き寄せる。


 間に入った彼女の手と腕が、私の身体を抑えようとした。

 でも、全然弱い。

 それじゃ、止められない。


「隠さないで。黙らないで。私に言って」


 胸が触れるまで引き寄せた身体、その背中に手を回した。

 彼女の腕にさらに力がこもる。

 でも、ただ力を込めただけ。

 それは私を押し返さない。


「…………私、」


「うん」


 耳元に、リリィの囁くような声。


「……あなたを、殺そうとしたの」

「そうね」


「あなたを、たくさん殴って」

「うん」


「痛めつけて、血まみれにして」

「そうだね」


「スラルさんじゃないの。私が殺したの」

「ある意味ね」


「痛かったでしょう?」

「すっごく」


「怖かったでしょう?」

「んー……いや」


「後悔したでしょう?」

「なにを?」


「私を、助けたこと」

「前はね。今はしてない」


「どうして?」

「ふふ……」


「おしえて」

「好きだから」


「…………」

「リリィが、大好きだから」


 ぎゅ。

 抱きしめる。


「あなたに会えて嬉しい。好きになって良かった。

 ねぇ、リリィは、どうなのかな」


 そう、私は……。


「……私、ずっと」


「うん」


「自分が皆を呪ってると思ってたの。

 ミミも、みんなも、ナナも……自分も」


「……うん」


「だから、私は……今でも……

 誰とも出会わないで、一人で死んじゃってたらって……」


「…………」


 より強く、抱きしめる。


 それに、リリィの腕が応えた。

 強く、強く。


「……思えないよ……思えないのぉ……」


 悲鳴を押し殺したような声で。


「それが正しいって分かるのに……後悔も、否定も、出来ないの……!!

 会えて良かったって……また会いたいって……思ったの……」


 背中に回された手が、とても震えている。

 もっと、痛いくらい力を入れてもいいのに。

 本当に、優しい子。


「悪い子ね、わたし達。

 でも、仕方ないよ。私とあなたは、なあに?」


「……勇者と、魔王」


「違う。ただの、女の子よ。

 あなたも私も、ほら、こんなに細くて、小さい」


「ただの……」


「持てるわけ、ないでしょう? 魔王だから何? 勇者だから?

 だったらもっと、大きな手を、強い心をちょうだい。

 無理言わないで、私達みたいな子供に、こんなの考えさせないで」


 知らない。

 馬鹿みたい。


 宿命だとか、

 運命だとか、


 こんなの、持てるわけないでしょ?


 勝手に寄越して、いじめないで。


 人を好きになるくらい、好きにさせて。


「可哀想、わたし達。

 でもね、私は可哀想なままでいたくないの」


 そっと身体を離して、リリィを見つめる。


「ねぇリリィ。私はあなたが欲しい。

 あなたは、私を欲しがってくれる?」


 私の、初めての、告白。


 リリィは、言った。


「……私も、あなたが欲しい」


 微笑んで。



「大好き、ナナ」


「……うれしい」



 あぁ


 よかった。




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