《76》それは、誰かの意図なのか?





 実の所、クロウが魔王討伐後の勇者と相対したのは

 リリィが初めてではない。


 今回のこれを含まずなら今までに三名、三度。

 彼はこのような形で彼ら彼女らと接触し、対話を試みた事があった。


 それら前例たちは、基本的に……文字通り話にならなかった。

 史伝等で語られているように、魔王を討ち果たした勇者たちは皆、

 例外なく感情の動きをほとんど失していたし、会話を交わす以前に

 クロウの存在自体に僅かにも関心を持たなかったのだ。


 それと比して、目の前の少女、リリィは極めて異質だった。

 拙い言葉繰りながら会話が成立するだけで驚嘆に値するのに、

 しかもそれは機械的でなく、感情の機微を確かに感じさせるものなのだ。


 内心、クロウは心中でかなりエキサイトしていた。


 この子からは、自分にとって極めて重要な、重大な何かを……

 見出すことが出来るかもしれないと。


(魔王ナナと、この子の有り様……そこには必ず、何らかの示唆がある)


 ずっと追い求めていた問の、答えの一端がそこにあるかも知れない。

 肘掛けに頬杖をつき、穏やかな表情を保ちながら……

 クロウの内心は、冷たく冴えていく。


 柔らかな微笑みを保ちながら、彼は尋ねてみた。


「君は、ナナちゃんの"固有能力ユニークスキル”が何なのか知ってるかい?」


 突然の問いに、リリィは首を振って応える。


「"固有能力”っていうのは、魔術や呪術、霊術の基本体系に含まれない

 特定の人物だけが有している"異能”のことなんだけど……

 魔王であるナナちゃんはまず間違いなく何らかのそれを持っている。

 君は、彼女のその異能を知る機会は無かったかな?」


「……しらない、とおもう」


「そうか……残念。それじゃあ、君の"固有能力”は教えて貰える?」


 魔王同様、勇者にも各人それぞれに保有する異能があるはず。

 でもこれは答えてもらえないかな、とクロウは予想していたが、

 ダメ元で聞いてみた。


「ひみつ」


「はは……だよねぇ」


 思った通りの返答ではあったけれど。

 同時にやはり感心する。


 これは話したくない、これは話しても良い。

 そこには確かな、自分の意志が存在している。


 やはり……とクロウは半ば確信しつつあった。

 彼女は恐らく、歴代の勇者達と比べ心の剥落は軽微であるか……

 あるいは、そもそもほとんど失っていない、と。


(多分、失っているのではなく……押し込められているだけかな)


 やはり、彼女は異質だと改めてクロウは思う。


(見るに、彼女の勇者の因子はすでにはず)


 クロウの見立てでは、もう彼女は勇者として再度覚醒することは

 無いとほぼ断定できた。


 けれど、彼女には間違いなく"心”が過分に残されている。


 恐らく、、あえて。

 クロウはそう考える。


 その理由とはなんだ?



「君は恐らく、勇者としてまた忘我に飲まれる事は無いと思うよ。

 えーとつまり、自分の意志と関係なくナナちゃんを襲ったりは

 しないと思うって事ね」


 クロウの言葉に、リリィは俯いていた顔を上げる。


「どうして、わかるの」


「さっき言ったけれど、僕はかつて魔王だった。勇者に討たれた魔王だ。

 こうして健在なのに討たれたと断言できるのは、当時の口伝からの

 推察もあるけど、他にも理由がある。もっと単純で明快な」


 少しだけ、表情に影が差した。


「僕はね、自分が戦い敗れた勇者に、その後再会しているんだ。

 僕は魔王の因子を、彼は勇者の因子をそれぞれ失っていた。

 そして、殺したはずの魔王が生きてそこにいるのを見ても、

 彼には何の変化も無かった。心のもぬけを示したままだった」


 そう、勇者はクロウを見ても、僅かな心の動きさえ見せなかった。

 ……いや、彼を見さえしなかったのだ。


 完全な、抜け殻だった。


「……そう」


 彼女は特段関心の無いように呟く。

 けれど、クロウは見逃さなかった。


 彼女の瞳に浮かんだ、微かではない揺らぎを。


「それでも、再会したくない?

 君の話を聞くに、魔王に君への敵意は無いと思うのだけど」


「…………」


 リリィは、何も言わない。

 ただ、ぎゅっと自分の身体を掻き抱いた。


(……この子は、怯えている。それはたぶん、魔王の敵意にじゃない)


 恐らく、その怯えるものこそが。

 残ったはずの彼女の心を、自身であえて奥底まで押しやった理由だ。

 クロウは、そう予想した。


(ごめんよ、勇者ちゃん)


 心の中でクロウは詫びる。


 そして、密かに彼はウサモフ達に向けて念話を繋いだ。


 それによって伝えられた内容を彼女が知ったら、きっとここから

 すぐさま飛び出してしまうだろうとクロウは思う。

 だから、詫びた。



 この子と魔王を、再び巡り合わせる。

 それによって、何かが動き出すという、確信に近い予感。


 それはきっと、自分が久しく問い続けてきた答えを導いてくれる。

 そんな予感だ。



 ずっとその答えを求めてきた。


 なぜ、魔王は生まれるのか。


 なぜ、滅びてはまた現れる?


 魔王とはなんなのだ?


 なんのために、自分たちは……



 魔王ナナと、自分……魔王クロウの共通点。

 一度死に、あるいは死にかけて魔王の因子を失った上で、

 それでもなお、こうして永らえている事。


 ナナと自分の相違点。

 クロウを討った勇者は、歴代の例に漏れず壊れた。そしてただ死んだ。

 だがナナを討った勇者は恐らく壊れきっていない。


 この違いはやはり、なのか?


 魔王が生まれる事に、何らかの意図が存在するなら。

 今代の魔王と勇者は、その意志にとって例外なのか?


 その意志とは、誰のものか。


(こんな大仰な事をするものなんて……神様か何か位しか思いつかないね)


 クロウは苦笑する。

 神様なんてものを引き合いに出すにしては、回りくどすぎる。

 それに、ひたすら行き当たりばったりではないか。


 まるで人や魔族の試行錯誤だ。

 届かないものに、なんとか届こうとする誰かの意志。


 たまたま自分だけが見つけた地図一枚を持って、その誰かは

 入り組んだ迷路にずっとゴールを探し続けている。

 そんな想像をクロウはする。


 自分は、その誰かが見つけた鍵の一つだったのだろうか。

 そして今代の魔王と勇者は、新たに拾い上げた鍵、か?


 あくまで想像だ。

 そしてこんな想像なら遥か昔からずっとしてきた。


 そしてそれらは全て、どこにも辿り着くことのないものだった。


(まぁ、彼女たちを見守らせてもらおうかな)


 彼はいつものように思索の糸にハサミを入れて、

 文字通り断ち切る。


 あとは、ナナがこちらに到着するまで適当に世間話でもしよう。

 そう考え、改めてクロウはリリィと会話を試みた。

 ほとんど彼一人が喋っているような状態だったけれど、

 それでもそれなりの時間を流す事が出来た。



「君の話を聞いてると、魔王だ勇者だってしがらみが無ければ、

 とっても仲良し相思相愛のお友達になれたろうなって思うよ。

 いや……しがらみがあっても、そこは相違ないかな?」


「…………」


 リリィは何も言わず、僅かに下を向くだけ。


「切ない話じゃないか……神様がもしいるなら、本当に悪趣味だよねぇ。

 好きにならなければ、出会わなければ、なんて君は思う。

 そんなの悲しすぎるし、あんまりだ」


「…………」


 変わらぬ沈黙の間に、クロウはベッドの上で何も言わず

 ただ二人の話を聞いていたプニャーペに念話で話を振ってみる。


『ねぇ、ハニー。魔王と勇者の友情は珍しいけど今までもあった。

 いつ聞いても、やるせない話だよ』


 置物のように丸まっていたプニャーペがクロウを見て返す。


『そうね……でも……』


『でも?』


『……ただの友情なのかしら、この子のこれは』


 プニャーペの意味深な返答に、クロウは彼女に首を傾げてみせる。

 リリィには彼らの念話は聞こえないが、彼の目線を追ってウサモフを見た。

 プニャーペは片目を閉じて、呟くように言う。


『話を聞いてるだけだから、もちろん確かな事は分からないけど。

 これはそう……乙女のカンね。話をする彼女の様子、表情……

 そこから香りがするのよ』


『香り……かい?』


『そう、この香り……彼女、きっと恋をしている』


 細めた目でリリィを見つめ、うっとりした感じでプニャーペは言った。


『恋……かい? それは……いや確かに、並々ならぬ想いは僕も感じたけど。

 なるほど……それは』


 素敵じゃないか、とクロウは思う。

 そして、それが真なら尚のこと切ない話だとも。


(確かに、愛に勇者も魔王も、同性も関係ないものな)


 愛の形はそれぞれ。

 彼自身、その最たる例のひとつである。


 ただ微笑ましい気持ちを覚え、表情に浮かびかける。

 ……だが。


 その笑みは表に出ず引っ込んでしまう。

 クロウは黙り、考え込む。


(……そこに、理由が?)


 魔王に恋慕を抱く勇者。

 それが、彼女が心の剥落を回避した……またはさせられた理由?


 だとして、なぜ?


 恋心ひとつおもんばかって例外とした? まさか……。

 こんな身も蓋もないシステムにあって、今更それくらいの事で?

 いくらなんでも、そんなはずはないだろう。


 しかし……全く関係ないのか?

 もし万が一、彼女の魔王への想いが要因にあるとしたら……

 それを彼女から奪わず置くことで、そこに何を求める事が……


 …………


(――……!!)


 ――まさか。


(魔王は……魔族は、同性であっても子を宿せる)


 そこか?

 もしそうなら。


 リリィに求められているものは――



「……えっ」


 不意に、リリィが声を上げた。


 その声に、ハッと思索から返りクロウも気がつく。


(……来たか、彼女が)


 魔王ナナの到着を、彼らは察知する。

 クロウが思ったより早い。


 ナナは石扉の方を見つめ、その表情は見えない。


(ナナ……君には記憶を取り戻してもらわないといけない)


 クロウは考える。

 ナナの"固有能力”を、是が非でも知りたい。

 それが、この"意志”が求めている物かもしれない。



 やがて、石扉がゆっくりと開く。


 果たしてそこには、灰色の小さなウサモフの姿があった。




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