【75】今からそこへ向かう。





「もっと貴女とお話したかったでしょうね、スラルさん」


 スラルと別れ寝所を後にし、ラナンキュラスが意地悪気な笑顔で言う。

 しかしなんだか、どこか安心したような顔をしておるの。


「まぁ、残念でしょうが彼にはやらねばならぬお仕事があるようですし、

 事が片付いたらゆっくり構ってあげて下さいな」


『ふむ……このふわふわぼでーを抱っこでもさせてやろうかの』


「それはダメです。破廉恥すぎますわ」


『えー……?』


 そんな話をしながら、スラルと別れた余たちは玄関へ向かう。

 言うまでもなく、余がリリィを求め飛び立つためじゃ。


 キューちゃんは当然のように付いてくるつもりだったようじゃが、

 余はそれを丁重にお断りした。


「えっ、はっ? な、なぜですの……?!」


 そう、目をまんまるにして驚き余を詰めるご令嬢に、

 余は思いのまま理由を述べた。


『込み入った理由があるわけではない。

 ただ、あの子とは……二人サシで向き合って話がしたいのじゃ』


 余の言葉に、彼女は不服そうな顔を隠さんで睨みつけてきた。

 でも、大きくため息を吐いて諦めたように……いや呆れたように言った。


「はぁ……記憶が無くなっても、相変わらずわがままな子ですわ。

 いいでしょう。ただし一つ条件があります」


 真剣な面持ちに変わったキューちゃんが余を見つめる。


『条件とは?』


「貴女は先刻、人間領で人の形態を一時的に取った際に、

 飛行魔術を行使していましたね。恐らく咄嗟にだと思いますけれど」


『んむ。きっとこの姿でも飛べるはずじゃぞ』


 ほれ、と余は実際にその場でふわりと浮かんで見せる。

 ふよふよと浮かぶウサモフ。なかなかシュールな絵面じゃろな。


「よろしい……では、他の魔術はどうです?扱えそうですか?」


『む……そもそも余が元々どんな魔術を扱えたのか覚えがないからの……』


 今彼女が言ったように、この飛行魔術も思わぬで出来た事じゃ。

 具体的にこの目で見たものなら、扱えるかもしれんが……


「呪文も覚えていませんしね。ですが私が言う条件を満たす魔術は

 幸い詠唱が必要ないものです」


『ほむ? 何らかの魔術を扱える事が条件とな』


「えぇ……ずばり、転移魔術です」


 あぁ……なるほど。

 つまり万が一の事態に、自力で場を離脱し帰還できるかどうか。

 それが出来ないのなら、自分も付いて行かぬわけにはいかないと。


 飛行魔術を行使できた事で、魔力を扱う感覚は思い出せた。

 これまで幾度も見せられてきた魔術じゃ、恐らく……


「ニュー……」


 唸りながら余は目をつむり、集中する。

 さてどうアプローチしたものかと一瞬迷ったが、意外にもそれは

 するりと余の内から取り出すことが出来た。

 茫漠としていながら、それでいて確信めいたイメージじゃ。


「ニュ!!」


 多分いらんだろう掛け声を上げる。

 すると、余を小さな魔術陣が囲い、起動して黒い光が立ち上がった。


 光が収まると、余は思惑通りエントランスの階段、

 その踊り場に瞬時に移動を終えておった。

 そこからキューちゃんを見下ろし、ぴょんと跳ねて見せる。


『どんなもんじゃっつーての』


 余は踊り場からひょいと飛び降り、彼女の元へ戻る。


「……よろしい。許可しましょう」


 まだ表情は心配そうではあるが、とりあえずキューちゃんは頷く。


 わーいと余は一瞬喜んだが……許可とは。

 よくよく考えると余って魔王様だったんじゃよな?


 ……なんか、以前の余の扱われ様に疑問を感じてきた。


「良いですか。必ずです。

 必ず、無事に帰ってくる事。

 何を置いても、それを最優先にすると約束して下さいますか?」


「うむ。約束しよう」


 余の言葉にもう一度溜息を吐いてから、キューちゃんはエントランスの

 扉を開いてくれた。





「それで……肝心のあの子の居場所は、分かりますの?」


 外へ出て、キューちゃんが訊ねてくる。まぁ当然の質問よな。


「ぼんやりと、感じておるものがある。遠いものを見るように微かにの。

 しかし方角は何となく分かるし、きっと近づく程明確になるじゃろう」


 言葉にすると頼りない感じに聞こえてしまうが、

 余の中でそれは割と強い自信があった。

 きっと、見つけられる。


 問題は、恐らく彼女も同じものを感じておるだろう事じゃが。


 逃げるじゃろうなぁ……


 どこまでも追いかけるがのぅ。


「そうですか。まぁいいでしょう。

 では、私はその間に大切な用事を済ませておきますわ」


「ほう、なんじゃろの」


「とても大事な事です。スラルさん以上に、本当は真っ先に貴女の事を

 お知らせするべきはずの方々に、お伝えしてくるつもりです。

 ……貴女の、お父様とお母様に、貴女の事を」


「……父と、母……そうか、頼む」


 ……


 ……そっか。そりゃそうじゃよな。

 仕方ない事とはいえ、父と母の事も、余は覚えておらんのじゃな。


「事が済んだら……きちんと、顔を出そう」


「ええ。だから尚更、無事で帰るのは大前提ですのよ。

 では、お気をつけてね」


 言って、キューちゃんは転移魔術で何処かへ移動していった。


(……さて、余も征くとするかの)


 西……あるいは南西の方角を見て、余は飛行魔術を試みる。


 しかし、その時不意に。


『――魔王様、おまちくださいまし』


 と、何者かから念話が届いた。

 びっくりして余は辺りを見回す。


 すると、こちらへ向かってくる一匹の大きなウサモフの姿を見つけた。

 余の側までやってきたそやつは言う。


『魔王様に、お伝えすることがあります』


『お主……ブルームハウスにおった親モフじゃな? なんじゃ一体』


『はい。魔王様宛に、ウサモフネットワークから通信がはいっております』


 う、うさもふねっとわーく?


 ……あぁ、以前ウサモフシティでプニャーペに聞いたアレかの。

 確かになんか言っとったわ。


『現在シティに、勇者と名乗った少女がいらっしゃっているとのこと。

 守護者さまとお話をなさっているそうです』


『なんと……まことかの? なんでまたあんな所にリリィが……

 いやそれはどうでも良い。了解した、ないす情報助かるのじゃ』


 しかしそんな便利な通信体制があるのなら、あの時定時連絡とやらを

 待つ必要は無かったのでは……? などと余は思ってみる。


 いや、まぁ本来これだけの超遠距離念話は離れ業のはずじゃ。

 何かしら大掛かりな手間を掛けて、これを伝えてくれたのかも知れんの。


 余はもう一度改めて礼を言い、再び西南へと向き直って飛び立とうとする。

 しかしそこへ、ウサモフが今一度声を掛けてきた。


『おまちください、さいごにひとつ。

 守護者さまが念のため、貴方様にこれは伝えておいて欲しいと』


『ほう、なんと?』


『……勇者の少女は、魔王様と会うことを拒んでいる、とのこと。

 この通信も、少女の意思に反してこっそりおこなわれているようです』


『……なるほど』


 まぁ、改めて聞くまでもない事じゃな。

 だからこそ、あんな流星じみた速度で逃げ去ったのだろうよ。


 じゃが……


 とうに腹は決まっておる。

 余は征く。


 ふわりと浮かび上がり、そして飛び立った。



 余の中で、ずっと囃し立てておった声が、

 気づくと随分小さくなっておる事に気付いておる。



 行くな。会うな。知るな。想うな。



 それらの声はもうほとんど消え去り、

 左右に引っ張り合っておった心は今や、

 ひとつの方向に向いている。


 待っておれ、とは言わぬ。

 待ってなくとも、今からそこへ向かうぞ、リリィ。


 ただ余の想いを、手渡しにのぅ。




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