《74》リリィ、連れてゆかれる。





 リリィは、何処とも知らぬ森の中にいた。


 囲む木々、辺りを埋める草花の中で、ただじっと座り込んで。

 自分の細い身体を抱きしめるようにして、震えている。



 中身の多くを取り零し、ほとんどが失われた彼女の心の器。

 その空疎な、まあるい器の中で、火花が散った。先刻の事だ。

 見下ろした街の一角、そこに“あの子”の姿を見た瞬間に。


 それはほんの一瞬の、小さなスパークだった。

 けれど、その火花が空っぽの器の空気を揺らす。

 そして、それは波紋のように伝播し、器自体まで伝った。


 頑なに思えたその心の殻は、その小さな振幅だけで、ひびが入った。

 多くの亀裂が生まれ、そして剥落して、消えていった。


 そうして、みるみる彼女の心が色とりどりの光で溢れる。

 光は感情の迸りであり、彼女たる人格であり、いくつもの想いであった。


 きっと、それをそのまま受け入れる事が出来たなら。

 今頃リリィは全てを取り戻していたのかも知れない。



 けれど。


 その波濤、あるいは爆発のように押し寄せたそれに、

 彼女はこれ以上ない程に圧倒され、混乱し、打ちのめされて――


 溢れた光に目をきつく閉じ、耳を塞いでうずくまり。

 必死に、跳ね除けた。


 そして、ナナの姿から、全速力で逃げ出してしまった。


 それをさせたのは、ただ、恐怖だ。


 飛ぶ最中さなか、その瞳から涙が溢れては風に散っていった。

 やがて隠れるように視界に入った森へと降りていき、

 それから今まで、ずっと一人でただ震えている。



(……あれは、ナナだった)


 姿がそうであった、というだけではない。

 間違いなく、あの少女はナナであったと、リリィには断言できた。


(ナナが、いきていた)


 その事実に、言葉にならぬ程の歓喜が吹き上がろうとする。

 けれど、それをすっぽりと覆い、蓋をしてしまうくらい。


 リリィは、恐ろしかった。


 ナナを打ち据えた、拳の感触がまだくっきりと残っている。

 自分が放った閃光が、彼女の腕や肩を吹き飛ばした光景も。

 自分の初めての暴力の記憶が、何もかも鮮明に蘇ってくる。


 かつて、ナナは全てを知っていた。

 自分が勇者となる人間である事も。

 自分が自分ではなくなり、彼女を殺そうとする事も。



 どうして、あんなにやさしくしてくれたの?

 リリィは、そこにいない少女に訊ねる。


 あるいは、他の者であれば、それが自分を殺すであろう怨敵に向けた、

 ある種の報いのため……呪いであったのだと思っただろう。


 けれど、リリィはその発想すら胸に沸くことはなかった。


 ミミの事も、他の子供達の事も、ある夜寄り添って眠ってくれた事も。

 そこにあった優しさや慈しみに、欠片の疑いもありはしなかった。


 だから、ひたすら辛い。

 どんな気持ちで、私を見ていたのだろう。

 どんな気持ちで、私に痛めつけられたのだろう。


 自分が恐ろしい。

 彼女が愛おしい。


 自分を消してしまいたい。

 彼女にもう一度会いたい。


 生きていたなんて。

 生きていてくれた。


 どうしたらいいの?

 どうしようもない?


 拒んだはずの心が、痛い。


 身体ごと、バラバラになりそう。


 バラバラになって、消えてしまいたい。


 ……でも、消えてしまったら。


 あの子は、どんな想いを抱くのだろう。



 私は呪いなんだ、とリリィは思う。

 消えてさえ、残ったナナや子供たちを呪ってしまうのだと。


(……どうしたらいいの。ナナ。みんな)


 かつて、長く彷徨っていた地獄の日々。

 あの日々にさえ、こんな苦しみはなかったと

 穴だらけの心でリリィは思う。



 涙が、止め処なく溢れ、流れる。


 森の中でひとりぼっちで泣いている少女。


 それは、ただただ哀れな、14歳の子供だった。



 …………


 ……



 いつから降りはじめたのか、森は強い風を伴う雨に曝されていた。


 枯れた涙の跡をかき消すように、リリィの頬を雨粒がいくつも伝う。

 ぼろぼろの彼女をさらに追い立てるように降る、とても冷たい雨。



「……キュ?」


 そこへ、一匹のウサモフが草むらから顔を覗かせた。

 それから、次々にまた一匹、もう一匹と姿を現す。

 全部で6匹の、大小様々なウサモフ達。


 彼らはまるで「どうしたの?」と尋ねるような目で彼女を見ている。

 今のリリィではまだ、擦り切れた微笑みさえ作れないが、言った。


「……わたしなんかを、きにしてくれるの。

 でも、だめ」


 首を横に振って、言う。


「――わたしはね、勇者なの。あなたたちの、てきなの」


 それはきっと、自嘲と自責の言葉。


「「キュ……キュキュ~~……?!」」


 6匹のウサモフは、一様にびっくりした様子で鳴いた。


 言葉が、分かるのだろうか?

 リリィは、ふっと息を漏らしてさらに言う。


「はやくにげなさい。ころされちゃう」


 その自分の言葉に、ギュッ……と胸が締め上げられる。

 でももう、涙はいくらか前に枯れていた。


 そんな彼女に、しかしウサモフは……

 なぜか、ぴょんぴょんと近づいてきた。


 そして、彼女をみんなで囲む。


 なんだろう、と思ったけれど。

 ウサモフも、れっきとした魔物なのだと思い返す。


(……わたしを、ころしてくれるのかな)


 そんな事を思う。


 仕方のない死なら、いいだろうか?


 ダメだろうな。


 呪いだと思っている命に、また堂々巡りが始まろうとした時。


 不意に、彼女とウサモフの身を、魔術の円陣が囲った。

 リリィは驚き、周囲のウサモフを見る。


「キュ。キュキュー」


 それは6匹が力を合わせて発動した魔術であるようだった。

 そしてそれが何なのか、今のリリィには分かる。


(これ、てんそうまじゅつ――)


 思い当たったその瞬間、彼女は黒い光に包まれた。



 …………


 ……



 閉じた目を開いた時、リリィは見知らぬ何処かにいた。


 そこは少し薄暗い。

 辺りをゆっくりと見回してみる。


(ここは……どうくつ……?)


 岩壁には外の様子が見える入口のような大穴と、

 いくつもの明り取りのような穴があいているのが見えた。


 そして、その開けた空洞の中には、たくさんのウサモフの姿。


「キュキュっキュ」


 自分を連れてきた6匹が、入口と反対にあいている穴の一つの前に行き

 ぴょんぴょんと跳ねながら彼女を見ている。


 まるで、自分を誘っているように見えた。


「……ついて、いくの?」


「キュー」


 モニュ、と身体を前のめりにするウサモフ。

 恐らく頷いたのだろう。


 リリィは微かに困惑しながらも、とりあえず彼らに付いていった。

 穴の中へと進んでいき、並ぶ魔晶石が照らす通路を歩く。


 やがて、大きな石扉の前にやってきた。


(ここは……なんだろう……)


 ウサモフ達の巣なのだろうが、どうして彼らは自分をここへ?

 リリィが戸惑う中、石扉がゆっくりと音を立てて開いてゆく。


 そして、その声が迎えた。


「おや、おかえり……今日はお客さんを連れてきたのかい?

 急に来客ラッシュだね……まぁ言っても二人目だけど」


 男の声だ。

 当然ながら、聞いたことのない声。


 開いた扉の向こうを見ると、そこには豪奢な椅子に腰掛けた、

 魔族らしき男性の姿があった。


「――!!」


 ウサモフが男に向かってポヨポヨと弾んで見せている。

 まるで、何事か男に伝えているかのようだ。


 男はそんなウサモフに対し何度か頷いて、そして不意に

 目を少し見開いてリリィを見た。


 男が言う。


「……これは……驚いた。君、勇者ちゃんなんだね?」


 その言葉に、今度はリリィが僅かに目を見開く。

 ウサモフと会話が出来るんだ……と。


「そっか……実に久々に勇者と邂逅が叶ったかぁ。

 まぁ言って、別に特段用件があるわけでもないけど……」


 男はリリィを見つめ、実に感慨深げに呟いた。

 リリィは尋ねる。


「……あなたは、だあれ?」


 男は一度視線を逸らして、上を見やった。

 そして顎を撫で、何かを考える素振りを見せる。


 やがて、視線を戻して言った。


「僕の名はクロウ。見ての通り魔族なわけだけど……

 君が良かったら、ちょっとお話をしないかい?」


 目を細めた彼の雰囲気が少し変わったのを、リリィは感じた。




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